国際交流International exchange

国際交流International exchange

United States of America
National institute of Health若林 雄一
Federal Republic of Germany
Charité-Universitätsmedizin Berlin山口 尊
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若林 雄一Yuichi Wakabayashi
第一話

Hello! How are you?
どんなテンションでかけばいいかわかりませんが、これから留学を考えてる人がへーこんな感じなんやと興味をもてるようblog風に書こうかと思います。
自己紹介です。H21年卒で医師10年目の若林といいます。専門分野はneuroradiology(自信なし)で、2018年6月より3年予定でUSAのNational institute of Health(NIH)に留学(就職?)しています。研究室はProf. Robert Bob Innisのlab (MIB/NIMH)で働いています。主にneuroinflamationを対象とした新規のligandを猿、そして人(健常者、患者)に投与して、その動態を研究しています。対象疾患はうつ病などの精神疾患や認知症(主にアルツハイマー病)で分野としては脳の核医学になります。詳しくはgoogle先生で笑。

記念すべき第一回目なのでどんな感じで働いているかを書こうかと思います。NIHはたぶん東京ドーム何個分とかのとてつもない敷地です。地下鉄の駅をおりてからまず入館チェック(空港みたいな感じ30分ならぶこともはじめの一ヵ月ほどだけ)をうけて、歩いて約10分ちょいかけてようやく研究室(Building 10通称ビル10NIHのメイン施設)に到着します。僕の職場は2つの研究室が混在している広めな部屋です。ぼくとおなじPost-doc(主にアメリカ外出身)が5人、大学卒業したての若いPos-Bac(主にアメリカ人)が5人います。今はインド人の同僚と2人の相部屋で和気あいあいと楽しく働いています。大学院時代は11C-PiBを使ってのアルツハイマー病(AD)の研究をしていたので仕事の概念は近いのですが、やることは正直まったく違います。はじめて使うとても高い難解な解析ソフト(PMOD)を同僚に英語で聞きながら英語の説明書や文献をしらべながら使う日々で不安いっぱいです笑。

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今のところのUSAの感想は、まぁ楽しいです。なんせ文化がめちゃくちゃ違います。海外旅行と住むのでは見え方も感じ方もまったく違います。食事、英語を心配していましたがやはりその通りでした。個人的に食事が一番きついです。。それなりに都会にすんでおり、飲食店やおいしい日本食レストランもまぁまぁあるのですがなんせ高い。ラーメンまぁまぁの店もあるんですが、高いです涙(1杯1500円以上)。病院の食堂もうまくないし、高い涙。日本みたいに気軽に一人でさくって1000円で外食みたいな文化は皆無です。なんせ大したサービスないのにチップ払わなければいけないのが本当に財布にも精神的にもきつい!自炊もスーパー結構高いんですね。。いまは家族もきたのでましですが、単身だと食事は大変だと思います。(*単身の場合は彼氏彼女つくってください笑。NIHの他のラボの日本人の先生でこちらにきてから結婚された方もいます笑)

英語ですが、ぼくは半年間net英会話でそれなりに特訓していましたが、まぁきついです。特に黒人の英語、若いアメリカ人の英語、電話がなかなか難しいです。ぼく以外のPost-docはインド人、韓国人、中国人いますがみんな普通にはなして理解しています。僕だけですね、うちのラボで話せないの。こっちにきて本当に日本人は英語だめだなと思います。仕事よくがんばって謙虚で礼儀も正しい・・・ただ話せない。本当に英語話せないだけでかなりのdisadvantageがあります。ただ英語は個人の資質でどうにかなると思われます。ぼくは英語だけは絶対しゃべれるようになりたいし、現地人になるんやぐらいのテンションで来たのでとりあえずしゃべりまくっています。ほぼ毎日の同僚とのランチでも片言のぼくが一番話しています笑。お前日本人ぽくないなといつも言われます笑。まぁみんななんとなくわかってくれます。ただ、やはり疲れます笑。一人でそっとしといてほしい時もありますし、家かえるとなんともいえない疲労感はあります。集中力すごい使います。日本人はカタカナのせいなのかアクセントがおかしいからそこがどうやら他外国人とちがって伝わりにくいみたいです。Thの発音とか日本人気にしますがそんなどころの問題ではないと思われます笑。はやく話せるようになりたいなと思いますが、まぁなかなか難しいです。

なんか悪いことばっかりかいてる気もしますが、いいこともいっぱいあります!NIHのいいところはNIH自体に日本人の先生もたくさんいますし、Washington DCの近くなので他の職業の日本人の方もたくさんいて日本人コミュニティーなんかもあります。日本にいる頃はあまり思わなかったですが、いろんな人と出会って話していろんなことを吸収できるの楽しいなーと思います。あとアメリカは日本のように仕事至上主義ではないですし、いろんなことを考えてする時間もあります。これは最大の利点ですね。物質的には日本の方が便利で豊かですが、生きるということに関しての豊かさや実感はアメリカの方が上な気がします。アメリカのほうがNYなどを除いて田舎だからかな?日本のように閉塞感はあまり感じません。そしてなによりこの年齢になって異文化でチャレンジできるということはとても貴重な経験だと思います。できないことができるようになるのってなにより楽しいですからね。
とまぁとりとめのない感じになりましたが、なんとか生きています笑。よくわからない感想文になりましたが、また今後も更新しますのでよろしくお願いします。
Have a nice day!

第二話

どうも、半年ぶり?です。それでは留学記やっていきます。

といっても給料ももらって三年予定なので留学というよりは就職なんですけどね(自慢)。こんなこと言えるようになるくらい最近はラボに貢献している気がします。 実はこの留学記をかいているまさに今週ついにぼくがリーダーのプロジェクトが始まりました。ここまでくるのくっそ大変でした笑。。

ぼくはもともとやる予定のプロジェクトが来る前からきまっていて、前任者とボスが倫理委員会にすでにプロトコルを出した後でした。 これは今思うと大変ラッキーな環境でした。到着時にはまだ審議中だったので、はじめの4か月は同僚のプロジェクトを手伝うのがメインでトレーニングしてるだけでした笑。 英語もあんまわからないし、解析ソフトも未知のソフトでまったくわからないしで、はっきりいって給料泥棒でした笑。

しかし、年末あたりからいよいよぼくのプロジェクトが認可されそうとなってから状況は一変しました。まず、ぼくがリーダーなのでみんな僕に質問してきます。 ボスにも最後の認可からのプロセスや各部署や同僚への説明などもみんなぼくに任されました。 NIHはなんかいろんな部署やシステムがあってそこにアクセスするのでもいちいちパスワードなども変わりとても面倒です。 いやいやお前ら英語はなせるし、おれはじめての経験やからまったくわかるわけないやん!と思いながら必死こいて準備しました。 もともとデスクワーク苦手なうえに英語なんでトホホでした。。 ぼくのプロジェクトはうつ病の診断・治療むけの新しく開発した放射性薬剤をまずは健常者の人間でためすという前向き研究です。 人間あいてなのでとてもプロトコルも細かく、複雑です。プロトコルに書いてないことはできないし、ちょっとでも違うことをするとすぐ問題になります。 なのでコメディカルや部下に説明するために書類作ったりプレゼンするのも大変でした。。 日本と違ってリーダー以外はプロジェクトをまったく理解していないのでなかなかプレッシャーありました笑。 ただ最後にラボ全体でしたプレゼンでボスによかったで褒められたし、みんなにちゃんとわかったといってもらえて、英語力含め少し成長実感できてうれしかったです。 まぁそこに至るまでみんなに助け求めまくりましたが笑。

という紆余曲折もあり、いよいよ自分のプロジェクトがはじまりました。 今まではゲスト感もありましたが、これからは自分で責任をもってやっていかなければいけないので頑張らなあかんなーという感じです。 ただこういう刺激とかできないことができるようになるのとかがやっぱ楽しいですよね。

しかし、こう研究していると神大の先輩方のすごさを実感します。 こっちの人(うちのラボだけ笑?)はあまり見直しはしません。北斗の拳のサウザースタイルです。 なのでぼくレベルですごい細かいといわれます笑。神大の先輩方は手法や統計なども臨床と両立で大変なのにきっちり手を抜かずされていたので振り返るとほんますごかったなーと思います。 なので僕が言うのも変ですが、皆さんもっと自信満々でいいとおもいます笑。日本人は謙虚なのは美徳ですがやはり成果をアピールするのや自信もちまくるのは大事なのかなと思います。

とまぁこんな感じで元気に楽しくアメリカ生活頑張っています。 あまり思ったように英語がうまくならんこと以外は大満足で過ごしています。 感覚的にはもうだいぶ慣れました。そちらは四月から新年度で大変だと思いますが、アメリカから皆さんのご健康とご活躍祈っています。

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山口 尊Takeru Yamaguchi
自己紹介

医師5年目の山口尊と申します。神戸大学医学部附属病院の放射線診断・IVR科で後期研修をしながら大学院生もしています。趣味はとにかく海外へ行くこと、夢は死ぬまでに世界中の全ての国を旅することです。そんな訳で以前から海外留学したいと言い続けていたのが功を奏したのか、2019年6月から9月の3か月間、日独放射線医学交流計画(GJRA)に基づく交換留学制度のもと、ベルリンのCharité病院(フンボルト大学・ベルリン自由大学附属病院)へ留学することができました。

Charité病院について

Charité病院は病床数3000以上というヨーロッパ最大級の大学病院です。ベルリン市内に4つのキャンパスがあり、僕は主にそのうちのウィルヒョウ・キャンパスで研究をしました。Charité病院は1710年に設立されて以来、細菌学者ロベルト・コッホ、病理学者ルドルフ・ウィルヒョウなど著名な医師を多数輩出してきました。明治時代には森鴎外がCharité病院へ留学していたことがあり、その経験をもとに書かれた小説が『舞姫』です。病院の近くでは鴎外がかつて借りていたアパートの部屋を見学することができます。

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ベルリンでの生活

Charité病院では現地の医師たちの指導のもと、腹部領域の画像に関連する研究に携わりました。まだ論文化できていないので研究内容は秘密ですが、帰国後もそれに関連する内容の研究をしています。ドイツの医師たちは皆流暢な英語を話すので、コミュニケーションは楽でした。忙しい仕事の合間にたくさんの医師が僕の相手をしてくれて、非常に楽しい時間を過ごせました。仕事終わりに一緒に夜の街へ繰り出すこともありました。
週末は国内外をたくさん旅行しました。さらには留学中に1週間の夏季休暇を頂いたので、ボスニア・ヘルツェゴビナを旅しました。9月末にはミュンヘンで現地の友人と一緒にオクトーバフェストに参加、さらにドイツ最高峰のZugspitzeに登頂し、一生の思い出を作ることができました。

留学への準備

留学が決まってから実際に出発するまでは9か月ありました。その間にいろいろ準備しないといけないことがありましたが、まずは大量の書類との戦いでした。各方面へ提出する履歴書、推薦状、証明書など。特に大学はこの留学をサポートしてくれる訳でもないのに、煩わしい手続きや書類提出を要求してきて、留学を邪魔したいのかと思うレベルでした。次に英語です。もともと苦手ではありませんでしたが、留学生活をできるだけ有意義なものにするべく英会話スキルの向上に努めました。CouchsurfingというSNSを通じて、神戸へやってきた外国人旅行者を無料で自宅に泊め、無理矢理英語を話す環境を作りました。9か月で15人くらいをホストしました。その際に仲良くなったドイツ人の家に留学中にお呼ばれするという嬉しいオマケもありました。

最後に

留学中はそれなりに苦労もあった気がしますが、そんなことは忘れてしまうくらい楽しく充実した日々でした。留学を支援してくれた全ての方々に、この場を借りて感謝を申し上げます。ありがとうございました!

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