神戸大学大学院医学研究科|生理学分野(内匠研)

研究内容

こころを科学する

脳機能の分子的基盤 ―遺伝子から見た脳、そしてこころ

「ヒトの脳でヒトの脳を理解することができるのか」脳研究は、言わば人類に残された最大の謎の一つです。ヒトゲノム計画が終了し、次々と生物のゲノム構造が明らかにされる現在、21世紀は遺伝子の機能解析の時代と言われています。今後明らかにすべき領域の中で、非常に困難でありますが興味深いものとして、脳機能があります。

我々の研究室では、脳機能とりわけ精神機能の分子的基盤を理解することを目的として、分子生物学的アプローチを基本として取り組んでいます。また分子だけでなく、神経回路を明らかにする生理学的アプローチも大きな中心課題です。精神機能というこれまで生物学的解析から一番遠かったこの研究領域の最大の問題点は、的確な定量的アッセイ系が欠如していることです。ある現象を分子に置き換える際に、もっとも威力を発揮するのはForward geneticsですが、精神機能のForward geneticsといえば、ヒト精神疾患の遺伝学になります。しかしながら、これにも大きな問題点があります。すなわち、精神疾患の診断はDSM-5という診断基準があるものの、血液検査や画像診断のようないわゆる機械化できる客観的診断方法がありません。また、精神疾患そのもの自体の特殊性があり、特に日本においては臨床例を用いた研究はアプローチしにくいという難点があります。これらの状況下において、現在とりうる戦略の一つとして、1)発生工学的手法を用いた染色体変異マウスによるヒト精神疾患モデルマウスの作製とその統合的解析を試みております。我々は世界に先駆けて、自閉症のCNV(コピー数多型)モデルをヒト型モデルマウスとして構築することに成功しました。統合的解析の中では、OMICS解析、エピジェネティクス解析、細胞生物学的解析、神経化学的解析、行動学的解析、形態学的解析、電気生理学的解析、イメージング等、様々な観点からの多階層レベルでの解析を行っています。また、社会性の神経回路の同定を目標に、オプトジェネティクスやバーチャルリアリティーシステムを用いた新規イメージング手法を利用した新技術の開発にも取り組んでいます。さらに、ゲノム編集の技術も進歩し、それらを利用した「次世代」染色体工学を構築しています。これらで、網羅的ヒト型細胞モデルを構築し、さらにオルガノイドを作製して機能解析に迫ります。

別法的アプローチとして、2)Reverse genetics法による精神行動異常候補遺伝子の探索及びその解析を行っています。今や、「精神疾患はスパイン(シナプス)の異常である」といっても過言でない時代になりました。神経細胞の局所翻訳に興味があるので、これらとスパインの関係が明らかになることで、その異常としての精神疾患が見えてくるのではないかと期待しています。

内匠はこれまで長年にわたり、脳機能の中でも概日リズムの分子機構に関して研究を進めてきました。哺乳類の時計遺伝子同定以来、この分野の研究は、生理学もしくは神経科学の一マイナーな分野から先端生物学をリードする分野の一つに成長してきました。ご存知の通り、2017年のノーベル生理・医学賞のテーマであります。生物の概日リズムは、遺伝的プログラムの支配下にあります。すなわち、時計遺伝子の点変異体で生体の行動が変化するという表現型がショウジョウバエ(per変異体)からヒト(睡眠相前進症候群)に至るまで保存されています。これは、極めて驚くべきことで、「遺伝子」から「脳機能(行動)」に至るまでの経路が必ず結びついていることが証明されているということであります。二つ目には、概日リズムのアッセイ系がin vivo, in vitroともに定量的であり、脳機能分子(時計遺伝子)のアッセイはそのmRNA或いは蛋白の定量そのものという単純なものであるという利点であります。前述の通り、現在の脳機能の分子基盤的研究の大きな問題点が、適切な定量的アッセイ系の欠如であることを考えると研究を進める上で極めて有利な点であります。さらに、生物時計の中枢、すなわち哺乳類の場合の脳視床下部視交叉上核のみならず、末梢組織や培養細胞においても基本的時計機構が備わっているという特徴を有していることです。末梢器官で脳機能のアッセイができるという利点があるばかりでなく、培養細胞においてもリズムのアッセイ系をみることができるということから、脳機能の生化学、分子生物学が通常の細胞生物学的実験レベルで行えるというメリットもあります。概日リズムは、自律神経系が関与する全ての末梢臓器をアウトプットとしているので、全ての臨床の先生方との共同の研究テーマを見つけることができます。我々としては、この概日リズムのアウトプットとして、睡眠・覚醒リズム障害のみならず、気分障害や自閉症といった精神行動異常との関連に注目しています。そこで、第三のアプローチとして、3)分子的基盤及び定量的アッセイ系の確立した概日リズム研究の切り口から精神行動異常に迫るというものです。また、自閉症・発達障害と概日リズムの両者を専門とする世界でもユニークな存在として、自閉症・発達障害と概日リズムを結びつけるプロジェクトを進めていきます。

今広く疾患生物学の中で慢性炎症を含む免疫系と疾患の関連が強く示唆されています。「すべての疾患は急性炎症と慢性炎症の二つに分けられる」と言ってもよい、いわば病理学総論や病因論の変革の時代がやってきました。精神疾患も恐らく同じカテゴリーにある訳で、最近、免疫系との関連での仕事も模索しています。よって、最後のアプローチは、4)慢性炎症を含む免疫系シグナル異常と精神疾患の関連解析です。勿論、腸内細菌もやっています。

すべてのアプローチにおいて、ゴリゴリのWet biologyだけでなく、バイオインフォマティクス、シミュレーションといったDry biologyも重要なことは言うまでもありません。特に、これからはAIをはじめとする情報科学との融合領域、そしてヒトのバイオロジーへも挑戦していきます。