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私のキャリアパス 

平成19年卒 桂田雅大

略歴

2007年神戸大学医学部医学科卒業

2007年加西市立加西病院初期研修医

2009年神戸大学医学部附属病院呼吸器内科医員
2010年鉄蕉会亀田総合病院 総合診療・感染症科

2013年鉄蕉会亀田総合病院 呼吸器内科

    (内3ヶ月間、国立がん研究センター中央病院 内視鏡科研修)

2016年神戸大学大学院医学研究科博士課程


 このたびは当HPをご覧頂き、誠にありがとうございます。
 この略歴を見て脈絡が無いキャリアパスと思われたあなた、正解です。私が常に進路に迷いながらキャリアを積んできたからだと思います。自分が何に迷ってこれまで歩んできたかを書きます。


初期研修
 今のトレンドは分かりませんが、2007年当時は臨床研修制度が始まってまだ浅く、市中病院での研修が人気でした。市中病院での研修の方が即戦力になり、早く一人前になれると考えられていたからでした。でも、どこの病院を選んだらいいのか分からない医学生が多く、とりあえず有名研修病院が人気だったように思います。倍率は高く、中々入れませんでした。私も市中病院での研修を希望しましたが、有名研修病院には入ることは困難でした。まず、社会人をはじめる時にいきなり厳しいところはNGで、仲間になってくれそうな同期の研修医がそこそこいるところで研修をしたいと思いました。医学生の学外実習で3週間実習させて頂いた加西病院の雰囲気がよかったのと、院長の山邊先生の熱心なリクルートもあり初期研修先として選択させて頂きました。予想通り、居心地はとてもよく、循環器疾患から呼吸器疾患・神経疾患まで幅広く研修させて頂き、一通りのことはできるようになりました。ただ、研修医で慣れない事も多かったせいか、病棟業務に時間がかかり、仕事を体で覚えたため我流になりがちでした。それに気づいたのが、2年目の冬くらいで、後期研修募集はすでに締め切られていました。そこで、加西病院に外勤医として来られていた当科教授の西村善博先生(当時助教授)に相談させていただき、大学病院で研修してみてはとお誘いを頂きました。多くのスタッフのいる病院であれば体系だった仕事もできるのでは?と思い、異動することになりました。


神戸大学病院での研修
 西村先生の取り計らいで、半年間は総合診療科、半年間は呼吸器内科というフレキシブルな研修を組んでいただけました。大学病院での医療はこれまで自分が行っていた医療とはかなり異なっていました。総合診療科で金澤先生(現加古川市民病院機構)、平岡先生(現東京浦安ベイ市川医療センター)にお世話になりました。二言目は、それはエビデンスあるの?でした。研修医への教育はとても熱心で、エビデンスに基づいた自作のICU管理マニュアルを下さり、大リーガー医との交流や発表の機会を得ることができました。感染症科とのつながりも強く、岩田先生についてこられた先生方とお話しすることもできました。この半年間で受けたエビデンスに基づいた総合診療の衝撃は大きく、もう少し総合診療にふれたくなりました。後半の半年間の呼吸器研修を受ける前に、感染症科後期研修医だった菅長先生(現亀田ファミリークリニック館山)のご助力で、亀田総合病院 総合診療・感染症科に次年度からの研修が決まりました。色々とご迷惑をお掛けした呼吸器内科に少し気まずさを感じながら、後半の呼吸器内科の研修をしました。がん診療が主であり、研究指向が強かったように思います。そのときに永野先生と出会い、学会スライドの作り方、研究への情熱を知りました。呼吸器診療はがんを通して人の終末に携わることができる面白さがあり、総合診療を学んでから呼吸器内科に帰ってこようと思いました。亀田に行く前に、西村先生から「いつかは研究したほうがいいけどな。大学教官としてではなく、先輩医師としてのアドバイスだよ」という言葉が頭に残りました。


亀田総合病院 → 大学院へ
 亀田総合病院は一部医局関連人事で動いている科もありますが、部長職から研修医まで個人応募または、病院からのスカウトで採用されている先生方が主でした。研修医を含めそれぞれ自分なりの意見を持っており、自分の意見を如何に通すために、ディスカッションをすることが多かったです。やはり、私立市中病院であることから、経営面にも配慮する必要があり、担当患者数は多かったです。総合診療・感染症科は特に臨床に重きを置いていたために、朝は午前6時から夜は午後11時ころまで診療していました。総合診療のなかで、慢性疾患に対する恐怖心は薄れ、疾患へのアプローチの仕方を学ぶことができました。ただ、総合診療医としてのアイデンティティーを確立するためには、スーパー総合診療医になるか、なんらかの専門家になる必要があることに気づきました。私が神戸大学時代に将来的には総合診療をベースとした呼吸器内科医になることを大学病院時代から希望していたので、総合診療科研修が終わったのと同時に、呼吸器内科に転科しました。
 呼吸器内科は肺炎から肺癌まで幅広い疾患を見ることができました。加えて、学会での発表は義務であり、臨床論文を書くことも推奨されていました。幅広い呼吸器疾患をみることができ、雑誌の原稿依頼もありました。気管支鏡検査も盛んでしたが、やや我流になっていたため、国立がん研究センター研修に3ヶ月間、派遣を頂きました。がん研究センターでは朝から夕方まで気管支鏡検査を行いながら、論文執筆をさせていただきました。3ヶ月間という短い期間でしたが内容はとても濃く、研修が終わった今もお世話になっております。欧文論文、内視鏡関連本の執筆、国内および国外学会での発表をさせて頂き、研究の面白さと難しさを教えていただけました。
 亀田総合病院から神戸に帰ろうと思った理由に、学年が上になればなるほど、市中病院一本でしていくにはポストが限られていくことがあります。加えて、臨床のフロンティアを築く能力があることが、キャリアアップに不可欠であることが見えてきました。そのためには研究に携わることは不可欠です。家庭ももっていたため、妻にずっと迷惑ばかりかけていたことと、子供の教育環境の必要性も感じました。大学院に行こうと思った決定打は、亀田総合病院で一緒だった後輩の一言です。彼は、途中で臨床医をやめて製薬会社の開発部門に入社したのですが、「海外の先生と話をする機会があるけれども、Ph.D.をもっていないと格下にみられるんだよね」と教えてくれました。がんセンターの先生からの「君は大学の方があっていると思うな。」という後押しもあり、大学院に進むことを決めました。千葉県にいたときもずっと連絡を下さった神戸大学の西村先生のこと、東日本大震災のときにすぐに連絡を下さった永野先生を思い出し、神戸大学大学院に進むことに決めました。研究テーマが、医学生時代にお世話になった分子生物学教室の研究テーマの派生なのは何かのご縁を感じます。


 これが、私のキャリアパスです。参考になりましたでしょうか?書いてみて気づいたのですが、自分で迷いながらも大事な節目では、上司の先生、同期、そして後輩の先生からの助言・助力があったように思います。人とのご縁は本当に大切にしなければいけないですね。

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