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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記


忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2020.03.17 
 とうとう帰国となり20回目のこの体験記を帰路の飛行機の中で書いています。3年間日本に帰ることがなかったので飛行機の中がほとんど日本人なのに少々戸惑っています。そしてスウェーデンを惜しみながら、久しぶりの日本を楽しみにしているところです。

 帰国時には出国時同様多くの仕事があります。プライベートではまず引っ越しがあります。我が家はそれなりに大きくなった子ども2人と、買い物が大好きかつ物を捨てるのが大嫌いな妻がいますので飛行機の手荷物だけでは当然対応しきれません。そこで今回私たちはAri Cargoを使用することにしました。まずこちらで知り合った日本人に業者を紹介してもらい1か月ほど前に連絡をとりました。業者といっても仲介を担当する個人で電話で当日までの段取りと必要書類に関して説明を受け荷物を準備し始めました。段ボールの他、椅子やマガジンラックなどもあったため適宜その担当者と連絡を取り合いながら荷造りし、気づけば30個になっていました。前日に書類の不備などがあり何度かやり取りしたのちようやくOKをもらい、当日に運送業者が荷物を取りに来ました。スウェーデンらしいのはこの運送業者はあくまで「運送だけを担当する」業者であって家にまでは荷物を取りに来ません。妻の友人にも手伝ってもらいすべてマンションの入り口まで荷物を運びそれを車に乗せ作業は完了しました。その後数時間たって再度担当者から連絡があり荷物の総重量とinvoiceが送られて、指定の銀行にお金を振り込むとすべて終了です(思っていたよりずっと安価で助かりました)。ただこの手続きは東京までのもので、その先は日本で手配することになっています。つまり今後日本での作業がさらに必要となるわけです。大量に送った陶器類が割れてないか、家までの運送がされるのか、税関関係はうまくいくのかなどいまだ心配は尽きませんがひとまず荷物が行ったことに安堵しています。その後も家の引き払いのため掃除など、あっという間に最後の1週間が経ってしまいました。その間もちろん仕事をないがしろにするわけにいきません。ボスに自宅勤務を申し出て引っ越しやクリーニングを(さらには食事の準備や洗濯、子どもの送迎などはいつも通り)しながら時間を見つけ、Revise中の論文に追加データをまとめたり、Submit間近の自身の論文の本文と図を修正したりととても大変で忙しい日々でした。出国時にはコロナ騒動で多くのフライトがキャンセルするなか幸いにも私たちのはスケジュール通りで無事に日本に帰られそうです。

 今回はMDの研究留学について書かせていただき留学を総括しようと思います。これまで各先生がこのテーマについて書かれていますがおそらくこのテーマに関しては個人の体験や留学先の状況や仕事内容、留学前の状況と留学までの経緯によって大きく異なるものかと思います。逆を言えばこれは私の独断であり個人的な意見に過ぎません。なのでここに書くのは「臨床教室にいてほぼ臨床しかしたことのないMDが海外の基礎教室で基礎研究のみした」体験です。このテーマを書かせていただくにあったって「仕事(キャリア)」と「プライベート」という2つの視点から述べていきたいと思います。

仕事(キャリア)
 正直に書かせていただくと仕事やキャリアの点に関してはプラスマイナスゼロというのが今の私の結論です。プラス面は私にとって全く新しい仕事をこの年齢で体験できたことです。医学(生物学)といえども基礎研究は私にとってはこれまでしたことのない全く別の仕事をするのに等しいものでした。仕事内容はご存知の通りなのですが、論文からこれまで明らかになっていない分子生物学的事象を知り、仮説を立てたのち(細胞やマウスを使った)実験計画を練って、ボスや共同研究者の意見を聞きます。OKが出ればその実験を開始し、もちろん順調には行きませんので軌道修正しながら結果を出します。残念ながらほとんどがネガティブな結果ですので仮説を再考し軌道修正しながら実験計画を練り直します。ポジティブな結果が出ても確認実験だけでなく、論文や学会発表を実現するために更なる実験へとステップアップしていきます。この間にはミーティング・セミナーでの発表、関連論文の抄読会、共同研究者とのディスカッション、Applicationの準備、データ整理など研究者の仕事は実に多彩で気が抜けません。もちろん臨床との接点はありますが基礎研究は臨床応用よりメカニズム(分子間相互作用やシグナル伝達経路)に主眼が置かれるため全く別の仕事のように感じられるのです。

 更にこれに関連するメリットもあります。(当初は様々な困難を感じましたが)基礎研究を続けているうちに少しだけ「別の視点」で病気を見ることが可能になりました。例えばかつての私はある薬剤がある病気に効果があると知ると臨床研究の結果のみに興味を持っていました。それで十分臨床業務には事足りるわけで、基礎的な内容は理解困難な上非実用的な内容も多く含むため情報収集を怠っていました。基礎研究的視点は薬剤の効果や検査原理に関わる根幹となることも少なくありませんのでこれらの理解が少しでも進むこともしくは理解を進める術を持つことは臨床を別の視点からもとらえ、全体としてより深く知ることにつながることになると思うのです。おそらく今後私は研究をする時間があるとしたら、臨床研究やトランスレーショナルリサーチにより重きを置いたは研究となると予想されます。これらの研究は臨床的視点から問題点を抽出できる患者もしくは医療者のための研究だからです。しかしここで身に着けた基礎研究の考え方や視点はより臨床研究を深めてくれるものではないかと思うのです。長々と書きましたが臨床研究に基礎研究の視点を持ちながら向かえるというのが(臨床家の)基礎研究留学のメリットだと思います。

 もう一つのメリットは研究以外の業務から完全に解放され研究に集中できることです。(私の大学院時代のような)臨床教室での研究は病棟フリーといえどもやはり(研究以外の)当直や学生指導からは解放されません。場合によっては減った収入を補うために時間外や休日にこれまで以上に臨床をすることもあるでしょう。今回私の場合は日本での職を辞してきているので研究以外のデューティーは全くありませんでした。労働時間は概して日本より短く考えられるので空いた時間をさらに仕事につぎ込めば日本より多くの仕事をすることさえ可能と思います(私はプライベートに費やしましたが)。

 しかし率直に言えばマイナス面も決して無視はできません。まず収入面です。私はこちらでは生活に十分な給料(奨学金)をいただいていますが日本と比べて額面は減りますし、補充するためのバイトも事実上不可能です。そして実務面です。私の場合特に言葉の問題も無視できなく、同じように仕事をするのでさえ(つまり日本にいて基礎教室に内地留学する等の同様の状況と比べて)ハンディです。実験手技教わるの一つでも時間がかかるし、正直な印象では日本人の方があらゆることがきっちりしていますので総じて教えてくれる人の質も日本の方が高いのではないかと思います。さらに研究テーマも変えざるを得ないことが多いことも現実です。これは特に私のように臨床ばかりやっていたことが多分に影響するかと思います(こちらにいる基礎研究者は日本と同じテーマもしくはその延長で仕事をしているケースが少なくないです)。業績に関しても(退職してきていますから)前職の業績は継続して増えていかない上にこちらでの業績を出すまでには時間がかかりいわゆる「ブランク」が長くなってしまうことにもなります。更にスウェーデンという国柄もあります。競争が激しくなく、(スウェーデン人だけでなく他国から来た研究者も)あらゆることにのんびりしているという印象です。発注して実験機材・試薬が届くのも時間がかかりますし、(休暇が多くかつ取りやすいので)スタッフが抜けて仕事をストップせざるを得ないこともあります。つまり自分以外の要素で実験が遅れていくことが多々あるわけです。その間に既存の患者データを使用するような臨床研究をするわけにはいかないのも基礎教室のデメリットということになります。研究留学の大きな目的の一つは論文を作成することだと考えています。しかし先ほど申し上げたように基礎教室ではメカニズムを解き明かすのを使命としており、「よくわからない」けど薬が効いたりコントロールと差が出たりということだけでは論文にできません。そしてメカニズムを解き明かす方が概して時間がかかるというのが私の印象です。なので論文を作成するという目的を果たすためにスウェーデンで基礎研究をすることは決して容易ではないと思うのです。

 また日本で年々困難になりつつある専門医の更新や研修期間にも影響します。例えば小児科学会などで専門医更新に必要な単位をこちらでそろえるには海外の学会に出席するもしくは論文を書く、オンラインで稼げる単位があれば稼ぐ以外に方法はありません(基礎単位はほぼ稼げません)。海外留学に伴う休会が制度として整っている学会もありますが残念なことに小児科関係は休会制度があるほうが珍しいです。留学が長期化すれば専門医更新ということにも影響しかねないでしょう。このようにメリットの反面デメリットも決して無視できないことから総じてプラスマイナスゼロと考えました。

プライベート
 この点はトータルしてプラスだと思います。家族との時間が増えた上に海外旅行にも気軽に行くことができます。また日本の時のように勤務時間外に職場からの連絡はほとんどありません。また以前の体験記でもご紹介したように日常で当たる困難(例えば家電の調子が悪い時など)ちょっとしたトラブルの解決策が比較的容易になりました。これは研究生活で培った問題点を抽出して解決法を自分で考え最終的に解決するという研究の思考プロセスができてきたらかと思います。

 また国や職業を超えて様々な人と知り合え交流できたことは大きな財産でした。これまで世界中の人文学・社会学・工学・理学・農学のアカデミアだけでなく企業にいる研究者たち知り合うことができました。興味深い異分野での研究の話のみならず、お金(予算)の問題、ポジションの問題など共通の話題もあり時にはシリアスに、時には雑談で話すことが可能でした。また多くの時間をプライベートつまり子どもたちや家族と過ごしますが、それぞれが作った友達とも過ごしますので家族ぐるみで時間を過ごす機会も格段に増えました。おかげでお茶会(FIKA)や食事会を毎週のように楽しむことがかないました。それだけでなく妻の仕事や住む家をあっせんしてもらったり引っ越しを手伝ってもらったり(もちろん手伝ったり)と様々なことで助け合うという関係にもなりました。

 最後にはやはり語学でしょう。私はこれまでの体験記でさんざん英語に苦しめられてきたことを書いてきましたがそんな私でも(他者と比べたりしなければ)確実に英語のレベルはアップしたといえます。これは聞く話すのみならず書く読むについてもより億劫にならなくなりました。また私の場合はスウェーデン語も少し操れるようになり日常生活で英語を話すことはなくなりました。(とうとうスウェーデン語の初級クラスSFIを卒業しました!)。スウェーデン語の勉強は(英語もおぼつかない私には)とてもチャレンジングでしたが、意思疎通ができた時の喜びはひとしおでした。

 ネガティブには留学前後の引っ越し等生活セットアップなどでしょうか。私たちの場合は実家と神戸と離れており、持ち家がありませんでした。ですから日本の時から引っ越しや家を引き払う作業に追われ、ようやく終わったと思うとスウェーデンでの生活のセットアップなわけです。家具つきアパートを先方の大学がアレンジしてくれていましたが(正直これには心底救われた思いでした)、間髪入れずに子どもの学校のこと―私の家庭では上は小学生、下は幼稚園―さらに妻は英語も話せずスウェーデン語の学校に行き始めたわけで自分の仕事も覚束ない中それらをすべて一人でマネージする必要があり、最初は困難に困難を極めました。その間にネットの導入や家での不具合の対応、家事育児もあったため今思い返してもパニックでした。さらに役所仕事も待つことが長くて、何か落ち着かない日々が半年~10か月程度続きました。また帰国時もしかりです(冒頭に述べたとおりです)。これから神戸での住居や引っ越しが待っていますのでまだまだ気の抜けない日が待っています。これにコロナパニックが重なっているのでいまだ不安だらけなわけです。

 このように決して楽で楽しいことばかりではありませんでしたが総じてとても貴重で他では経験できない体験でだったと思っています。機会があれば是非ともまた行きたいとでさえ思います。このような機会を与えてくださった杏林大学楊先生、飯島先生、野津先生、貝藤先生にこの場を借りて改めてお礼を申し上げます。そして一言も日本に帰りたいと言わず、スウェーデンライフを目いっぱいエンジョイしていた妻と子どもたちに感謝しつつこの体験記を締めくくりたいと思います。
最後までお読みいただいたみなさまもありがとうございました。

Vasaloppet

北欧といえばオーロラ。スウェーデンの中でも北極圏にあるアビスコで見たもの。
こちらではオーロラのことはNorthern lightsと呼びますがスウェーデン語のNorrskenの直訳です。


 
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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2020.01.23 
 遅くなりましたが皆さまあけましておめでとうございます。こちらは1月に入り急速に日が伸びていますがやはり朝晩が薄暗いことには変わりがありません。例年この「暗さ」はクリスマスを過ぎるあたりから気にならないのですが今年は暗いままだなと感じます。その原因は雪がないことだと気づきます。温暖化の影響かスウェーデンでも今シーズンはほとんど雪が降らなく、降ったとしてもすぐに溶けてしまいます。子どもたちは雪を心待ちにしているのですが1月に入ってもまだ一度も雪はありません。

 今回は年越しをこちらに在住している4家族と過ごしました(4家族とも奥様方は日本人で旦那さんたちはみなスウェーデン人でした)。夕食を食べたり星を見たりしていたのですがついにボードゲームをすることになりました。こちらでは(クリスマスなどで)家族・親戚や友人と長い時間を過ごすのにボードゲームやカードゲームが良く行われます。もちろん私も参加するわけなのですがこれがなかなか大変でした。スウェーデン人は英語を堪能に操りますが私以外全員スウェーデン人という状況では当然スウェーデン語のみで会話が進みます。ホスト家のご主人がゲームの解説をしてくれましたが、ゲームが単純でない上スウェーデン語が分からずはじめはチンプンカンプンという状況でした。それでも他の参加者もしたことのないゲームでしたし自分の番に何をすればいいのかくらいは理解しましたのでひとまず始めてみることにしました。途中質問を繰り返しながら、少しずつコツをつかみやっとゲームの全体が分かった!と思うとすでにゲームは終了しています。これはちょっとした修行に近いなあと思っていると別のゲームで2回戦が始まります。ようやく12時(年越し)を迎え解放されたときには相当な疲労具合でした。花火は日本では夏の風物詩ですが、こちらでは新年にあがります。(例年我々家族はウプサラにいるので)今回で実に3回目だったのですが前述の「修行」も含め最も思い出に残る年越しとなりました。

 年が明けて(日本と同様)休日が重なり仕事の本格始動は1月2週目からでした。仕事開始後まもなくしてサブプロジェクトのレビューが返ってきたため、しばらく実験のセットアップや計画に追われました。自身のプロジェクトも徐々に始動し始めていますが、ここ半年で思ったほどの進捗が得られなかったこともあり少し足踏み状態です。それでもボスや同僚が熱心に手伝ってくれるので何とか進めているところです。 今回はスウェーデンのスポーツを取り上げたいと思います。こちらでは暗く長い冬には運動が大切と考えられていて外を走る人も少なくありませんし、スポーツジムはいつも盛況です。また雪が降ればウィンタースポーツも盛んですので有名選手を取り上げながらスウェーデンのスポーツ(と選手)をご紹介したいと思います。

スキー (skidor)
 アルペンスキーよりもクロスカントリースキーがより盛んです。高い山がないからかなとも思ったのですが、とはいってもウプサラやストックホルムでも少し郊外に行けばリフト付きのスキー場がありアルペンスキーを楽しむことができます。でも森が近くにあるスウェーデンではクロスカントリースキーはより身近なのだと思います。毎年冬になると森に複数のクロカンのコースがつくられます。また例年Vasaloppetといって夏には自転車(写真1)、冬にはクロスカントリーの大会が開かれ市民も参加できます。日本で言うとマラソンのような人気ぶりで抽選で参加者が決まります。ちなみにスウェーデンにおける冬季オリンピック開催はいまだありません。2026年に立候補したようでしたがイタリアに敗退して予定はなくなりました(この時会場として立候補したオーレはスウェーデン内でも最も有名なスキーリゾート地です)。そのほかバイアスロンも比較的盛んです。

Vasaloppet
昨年夏のVasaloppet。自転車競技のゴール付近です。
オフロードをマウンテンバイクで走っています。
冬のクロスカントリーは3月に開かれるので行くのは難しそうです。


スケート(skate)
 冬になると街のいたるところで池や広場を利用して野外のスケートリンクがつくられます。また屋内スケートリンクが無料で開放されることも珍しくありません。もう少し寒くなれば娘の学校の校庭にも手作りのスケートリンクがつくられて授業でもスケートをするようになります(が今年はどうなることやら)。アイスホッケーはサッカーと並んで非常に人気のあるスポーツでHenrik Zetterbergというアメリカで活躍する選手は有名人の一人です。またBandy(アイスホッケーのパックの代わりにプラスチック製のボールを相手ゴールに入れる競技)というスポーツも盛んで毎年ウプサラで学生と社会人を含めた全国リーグの決勝戦が行われ人気を博しています(写真2,3)。またその他にカーリングなんかも比較的身近にあるスポーツといえます。

バンディファイナル
昨年のバンディファイナル。
試合中の写真はありませんが氷の上を小さなボールを追いかけ相手のゴールへ入れるというもの。
早すぎてボールがどこにあるのかしばしば見失います。
試合前にはサポーターが街を練り歩く姿も(チーム毎にサポーターの数の差があるのも面白い)。


その他のスポーツ
 サッカーはやはり人気スポーツです。私の住むウプサラにもチームがあり一時期日本人も所属していたようでした。ラボのすぐ近くの競技場はこのチームの試合が良く行われ毎回多くのサポーターや観客でにぎわいます。スウェーデンの有名サッカー選手は何といってもZlatan Ibrahimovićです。貧乏な家(両親は移民のようです)から英雄になったサクセスストーリーは子どもたちの教科書だけでなく移民向けのスウェーデン語クラスの教科書にも登場するくらいで、スウェーデンに住む人誰もが知る国民的英雄なのです。Björn Borgなどを輩出したテニスも世界的に有名でしたが残念なことに今はそれほど有名な選手はいないようです。

 私のかつて小中高とやっていた陸上競技にも触れさせてください。(私の)引退直後の予備校時代に見た世界陸上は今思い起こすとスウェーデンの第2の都市ヨーテボリで行われていました。当時はマイケルジョンソンの全盛期でしたのでその記憶しかないのですが。。。スウェーデン選手といえば跳躍で有名です。2004年アテネオリンピックで男子走高跳、男子三段跳、女子七種競技で金メダルを取っています。また(かつては陸上競技の一部であったようですが、)スウェーデン軍の斥候訓練が大元とされるオリエンテーリングも盛んであり、他の北欧諸国と同じく強豪国といわれています。ちなみに今年はウプサラは7月にスウェーデン全土から選手が集まるオリエンテーリング全国大会の開催地になるようです。

 蛇足ですがつい先日Swedish Openという国際的なバトミントンの試合がウプサラで行われました。例年日本人の参加選手も多く、上位の多くが日本人が占めていました。他の大会同様ヒーローインタビューのようなこともあるのですが日本人参加選手のほとんどがスウェーデン語は(おろか片言の英語も)話せないようで、前日に妻の所に(スウェーデン語⇔日本語)通訳の仕事が舞い降りてきました。当日も立派に一仕事やり遂げた妻を誇らしく思う反面、自らの英語はいまだもって目も耳もふさぎたくなるあり様です。すでに時遅しですが残り数か月で少しでも上達できればなあと思っています。今回はこの辺で。

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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2019.12.23 
 12月に入りAdventを皮切りにどこもかしこもクリスマスムードになります。クリスマス商戦も11月末のBlack Fridayから始まるといわれ街はいつも以上に活気づきます。子持ちの家族は多かれ少なかれおもちゃ屋にもお世話になるわけですがこちらもすごい人でした。そうこうしていると中旬にはルシア(Lucia)祭があります。私にとってはスウェーデンのイベント中では最も好きなイベントとなりました。ルシアはもともとイタリアでキリスト教の聖女ルシアの命日ということから始まり、スウェーデンに持ち込まれここでの光の妖精Luciaと合わせて現在の(スウェーデンでの)形になったとされます。ルシア(Lucia+tarnor)のほかサンタや星の使い (stjarngossar)、クッキーに扮した子供たち(pepparkaksgubbar) が一列に並ぶためルシア列車(Luciatag)という名がつけられています。サンタルシアの歌に合わせて入場した後は30分程度歌を歌いまた同じ歌で退場します。娘の通う学校では毎年歌う学年が決まっており、まさに今年は上の娘がその歌う学年にあたり、その日一日は近所の老人ホームも含めて4回のどがかれるまで歌ったようでした(写真)。また翌日には娘たちが所属しているコーラスグループでもお披露目の機会があり、教会で計2回歌わせてもらっていました。この時期はその他職場では送別会であったり大掃除であったり、またNobel賞講演会が開かれたりとどの国でも年末年始はやはり忙しいのかなと思っていました。

 今回はスウェーデンでの「やり直し」について書いてみたいと思います。スウェーデンでは多くの成人も働いた後に学びなおしたり転職したりすることが少なくないようです。私もかつて理学部で学んでいる途中、ふとしたきっかけから医学部へ進路変更をした経験があります。しかし日本ではこのように回り道や進路変更は一般的ではありませんし少なくとも歓迎はされません。医学部にはこのような人が多いといわれていますがそれでも定員の1割多くて2割程度の少数派にとどまります。一方スウェーデンでは学び直しや転職がごく一般的と言われています。実際にどんな背景があるのかということを独断と偏見でまとめてみることにしました。

 一つ目はやはり何と言っても大学や生涯学習も含みすべての教育機関で学費が無料ということが挙げられます。学費だけでなく学習に必要な教材等まで貸与されることが多いです。高校では様々なコースが準備され、いったん入学しても別のコースに変更することも可能なようです。学校によっては個別にカリキュラムを組むことができるようです。大学・大学院では多くの奨学金も年齢制限はなく在学中ではいつでもチャンスがあり生活に必要な資金を親に頼ることなく調達することが比較的容易です(注;今日では一部返済義務のあるものもあるようですし、EU外からの学生は学費を払うように近年求められてきているようですので世界中すべての人に当てはまらないかもしれません。)

 二つ目は再就職がしやすいこと。雇用する側も即戦力を望むためある程度経験を積んだ中途採用が多いと言われています。逆に新卒の採用が少ないのではとも思うのですが大学で学んだことやsummer job(夏休み限定の仕事)のような職業体験(いわゆるバイトのようなもの)によって採用のチャンスが巡ってきます。私の知り合いの会社では新卒と中途は約半々だそうです。また別の方の話では同じ企業に勤めると給与の上昇がわずかで転職によって望む給料を得るともいわれています。なので同世代であっても中途採用のほうが給料が良い傾向にあるらしいです(私信のみでバイアスがある可能性あり)。先日のニュースでは平均的には5-10年くらいで職場をかえる人がほとんどのようです(仕事そのものを変えているかは?ですが)。ちなみに年金は個人が税金の中から積み立てているシステムをとっており日本のものとは異なります。老後もらえる年金額はそれまで納めていた税金額によるのでどこに何年勤めていたかは無関係なのです。

 三つ目は若者特に高校卒業後には親元を離れるのが一般的という社会風潮があります。なぜこのようになったのか歴史的背景までは存じ上げないのですが私の家のオーナーもかつて日本に2年在住経験がありますし、研究室のテクニシャンの息子は来年から海外でのスポーツ研修を予定しているようです。少なくともいえることは高校卒業後の進路が実に多種多様なのです。そして学び直しや、就職・再就職に年齢はそれほど関係がないように感じられます。

 ちなみに私のように回り道の後に医師になる人はやはり少なくないと聞きます。しかしやはり医師になるのはスウェーデンでも容易ではありません(昨年のUppsala大学では最難関コースだったようです)。日本のように一発勝負の入学試験はないとも聞きますがその代わり、小6から高3までの成績(大学への入学は特に高校時代の成績が最重要)で進学が決まるようです。また高校間の格差もあるため統一テストの結果も考慮されるようです。聞くところによると医学部入学に必要な成績は該当科目でほぼオールAであること。我が身を振り返ると、部活に熱中したしまったせいもあり特に高校の成績なんかはとても見れたものではありません。私の場合、日本で一発勝負だったから叶った医学部進学、スウェーデンではとても無理だったなあと感じています。過熱しすぎていると言われている現在の日本の受験制度も、個人的には悪くなかったのかなとも思うのでした。

 今回はこの辺で。皆さんよいお年をお迎えください。

Linneの家
学校でのルシアコンサート


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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2019.11.26 
 10月末にサマータイムを終え日がどんどん短くなっています。昨年同様私自身この季節が好きになれないのですが今年はようやく余裕ができてこの「つるべ落とし」のごとく暗くなっていく様を少し楽しんでいます。各地ではこの何もない季節に「明かりの祭典」のようなことをしていて、あちこちで芸術的な明かりがともされ街を彩ります。
 仕事面では学会も終わりまとめに入りつつあります。1つの(サブ)プロジェクトでは今月は入り論文を投稿しました。自分の論文はデータを整理しながら図を作成したり本文を書いたりしています。ここにきて新しいことはもうないだろうとたかをくくっていたところAdobe Illustratorというこの業界では頻繁に使用されるソフトでのデータや画像をFigureにする作業に現在は苦戦しております。これまで私の書いてきた論文は表や統計データが主でしたのでpptやWordで作業することばかりだったわけですが、初めてAIを使用し面白いなあと思う反面どうしてこんな面倒なソフトを使うのかという疑問もわいてきます。幸い周囲にはこのソフトに精通している人ばかりなので行き詰まったら気軽に質問しながら毎日四苦八苦しています。それと並行して仕上げた本文をネイティブに見てもらったり直してもらったりストーリーを考えたり不足している実験を計画したりと忙しく過ごしています。

 また11月はMovemberと言ってスウェーデンだけでなく欧米の各国で口ひげ(Mustacha)を伸ばすというキャンペーンが行われます。なぜ口ひげなのかですが、前立腺癌や精巣腫瘍のキャンペーンなので、おそらく男性らしさの象徴としてと考えられているのだと思います。スウェーデンでは暗くて気分の落ち込む時期には自殺率が上昇するとのことで男性の自殺防止のキャンペーンを包含するものとなっているようです。ラボの男性陣の大半は毎年しているのですが私自身も3年目にして初めてこれに参加しています。少し伸ばすだけでも顔の見え方が変わってしまうので娘たちには評判が悪いのですが楽しんでやっています。

 今回はスウェーデンの有名人Carl von Linne(写真1)を取り上げながら、再度我々の休日を紹介させていただきたいと思います。
Linneといえば言わずと知れた植物分類学の父です。最初1年間はルンド大学に学んでいたようですがその後はウプサラ大学で学びのちにウプサラ大学の教授を務めています。ここまではWikipediaにも載っているわけなのですがここウプサラにはリンネが過ごしたといわれるゆかりの地がいくつかあります。

 まずはLinnes savjaです(写真2 左)。ここはウプサラの中心からバスに揺られて20分程度のところです。ここには2つの建物が建てられていて、Linneが主に研究や本の執筆のために使用したとされます。この周囲にはLinnes vagと呼ばれる道がありLinneは森に生える植物を学生らとともに観察したといわれています。我々はここで夏至祭(Midsommar ;詳細は貝藤先生の体験記を御参照ください)を楽しみました。ここの夏至祭はまさに「地元の」スウェーデン人が行くようなところで(実際観光客はいなかったようでした)、たまたま私達のアパートのオーナー家族とも遭遇しました。夏至祭自体はよくあるありふれたものでしたが、Linneに扮した初老のおじいさんが楽器演奏に合わせて踊っており、今でもウプサラの人に愛され誇りに思われていると感じました。

 次にはLinnea Hammarbyです(写真2 右)。Linnes savjaからおよそ10㎞の位置にあるのですがかなりアクセスが悪くて通常の公共交通機関で行くと歩行距離が2㎞もあり辺鄙です。我々はちょっとしたお祭りに合わせて走る特別列車+バスを利用して夏の最後に訪れました。ここはもともとLinnesが家族とともにサマーハウスとして使っていましたが、街で疫病が流行したことをきっかけにLinne以外の家族が住むようになりました。広大な敷地の中にはいくつもの建物が立っていましたが実際にすんでいたのは2棟だったようです。庭(というより畑!)ではリンネが研究用に植物を植えていたようです。夏には植物学を学ぶ学生を招いて特別授業もしたようです。

 最後ですがLinnes tradgarden(庭園 写真3)です。この庭園は実はもともとOlof Rudbeckという医学者がスウェーデン初の植物園として作ったものでした。このRudbeckは私が今いる研究所の名前の由来となった人でリンパ管を初めて見つけたとして有名です。この方は実は植物学にも造詣が深く、その息子はのちに植物学者となりました。そしてリンネはこのRudbeckの息子の弟子だったとされています(この話はあるときに私のボスが誇らしげに話していました)。町中にあり庭園自体はそれほど大きくないのですが数少ない観光名所として今でも観光客が訪れていますし定期的にイベントも開かれています。
 蛇足ですが温度単位である「摂氏」はもともとCelsiusというウプサラの天文学者が考え出したとされています。当時の水の沸点を0度、氷点を100度としていて、現在とは逆の目盛りでした(大学附属の博物館に展示されています)。これを現在の氷点を0度、沸点を100度としたのはLinneだといわれています。

 このLinne、私のボスが大好きで、かつ(同じ出身大学で教授であったことを)誇りにも思っているようで、海外での講演でウプサラ大学を紹介するときに必ず出てくる人物です。かつて私がインタビューに訪れた時にもLinneの話をされましたが「よく知りません」といったところ「え?本当??」って顔をされたことを今でも思い出します。恥ずかしながらこの分野を大雑把にしか知らなかった上Linnesの発音が分からなく(リニィエと発音します)、 taxonomyの単語の意味を知らなかったのがネックだったようでホテルに帰って知った時にはお酒で赤くなった顔が更に赤くなりました。Linneのことは一般教養のレベルなのでしょうが、英語のみならず訪問先の大学の下調べをしていくことがインタビューにおいて大切だという若い人への教訓でもあるかもしれません。
今回はこの辺で。


リンネの肖像画
(写真1)リンネの肖像画。


Linneの家
(写真2)Linneの家。比較的町の中心に近いSavja(左) と郊外のhammarby(右)


Linneの書いたとされる本の一部
(写真3)Linne庭園(左)
Linneの書いたとされる本の一部。もちろんスウェーデン語ですね(右)


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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2019.10.24 
 前回体験記後からぐっと冷えはじめ現在では朝晩は0度前後、日によっては氷点下まで気温が下がります。幸い日中は最高で10度前後まで上がるため自転車は通常通り使えますし日常での不自由はさほどではありません。しかしすでに木々の葉は散り冬はすぐそこまで来ています。
 今回はつい先日まで参加していた学会について報告します。学会の名前はEVER (European Association for Vision and Eye research) 2019というものです。参加者は大半が臨床家と思われましたが、発表は半分研究・半分臨床のような学会でした。当初この学会への参加を決意したときには他の主要な(この分野の)基礎研究者向けの学会は演題募集を締め切っていました。まずまずのデータが出ていたので今年度中にどこかで発表を、と思い検索を重ねた結果この学会が候補となりました。ただ現在私が所属しているのは完全基礎研究のラボなのでこの学会の知名度は低く、ボスが知人に電話をしてくれてどんな学会か下調べしてくれました。結果、私の研究内容を発表するのに妥当な学会ということで許可が下りました。次に抄録に取り掛かりました。以前に書いた申請書やセミナーでのプレゼンを盛り込み何とか書き上げた後、共同研究者のネイティブスピーカーやボスに入念にチェックしてもらいました。この過程は私には非常に有益で、英語での微妙な言い回しや効果的な表現について学ぶことができた気がします。演題採択がそれほど困難でなさそうな学会でしたが、それでも採択通知をもらった時はうれしかったのを今でも覚えています。その後待ち受けていたのはトラベルグラントの申請でした。学会の旅費はこちらでも自分で何とかするのが一般的です。当初は(そもそも給与は奨学金だし)自腹でもよいかなとも思っていましたが、ボスの強い勧めで2つのトラベルグラントに申請しました。1つは申請額の半額でしたがいただくことができ、もう一つは12月に発表のためいまだ結果待ちといった状態です。この申請書のプロセスにも共同研究者のネイティブスピーカーに助けてもらいながら書くことができたためまたも予想外の収穫でした。

 学会はフランス南部のNiceで行われました。鮮やかな日差しと陽気を期待したのでしたが残念ながらほとんどが雨であいにくの天候でした。学会は他と同様で6つの口演会場とポスター会場、企業展示に分かれていました(写真1)。口演は症例ベースのプレゼンから近年話題の「加齢黄斑変性症」に対する幹細胞移植の臨床研究(理研の結果も紹介されていました)、臨床で使用されている緑内障に対するROCK阻害薬の様々な検討、そして網膜色素変性症や加齢黄斑変性、緑内障などモデルマウスを使った基礎研究と様々な話を聞いてきました。この分野でのトピックや常識が分かりとても有用な話ばかりでした。そして私の発表はポスターでした(写真2)。そう多くの質問をもらったわけではありませんでしたが実験系やデータの解釈、追加実験の提案など今後研究を前進・補完させるコメントがいただけました。また自分自身でもこれまでにないくらい多くの質問をしてきました。自分と同様のマウスを使った研究だけでなく、成人IgA血管炎の眼合併症の症例報告、眼内注射の合併症に関する臨床研究、点眼薬の創薬に関する研究など興味深い発表にそれぞれ質問をしてきました。純粋に疑問に思ったことだけでなく、時にはこの分野の常識や実験系など教えを乞う質問、今後の研究の方向性や実現可能性、など自分の研究のストラテジーにも大いに参考になりました。しかし一方では未だ十分でない英語力とそして自身の研究ストラテジーの組み立て方にはまだまだ改善の余地があると実感しました。 帰国後共同研究者とディスカッションし直し、着手している論文執筆を継続・修正し始めたわけですが、まだまだ追加すべきデータもあり、かつインパクトももう少し上げようと思うと単独で論文になるのか、共同研究者の研究と合わせてより大きな論文として挑戦すべきなのか依然不透明です。しかし一つの形として今回学会発表できたのは私にとって大きな収穫でした。 今回はこの辺で。



企業展示で奥がポスター会場
(写真1)手前が企業展示で奥がポスター会場の入り口です。更に奥が口演会場で左右に分かれていました。夕方ですので人がまばらです。


企業展示で奥がポスター会場
(写真2)ポスターの前で。


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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2019.09.16 
 皆さんこんにちは。こちらはすっかり秋模様で木々の葉も散り始めています。この時期はスウェーデンではブルーベリー、リンゴンベリーなどの木の実、そしてきのことり(写真1)が盛んに行われています。夏休みをすでに消化してしまった我が家でしたが、週末にはインターナショナルな友人を中心に家に招待したり逆に招待されたりして楽しく過ごしています。またこの時期は収穫祭などのイベントも目白押しで暗い秋と長い冬に備えて夏の最後を意地でも楽しもうとする気概ですら感じさせられます。前回体験記を書いてから間もなく娘たちの学校も始まりました。新学期ということで先生も変わりクラスメイトも少なからず変化があったようです。またこちらにはPTAは存在しないのですが親と先生が顔を合わせるミーティングがあります。スウェーデン語で行われた下の娘のほうのミーティングは先日あり、(妻に任せたのですが)自己紹介に始まり「時間には集まること」「連絡事項(Webベースで行われます)には目を通すこと」「他の子どもと比較・競争しないこと」などスウェーデンの学校での最低限のルールが通知されます。

 もちろん職場にはほとんどの人が戻りミーティング、セミナーなど通常通り行われています。大型の休みを終えた人々は十分なエネルギーを蓄えて仕事に向かいますのでスウェーデンではこれから雪が降るまでが仕事が最もはかどるといわれている時期です。裏を返せば仕事しかやることがないともいえるのかもしれません。我々の施設では去年同様retreatを行いました。サプライズトークはない上、6月のセミナーで話したばかりの私には今回発表の機会はありませんでした。今回はPIがグループの紹介をしたり、ランダムに作られたグループでお互いの顔を覚えながら(チームプレーを発揮する)ゲームをしたりと相互交流をに主眼が置かれたretreatであったという印象でした。 今回は男性の家事・育児について取り上げてみようと思います。スウェーデン特にウプサラは比較的国際色豊かで(日本人もさほど多くないため)市内で知り合う、友人になる家庭は大部分がインターナショナルです。娘が通うストックホルム日本人補習校で知り合う日本人もほとんどが片親が日本人、もう片親が外国人という夫婦です。どのご家庭もこちらに根を下ろしているもしくは適応している家庭ばかりなのでみんなそれなりにスウェーデン化しています。なので多かれ少なかれ家事育児に参加(というより分担)している男性が多いと感じます。日本でも「イクメン」が流行し以前より家事育児に参加できる男性が増えてきていますが仕事が大変なせいもあるのか「分担」までできている家庭は少ないというのが私の勝手な印象でした。

 家事育児の分担をお話しする背景としては(特に労働における)「男女平等」を忘れるわけにはいきません。男女平等に関してはこちらスウェーデンのニュースでもしばしば取り上げられていて、平均給与格差や要職に就く割合、労働時間格差などいまだ議論は尽きないわけですが、日本と比較すれば圧倒的に女性の社会進出が盛んで、男性の育児休暇取得率は高いといえると思います。先進的な育児休暇(最長の育児休暇は両親がとって初めて実現;参考サイト参照)、保育や学童を充実(就労もしくは学生以外は利用が制限されます)、そしてとどめに年金です。年金は労働者のサラリーからのみ積み立てられていて、専業主婦・主夫では受け取れません。育児に対する職場の理解・受容やその分のキャリアの遅れ関する考え方・雰囲気も違うともいわれます(再度参考サイト参照)。また天気の話と同様の感覚で仕事を聞かれたり、ほとんどの人が働いていないと肩身が狭いと感じるという男女ともに就職に対する社会的圧力もあるのかもしれません。つまりスウェーデンでは仕事することが男女ともに当たり前でその間の育児が十分サポートされている社会なのだという背景があります。

 そうなると当然家の仕事も平等とするべきで、分担しないわけにはいきません。家事の分担の仕方は様々ですが多くは例えば掃除は女性がして洗濯は男性、とか朝食は女性が用意して夕食は男性などと仕事そのものを手分けしている家庭が多いかと思います。もう少しよく見てみるとスウェーデン特有の事情も加味する必要があるかもしれません。というのは家具や家電の修理、車や自転車のメンテナンス、そして特に一戸建てでは庭や畑の手入れや、薪割り、雪かき、家のリフォームい至るまで家事に含まれてくるのです。その理由は日本のようにすぐに頼める業者が少なく、価格も高くて時間も週単位でかかるため自分で修理解決することが多いからです。そうなると力仕事や機械仕事などは必然的に男性の出番が多くなります。一方で小さい子どもがいる家庭では授乳ミルクや離乳食つくりなどは女性がしていることが多いという統計もあります(参考文献参照)。更にもう一つ私の独断ですが日本と大きく異なるの点は「食事」にあると思います。食事は毎日のことで外食も特に家族持ちは日本ほど一般的ではないため(これも高価で営業時間が短い影響があります)、男性も作ることが多いと聞きます。「どこで教わるのか」とスウェーデン人に聞くと「学校で教わるから(たぶん家庭科のこと?)」と答えるのですが日本も家庭科必修となっても食事を作っている男性は多くはないと思います。ただいくつか複数の家(純スウェーデン人家庭も含める)に招待されて分かってきたのですが日本食とこちらの西洋の食事は決定的に複雑さそして繊細さが違うのです(味の話はしていません)。食事関しては以前紹介させていただきましたがどれも比較的単純にできますし味付けも塩(のみ)が中心です。ソースも今や出来合いで済ませることも可能です。また一見大変そうに見えるピザやパンのようなものでさえイースト菌はとても身近で安価(最近買ったものでDry yeast 100g 100円程度)に手に入りますし、分量さえ間違えなければ子どもでもできます。一方日本では味噌汁一つとってもだしを取って具を入れて味噌を程よく入れてと簡単ではありません。調理法も焼くだけでなく煮る・蒸す・揚げるなど非常に多岐にわたっているます。また品目も日本食(特に夕食)では最低数品があるのに対してスウェーデンでは1(+α)品作れば十分です(写真2参照;ちょっと言いすぎだったらすみません)。

 スウェーデンにきてはじめはどうやって家事育児を分担しているのかと不思議に思ったくらいでしたがこのように家庭の仕事をトータルで分担する、そして日本では家事の中でもっとも複雑で難しい食事に関してはこちらでは極めてシンプルであるという2つがスウェーデンにおける家事育児の分担(男性の家事育児参加)の実際(秘密)なのではないかと思います。日本の多くの男性でも時間(と少しのやる気)さえあれば明日からでも実行できるわけで特別なことではないというのが実感です。

 翻って現在の我が家を見渡すとゴミ捨て、洗濯、朝食(と土曜日の弁当)作りとこどもの学校への送り、家具・家電や自転車のメンテナンスすべて、そして週1程度でに掃除と夕食準備とそう悪くありません(自称スウェーデン人以上ですがそう言っているのは私だけです)。残念ながら日本ではここまでできていなかったし、時間もありませんでしたし、ノウハウもありませんでした。もちろん(スウェーデン人同様)Webに教えを乞うたり、数々の失敗を繰り返して今に至ります。でもこの試行錯誤のサイクルは実は仕事(研究)にも生きているのでないかと思いますし、仕事で得た知識や技術も一部、家事に生かされているという気がしています。今回はこの辺で

(参考サイト)
https://st.benesse.ne.jp/ikuji/content/?id=56346&fbclid=IwAR1Oub39BOTQuw9LAuM37CcXbFBKv7YIbxvpJm2HudJ0ObMDx5cYb5uo62c
著者ご本人に掲載許可をいただいています。明解かつ平易にスウェーデンの育休について解説されています。次回のテーマも今回私が書いたこととかなり重なりそうなので楽しみにしています。ちなみに著者は神戸にいたときに娘や妻が大変お世話になった施設の職員さんのお姉さまでした。世の中は狭いですね。。。
(参考文献)
人を見捨てない国 スウェーデン 三瓶恵子著 岩波新書(岩波ジュニア新書)2013年 スウェーデンに来る前に日本で買ってきた本でしたが今更読みなおしています。やや古い著書ですがスウェーデン社会の仕組みや日本との違いがよく書かれた良書です。

カンタネッラ
写真;の時期によくとれるカンタネッラという種類のキノコ。
市場でも手に入りますが自分の家の敷地内に生えていればそれをとるのも立派な家事の一つです
(我が家でもしあったらキノコ好きな妻+子供の仕事になっていると思います)。


山賊の娘ローニャの上演風景
少し前にイギリス人とスウェーデン人夫妻が夕食に招いてくれました。
この写真にある1品でしたがとても美味で満腹になりました。


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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2019.08.14 
 皆さんこんにちは。こちらは夏も終わりに近づいて秋の風が吹いています。今年の夏は雨の多い冷夏でした。昨年を思い返すと30度を越え、雨も少なかったので「火災注意」からバーベキュー禁止まで出たくらいでしたが、今年は逆にここ40年でもっとも寒い7月と報道され、暑さを恋しく思うスウェーデン人の声があちこちで聞かれる冷夏でした。8月に入り少し暖かくなったと思いましたが今ではすでに秋風が吹き始め多くの人は長い冬に備えて夏の最後を楽しんでいるようです。

 昨年同様町には人がいなくなり、職場もほとんどの職員は夏休みをとっていて、ようやく少しずつ人が戻ってきた感じです。私自身も昨年の教訓を生かし細胞実験と今までのデータ整理と学会発表・論文準備に多くの時間を使いました。また動物実験こそしなかったものの動物舎が秋に移転するとのことで繁殖用マウスを若いカップルに入れ替えたり、秋からの実験に向けて新しい系統のマウスの繁殖を開始したりとそれなりに時間のかかる作業をこの時期にすることができました。

 もちろんプライベートでも夏を楽しませていただきました。今年はせっかくスウェーデンに来ているということで国内旅行をより多く楽しむことができたかと思います。そして今回の体験記はスウェーデンの芸術文化を取り上げます。このテーマは正直得意分野ではないのですが、スウェーデンを語るときはIKEAやH&M、VOLVOといった優れた産業だけでなく、文化面でもABBAをはじめとしたミュージシャンや名の知れた映画俳優も少なくありません。今回はその中でも文学、つまり著名な作家を取り上げ、かつそれに関連した私たち家族の夏休みを一部ご紹介させていただきます。

 スウェーデン人で有名な作家といえば、そうAstrid Lindgren(1907-2002)です。この人の名前を聞いたことはなくても「長靴下のピッピ」といえば小さい頃に読んだという方も少なからずいるのでないかと思います。また近年宮崎吾郎が「山賊の娘ローニャ」をアニメ化しており、私が日本を出国する前にもテレビで放映されていましたのでご覧になられた方もいるのではないでしょうか。Astrid Lindgrenは主に子ども向けの作品をたくさん残しており、世界中の言語に翻訳されています。私も幼い頃「長靴下のピッピ」「やかまし村の子どもたち」をシリーズで読んだことがあります。それぞれの登場人物のキャラは結構濃いのですが、描かれているのはスウェーデンの当時の日常で、豊かな自然の中でのびのびと過ごす子ども達の姿が描かれています。宿題もなくのびのびと毎日を過ごす自分の娘たちを見ていると現在にも通じる作品なのだと実感します。また他の作品としては「名探偵カッレ君」「さすらいの孤児ラスムス」「ミオよ、わたしのミオ」や「ペーテルとペトラ」など探偵ものからファンタジーまで日本語に訳されているものだけでも様々なものがあります。

 我が家はこのAstrid Lindgrenの作品に惹かれスウェーデンの南の田舎町VimmerbyにあるAstrid Lindgren Valdenというテーマパークを訪ねてきました。私の住むUppsalaからは順調に行っても電車を乗り継いで4時間近くかかります。途中電車がキャンセル、代行のバスも運行されない(理由は最後まで?でした)等のマイナートラブルには見舞われたものの7時間近くかかり無事に到着しました。テーマパークなので遊園地のようなものかと思いきや、当時の村や作品の舞台を模した建物(写真参照)が散在する中8つある野外シアターのあるテーマパークでした(地図参照)。それぞれの場所では「長靴下のピッピ」「山賊の娘ローニャ」などの有名なシーンが20-30分程度の劇にまとめられ、次々と披露されていきます(写真参照)。もちろんすべてスウェーデン語で行われ翻訳はまったくなしなためお客さんはほぼスウェーデン人だったかと思います。でもあまりに有名なシーン(パンフレット参照)も上演されるため私はもちろん子ども達も十分楽しむことができます。そのほかには遊具の置いてある公園やカフェ・レストラン、お土産やさんがあります。劇を見ないお客さんたちは芝生に寝そべったり、ひなたぼっこをしたり思い思いに過ごす姿も印象深かったです。

 またこの小さな村に滞在するのに、いわゆるホテルは数限られています。その代わりテーマパークの周りには宿泊施設が点在していますがほとんどがコッテージやホステルのたたずまいで自炊が基本、シーツ(リネン)・タオルの持参が当たり前です。我々も民泊のような形の施設に宿泊しました。そこはかつて歯医者さんとして活躍していたおじいちゃんが所有する家の一部に泊まらせてもらうというものでした。民泊といっても同じ敷地にいくつも建物がありオーナーの住む建物とは異なります。他のお客さんもいて最大で20人近くが宿泊できるとても大きな家です。もちろん食事は出てきませんが近くにスーパーもあって不便はなくとても快適な1日を過ごせました。また物価の高いスウェーデンで、宿泊費がはじめて安いなと思えた滞在でした。

 ちなみにこのテーマパークは6月中旬から8月下旬までの約2ヵ月半の営業で秋の間は時間を短縮した土日だけ、冬は完全に閉まります。野外なので仕方ありませんが老婆心ながら採算がとれるのかとも思うのですが、このパークだけでなくスウェーデンでは多くの野外施設(たとえば動物園など)は同様の営業期間です。

 話をスウェーデンの作家に戻すと他にも「ニルスの不思議な旅」で有名なセルマ・ラーゲルレーヴ Selma Lagerlof (1858-1940)、小4の教科書でも推薦されていた「おじいちゃんの口笛」が代表作のウルフ・スタルクUlf Stark (1944-2017)などスウェーデンには意外と多くの著名な作家が知られています。
今回はこの辺で


Astrid Rindgren Valdenの地図
写真;Astrid Lindgren Valdenの地図
8つの野外シアターのほかカフェ・レストラン・ショップが点在する。
お話の書かれた舞台がミニチュアで体験できるところもあり。

山賊の娘ローニャの上演風景
山賊の娘ローニャの上演風景。
友達のビルクと出会う話の最後のシーン。

野外劇場のプログラム
野外劇場のプログラム
黄色の部分は長靴下ピッピのシアター。
泥棒が入る話やお父さんが帰ってくる話などが上演される。


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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2019.06.21 
 こんにちは。こちらはすっかり夏を迎え日中も20度を越えることが多くなりました。20度を超えると「暑いなあ」と感じるようになり日本で過ごしていたことが信じられないくらいです。今日は最もスウェーデンで日が長く今22時を回ったところですがまだ外は明く、夏至祭だったもこともあるのか近くでさわぎ声が聞こえます。

 この2ヶ月は複数のプレゼンに追われ忙しい日々でした。まずはじめは抄読会の担当でした。仕事にだいぶ慣れてきたことと、臨床からみ(translational research)の論文を読んでもまったくレスポンスが得られないことから、純粋な基礎の論文を読むようにしてきたのですが、やはりそれなりの雑誌を読むとなると結構な仕事量です。suppliment figureはもちろん、さっとでも主要なreferenceのfigureに目を通していると1ヶ月近くの準備を要します。それが終わるとすぐにLab内でのプレゼンがありました。ボスとのミーティングの度にパワーポイントを準備していたのでスライド自体はすぐにできたのですが、プレゼンの練習を含めるとこれまた2週間近くを要してしまいます。どちらのイベントも日常の仕事の合間にするのは日本にいるときと同じで、現在関与している3つのプロジェクトそれぞれにコンスタントにデータを出し続けながらするので(もちろんネガティブデータも多いですが)なかなかのストレスでした。そして最後のは更に大きなストレスでVascular Biology部門全体でのプレゼンがありました。すでに半年前からスケジュールされていてそのときから少しずつ胃が痛かったのですが、いよいよと迫ってくると細かい言い回しやスライドの構成などが気になり微修正をしつつ、練習も20回以上はしたかと思います。途中で共同研究者のネイティブスピーカーに少し見てもらったりして、それはそれでとても貴重な機会でしたが、終わるまではなかなかのストレスを感じていました。そして当日(写真参照)、質問はそれほどたくさん出たわけではありませんでしたがやはりここは基礎研究者(biologist)の集まりであることを再認識させられました。実験方法の詳細や、そのモデルを使うことの妥当性、分子メカニズムに関する詳細など、なかなか臨床家にからは出てこない質問が多かったように思います。終わってからも興味をもってくれた他のグループの研究者から追加コメントをもらったり、ボスやコラボレーターと次すべき実験をディスカッションしたりと気の抜けない時間を過ごしました。気づくと1時間半が経っておりその後遅いお昼とをゆっくり食べたという一日でした。

 一方、このあわただしいスケジュールの中、プライベートでいくつかのうれしい再会を果たすことができました。一つは古くからの友人がストックホルムを訪ねてくれました。彼は後期研修医時代の友人で小児救急を専攻しています。今は国際的にも活躍しておりシンガポールやベトナムで小児救急および一般小児科の臨床をしてい、今回は学会とセミナーのついでにストックホルムに寄ってくれました。短い時間でしたがストックホルムの古い町並み(ガムラスタン)を見ながらご飯を食べ夜遅くまでお酒を酌み交わし、それはそれはよい時間でしたし、とても刺激になりました。もう一つは先日まで李先生と池田先生、長坂先生がヨーロッパ人類遺伝学会でヨーテボリに来ていました。ヨーテボリは私の住むウプサラから電車で4時間の距離で飛行機でも1時間はかかります。残念ながら直接お会いすることはできませんでしたがFBのメッセンジャーを使ってお話しすることがかないました。短時間でしたが楽しいひと時を過ごさせてもらいました。

 もう一つ私にとって大きなニュースはウプサラ大学附属の子ども病院を見学しにいけたことでした。3ヶ月前にとあるところで知り合ったロシア出身の小児腫瘍血液医が病院を案内してくれることになりました。主任教授の許可をもらってくれた以外にも、いくつかの専門分野の先生との面談をもコーディネイトしてくれました。当日になりまず小児腎臓医の先生と面談から始まりました。年間の腎疾患患者の入院数(大体100人位で神戸大学と大差ありませんが腎生検が年10-15件くらいなので純粋な腎疾患は多いかもしれません)、ネフローゼの管理、腎移植や維持透析の現状、エクリズマブの費用、大学病院が直面している経済的な問題やスウェーデンの医療集約化の問題など多岐にわたりお話いただきました。その後少しだけ地下に降りていきました。感染症のないすべての子どもが入ることができるそのフロアには院内学級(自治体から派遣された専属の先生がいるようです。体育館まであったのが印象的でした)、プレイルーム(4部屋あり、それぞれ絵や陶芸ができる芸術部屋、おもちゃのある普通のプレイルームが2つに、ランチルーム)、プレパレーションルーム(写真参考)、リラックスルーム(少し暗くしてあり音楽が聴ける部屋、大きめの子どもが使うといっていました)、そして図書館とかなりの充実っぷりでした。ここには私が訪ねていったときは保育士が2人常駐していて、人によってはチャイルドライフスペシャリストの資格を持つ人もいるようです。看護師とともにプレパレーションも担当します。その後血液腫瘍科の病棟および外来を案内してもらいました。それぞれはほぼ日本のそれと変わりないのですが、日本の病院と違うのはお互いに隣同士にあります。働く方も患者にとっても便利かなと思う一方で、ある程度の敷地がない限りはかなわないことかなとも思いました。その後少しだけでしたが小児放射線科医と面談させていただきました。CT、MRI(頭部MRIのみは小児神経放射線科医という更なる専門家がいるのも特徴的でした)はもちろん心臓以外の超音波検査(新生児の頭部エコーも!)などすべての画像を読影のみならず検査そのものからしてくれるようでした。またMRIですが小児の場合は鎮静を麻酔科医がしてくれるようです。日本の小児病院でもそういう方向にはあると思いますが、大学病院も臨床を大事にしていくのであれば他科の協力が不可欠であるなあと改めて実感しました。その後たまたま途中で遭遇した新生児科医にも新生児病棟を案内してもらいました。夏前ということで患者さんを絞っていたのかもしれませんが病棟は比較的閑散としていました。4床ごとに区切られていたNICU病棟であること以外に日本と大きな違いはなかったように感じます。ごく短時間だったので治療内容や人工呼吸器を見る余裕はありませんでしたが、手術の必要な先天性心疾患はストックホルムに送るとお話ししていました。そして最後に救急外来を見せていただきました。トリアージの部屋、感染部屋、処置室などこれも大きくは変わらないと思います。感染対策はどうしているか気になっていたところ、入り口に水痘と麻疹は違う入り口に行くよう指示する看板がありました(写真参照)が、その他の感染症は同じ入り口でしたのでおそらく神戸の急病センターと大きくは変わりないのかと思っています(腫瘍血液科は独自の当直があるため私を案内してくれた小児科医は救外デューティはなくあまり詳しく分からないと言っていました)。
 待ち合わせから終了まで2時間の駆け足の見学でしたがとても貴重な機会でした。今回はこの辺で。


私のプレゼン風景
写真;私のプレゼン風景。会場は(なぜか)いつもに増していっぱいでした。

レパレーションの部屋
写真;レパレーションの部屋。この写真の手前にはMRIの模型まであって音まで出せるようです。
全員とまではいかないようですが、手術や大きな処置前にはするようにしているようです。


水痘と麻疹の発疹を示した写真
 水痘と麻疹の発疹を示した写真。
小児病院はIngang (入口)95-96なので94(たぶん感染症科)に行くように促した看板。
患者さんが多いのかアラビア語(もしくはペルシア語)の翻訳も併記してありました。



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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2019.04.15 
 こんにちは。こちらは前回体験記を書いた直後から暖かくなり早い春の訪れでした。現在では日中は10度を越える毎日で我々日本人には丁度心地のよい気候です。多くのスウェーデン人はこの時期に植物の種を植えて夏に備えるのですが我が家も今年はトマトと花を植えてみました。昨日見たところ小さな芽を出していました。昨年友人からもらったイチゴとあわせて豊作を祈っています。 仕事面では少しDutyが少なくなったものの3つのプロジェクトで毎日忙しくしています。その1つは何とか夏までにsubmitしたいようなのでスピードを上げています。一方で自身のプロジェクトもよい話になりつつあります。来月にはラボ内のミーティングに加えてVascular Biology 部門内でのプレゼンが控えているのでデータを積み重ねながらスライドを少しずつ準備しているところです。

 今回は「言葉」を取り上げてみたいと思います。昨年度発表された最新の「英語能力指数」(貝藤先生の体験記もご参照を)ではスウェーデンは栄えある1位に輝いています。どこに行っても誰に会っても英語がよく通じることは間違いはありませんがやはりここはスウェーデンで母国語はスウェーデン語です。スウェーデンをよりよく知ろうと考え、私は少し余裕が出てきた1年前くらいから自治体が提供する移民向けスウェーデン語学校の夜間クラスに申し込み、週1回程度(クラス自体は週2回あります)通っています。ラボではほとんど英語ですのでスウェーデン語を上達させる機会はごく限られているのですが今では簡単な買い物をしたり新聞、チラシがなんとなく分かるようになりました。「2年も住んでいてそれだけ」とも言われそうですが、たったこれだけのことでも住み心地はだいぶ変わりました。その理由を挙げながらスウェーデン人にとっての母国語-スウェーデン語と外国語-英語を考えてみたいと思います。

 まず1つ目はスウェーデン人は英語指数が1位であっても英語を話すのに億劫といわれています。ラボ内では私なんかよりはるかに上手な英語を操るのですがあくまで彼らはサイエンスにかかわる研究者なり技術補佐員なのです。たとえば掃除のおばちゃんなんかはたぶんしゃべれるのでしょうがあまり話してはくれません。同様に町でもスウェーデン語で話しかける(注文をする、質問をする)とその後途中で分からなくなってこちらが英語に切り替えてもスウェーデン語で話し続けます。これは単に私の発音がスウェーデン語・英語ともにつたないからとも解釈できますが、逆に「外国人だから英語で話そう」とは思ってくれないし、英語を話すこと自体を少し恥ずかしいとも思っているようです。この傾向は特に年齢が高いほど顕著のように思われますし、ウプサラという少し田舎町だからかもしれません。(ストックホルムでは特に若い人ではこちらのスウェーデン語が怪しいと分かるとすぐに英語に切り替わってしまいます。)

 またこの国では他の国からの移民が2割を占めるといわれていますがその2割の移民の中で英語を話せない人も少なくはありません。私の通う床屋はアラブ系の人がやっているのですが店長(と思われる人)以外は英語が話せません。当初は僕の英語力の性だと思っていたのですがcut 、short、 machineなど簡単な単語だけ言っても通じなかったのでいちいち店長がでてきて通訳していました(ちなみに店長もカタコト)。最近になってようやくわかってきたことは彼らはおそらくアラビア語(もしくはペルシア語)を日常的に使い、スウェーデン語は仕事に支障がない程度に、そして店長ともう1人だけが英語をカタコトで話すようです。スウェーデン語で希望を伝えられる今ですら、どんな注文の仕方をしても「スポーツ少年」みたいな髪型にされるのですがおそらく私の知る中でもっとも安い床屋さんでかつ予約が要らないことが魅力で今でも通い続けています。

 2つ目は我が家は妻と下の娘がスウェーデン語が主、上の娘と私が英語が主と2分しています。上の娘は英語クラスなのですが放課後の学童でスウェーデン語の中でいるせいか自然とスウェーデン語を理解できるようになっています。そうなると家でお客さんを呼んだり、逆に誰かのうちでのパーティーにお呼ばれするときはスウェーデン語での会話が主体になってしまいます。これは最初は正直に言うと苦痛でしょうがありませんでした。妻はいちいち翻訳してくれるほどは余裕ではないし、親切なゲストもしくはホストがたまに英語に直してくれるのですが話題からは遅れますし、内容は大幅に省略されます。「少なくとも分かるようになろう」というのはこの苦痛から逃れるため、私のスウェーデン語学習の大きなモチベーションとなりました。今では話題に少しついていけるようにはなりましたが、何分しゃべるのはまだまだで、相槌を打つのが精一杯です。

 3つ目は私には直接関係のないことですが、ここスウェーデンに長く住もうと思うとスウェーデン語でのコミュニケーションが必須であることです。その代表が就職です。多くの仕事への就職にもスウェーデン語が話せることが前提となります。たとえば医師であれば日本の免許をスウェーデンで切り替えるためには専門医資格やこちらでの簡単な試験(医学の基礎知識や法律など)のほかにスウェーデン語ができる証明を出す必要があります。その証明の仕方は2種類に大別されます。1つは私の通う移民向け語学学校は小学校卒業レベルで終わりますがさらにその上中学・高校に相当するものがありいずれも外国人であっても無料です(出身国や世帯収入によっては補助金が支給されます)。ただ日中に通い続けたとしても多くの時間がかかりすべての学校をストレートで卒業しても2-3年近くを要します。もう1つ試験を受けてクリアする方法ですが、英語で言うと英検準1級~1級レベルのスウェーデン語試験で、読み書きはもちろん話す聞くも含まれますので事実上独学のみでクリアするのはかなり困難です(特に日本人)。いずれにしてもいわゆる専門職には高い語学レベルが要求されているのです。それ以外の就職でもどんな仕事であっても少なくとも私の通う小学校レベルの学校は卒業するのが必須です(ちなみに卒業までに2回の国家試験があります)。また(理系)研究職でも長く続けようと思うと国内で得られる多くのGrantはスウェーデン語での書類提出・プレゼンが必要となってくるようです。(英語で申請できるEU内でのgrantももちろんあるのですがより厳しい競争が強いられます)

 雑駁に書かせていただきましたが多くのスウェーデン人は高い英語能力にもかかわらず母国語スウェーデン語を話すことを大切にかつ快適に思っているようです。最近では私も積極的に使おうとラボ内の技術補佐員や掃除のおばちゃん、そしてボスにスウェーデン語で話しかけるように努力しています。こちらの人なのでどんなに下手でも「上手ね」とほめてもらえますし、逆にちょっとしたことですがスウェーデン語で話しかけてもらえるようになりました。こちらとしては(仕事場では英語モードにしているので)切り替えにしばしば時間がかかってしまうのですが、少し喜んでもらっているのかなと勝手に思っています。英語だけでなくスウェーデン語ももう少しがんばってみようと思う今日この頃です。

スウェーデンの食べ物
写真;私も使っているスウェーデン語の教科書と問題集;
もちろん中身はすべてスウェーデン語。英語で翻訳されている分ですらありません。


 無料で手に入る新聞。貴重な情報源であると同時に私にとっては教材でもあります。Metroは大変伝統のある無料新聞だったのですが近年財政難で発行を中止しているようです。残念。

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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2019.02.15 
 こんにちは。こちらは年が明け雪が積もることが多くなりました。氷点下20度近い日もありましたが部屋の中が暖かいせいもあってあまり寒さを感じないうちに、今週に入り日中は5度前後とこちらにしては暖かい日が続いております。車道の雪はあらかた溶け、通勤・通学がしやすくなりましたが、子ども達が楽しみにしているスキーやスケートはやや困難な状態でこのまま春になるのはそれはそれで寂しいと感じています。

 仕事面では4つのプロジェクトにあたふたする毎日です。以前研究をご紹介させていただいたようにどれも網膜を使った研究なので、使う抗体や固定の仕方が少しずつ違うだけで基本は同じです。しかし5つの異なる遺伝子改変マウスを扱っているため遺伝子型の同定にも少なからず時間がかかります。酸素チャンバーはまとめて入れたいが異なる遺伝子型で、しかも無駄なく実験するために(酸素チャンバーに入れる)生後7日までに遺伝子型を同定(genotype)します。仔マウスの遺伝子型同定のための検体採取(バイオプシー)は自分ですることになっていますのでバイオプシー→DNA抽出→PCR→ゲルに流し判定といった一連の作業を生後7日以内に、異なる複数の遺伝子型で行うため何度も行います。ひどいと1週間をほとんどgenotypeに使ったことでさえありました。現在はサブプロジェクトが一区切りつきつつあるため少し遺伝子型の種類を減らすことができ、再度メインプロジェクトに集中し始めたところです。進捗ですが昨年10月頃にはまだ1/10ほどとさせていただきましたが、その後だいぶ進み現在では全体の1/3-1/2程度まできたかと思います。

 今日はスウェーデンの食事・食材を取り上げます。こちらに住み始めてもうすぐ2年になりますが純粋な日本食はやはり恋しくなります。すし(sushi) はこちらでは比較的人気の「日本食」なのですが、われわれにとってはそれほど日常の食べ物ではありませんよね?正直すしを食べても日本食が恋しくなるのには変わりありません(実際あまり食べませんが)。他にはラーメン、うどん、米、豆腐などは近所のスーパーでも売っていますし、しょうゆ、日本酒、酢、味噌などの調味料も市内で比較的簡単に手に入れることができます。では何が?と自問するのですがまず1つは魚でしょうか。魚といえばこちらで手に入るのは主に鮭とニシンです。他にはさば、カレイ、えびなんかもスーパーで見かけるのですが、かつお、マグロ、秋刀魚、鯛はほとんど見かけません。さらに鮮度も落ち、冷凍物や燻製が大半の印象を受けます。次には野菜です。夏にはカブや長ねぎ、人参、小松菜(のような野菜)が市場・露天のようなところで新鮮かつ安価に手に入れることができますが、11月頃から4月頃までは市場は開かれませんし、スーパーにいってもほとんどスペインやイタリアなどの暖かく土壌が肥沃な国からの輸入物で占められます。価格もきゅうりやトマトなどは夏の3-5倍まで跳ね上がります。輸入物ですと当然鮮度が落ちますのですごくおいしくとは残念ながらいきません。他にグリーンピースやインゲンなどは冷凍物がむしろメジャーです。ごぼう・たけのこなんかは特に好物というわけではないのですが、一般的なものとしてこちらでは見かけませんからちょっと思い出すときんぴらやたけのこごはんなんかは恋しくなってきます。こちらの在住の日本人の方に聞くとイギリスにある日本食の店から取り寄せたり、一時帰国したときにまとめ買いしたりといろいろ苦労をしているようです。

 一方でスウェーデン人は何を食べているのでしょうか?典型的スウェーデン料理を少しご紹介させていただきます。もっとも有名なものはやはりミートボール(kottbullar)でしょうね(写真)。こちらでは伝統的にポテトとジャムの組み合わせで出てきます。こちらに来たばかりのときはジャムは?と思っていたのですが聞くところによれば野菜の育ちにくいスウェーデンでビタミンを補うための一つの工夫だそうです。慣れてくると欠かせない付け合せです。それから比較的有名なのはヤンソンの誘惑 (Janssons frestels)です(写真)。つまるところポテトグラタンですがアンチョビやたまねぎを入れることが多いです。そしてニシンの酢漬けです(写真)。ニュースではバルト海のニシンはかなりの確率で汚染されていると報道され近年は避けられる傾向にあるようですが、スーパーに行くと様々な付け合せの種類のニシンが売られています。また夏至祭の時には欠かせない食材となっているようでスウェーデン人の愛する食材の一つといえるでしょう。他には伝統料理ではありませんが家庭ではパスタ、ピザなどはよく作られているようです。そこでレジで前や後ろに並んでいるスウェーデン人の買うものを観察してみるとジャガイモまたはパン・肉(時に魚)・チーズや牛乳などの乳製品がメインであり、あまり野菜をたくさん買っている姿はほとんど見かけません。食文化の違いといえばそれまでですが日本食・食材が恋しくなるのも無理はないかなと思います。

スウェーデンの食べ物

 ご存知の通りスウェーデンは男女の家事の分担は平等とされています。知人のスウェーデン在住のどの家庭でも男性が料理をすることがごく当たり前です(ただ日常の食事作りの比重は依然女性の方が高いというのが私の印象です)。我が家では日本のときから私が朝食担当と分業されていました(もちろん比重が低いことは認めます)が、こちらに来て妻が少しバイトで夜を留守にするときに夕食も一部担当するようになりました。また娘たちもだいぶ大きくなりましたのでお菓子作りをしたがることも多く、これも私の担当となっています。男の料理ですので凝ったものではありませんが、これまでうどんやパスタ、カレー、ピザなど一通りの簡単料理と、娘たちとわいわいしながら餃子を作るのも楽しみの一つとなっています。またデザート(+お菓子)はストックホルムのアジア系食材店でナタデココを見つけたのでフルーツポンチを作ったり、他に娘たちとクッキー、チーズケーキ、アップルパイやチョコレートケーキを作って休日のひと時を楽しんでいます。

 外食についても少し触れて起きましょう。外食を好むか好まないかはこちらでも家庭によるのでしょうが、私の印象では特に夕食の外食は日本ほど一般的でないと思われます。もちろん週末になると人であふれかえる外食店もありますし、お酒をたしなみながら料理を食べる若者も少なくありません。ただ家族全員でとなるといわゆる「ファミレス」のようなものはほとんど見かけませんし、吉牛や王将など安価で気軽に入ることのできる飲食店もありません。またお店にはよりますが営業時間も日本より圧倒的に短く、週末は昼のみという店も少なくありません。また料金も決して安くないため、家計的にも頻繁に外食というというわけにもいかないのかと思います。

 最後にLabで毎週当番性で準備されるFika(スウェーデンの生活慣習で休憩をとること、主として同僚、友人、恋人または家族とコーヒーを飲む時間;以上Wikipedia、貝藤先生の体験記もご参照を)ですが、独身者が多いせいか皆ベーカリーで買ってきて準備することが多くなってきています(単身者用のアパートには小さなオーブンしか備え付けていないというのが彼らの言い訳です)。ただ、1人のアメリカ人と1人のイギリス人は毎回のケーキやお菓子を手作りしてきており、そのクオリティーにはいつも驚かされます。私はFikaの時には(最初の数回を除いて)あまり張り切らずに他のみんなと同様ベーカリーのもので済ますのですがそろそろがんばってみようかなと思っているところです(ただこの点においては日本人(というかアジア人)男性は全く信用がありませんから、妻が協力したという必要があります)。
今回はこの辺で。


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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2018.12.18 
 こんにちは。こちらは先週末くらいから雪が積もるようになりました。比較的暑い夏だったので寒い冬を期待する(根拠は?)ラボメンバーも多かったのですが結果として例年通り、むしろ少し遅いくらいだったようです。現在日照時間はもっとも短い時期ですが雪が降ると街頭の電気を反射するのか、先月よりも明るい気がします。クリスマスイルミネーションもきれいで週末にはクリスマスマーケットもあちこちで開かれ、心浮き立たせるスウェーデン人の気持ちが分かるような気もします。

 先週はノーベルウェークでした。ご存知の通り日本からは医学生理学賞で本庶先生がアメリカのアリソン先生と共同受賞されました。そのニュースは我々のラボだけでなく、スウェーデン中でも話題になっていました。ノーベルウィーク中にがん患者さんに講演と対談をしたニュースも全国放映されており、また新聞にも取り上げられていました。毎年授賞式と晩餐会の様子はほぼすべて生中継されるのですが、受賞された先生だけでなくその家族、親戚もテレビでは紹介されていました。残念ながら本庶先生はUppsalaにはいらっしゃる機会はなかったのでご講演を生で拝聴することはなかったのですが、医学生理学賞受賞者代表としてテレビで演説する姿を生放送で見ることができました(写真)。テレビではその他業績や簡単な研究エピソード、食事内容だけでなくドレスなどの着ているものに注目したコメントやインタビューが多かったと思います。受賞者や王や女王はもちろん、晩餐会からダンスに向かう(おそらく著名人であろう)女性に直撃インタビューをしてそのドレスや色にした理由や簡単なエピソードなどをインタビューしていました。

 そしてさらに12月に入って同じラボから2人のPhD studentが卒業を迎えました。卒業までの概要は貝藤先生の体験記にあるとおりです。どちらも3時間を越えるdefenseがと結婚式さながらのPartyがありました。あえて追加して書かせていただくこととしては3つあり、それぞれNail, SpexとGrillingと呼ばれるものですが少し紹介させていただきます。

 聞くところによるとNailはスウェーデンならではの伝統で、聞く人によってはLundとUppsala大学から始まったという人もいます。Nailいわゆる釘のことで、卒業時に作成する論文集に穴を開け(人によってはそこに紐を通し)、壁に打ち付けるという至極簡単な行事です。その年に卒業した人の分がひとところにあるためこのシーズンにする卒業生は論文集と論文集の間を掻き分けてスペースを見つけます(写真)。釘は比較的巨大でおそらくしっかり打ち付ければ落ちてしまうことはないのでしょう。この行事が終わると別の場所でシャンペンと簡単なFikaが用意されしばし歓談を楽しむのです。またこのとき打ち付けた論文集と同じものがメッセージ付で皆に配られます。

 次にGrillingとは言ってみれば「想定問答練習」です。事前に配られた論文集を読んでおいて当日質問されそうなことを皆で考え質問し、卒業生はそれに答えていく練習です。本番の質疑はOpponentが約1~2時間とCommitteeメンバーは1時間程度して実際すべてには明快に答えることはできないのですが、いわゆる「答え方」があるようです。学問的な質問からより臨床に近い質問、そして今後のビジョンやどんな研究をしていきたいかなど様々な質問がラボメンバーから用意されそれに答えたり、答え方を指摘したりします。私ももちろん臨床よりの質問を数個ずつ用意して答えてもらいました。1人2-3時間かけてGrillingをしたわけですが、この機会は思いがけず私にもとても勉強になりました。業界で当たり前に考えられていること(つまりラボメンバーにとっては当たり前で、私は当たり前でなかったこと)や若手研究者がどんな思考でデータを見ているのか、どういう実験でどういう標準的解析法がとられ、そうでなかった場合にどのようにつっこまれるのか、臨床との関連性をどう捉えて、どうつなげようとしているのかなど普段のLab meetingだけでは得られないとても貴重な機会でした。これが果たして実際のdefenseにどれだけ役立ったかは?ですが、とても濃厚な時間だったように思います。

 SpexはWikipediaによると英語でshowに当たる言葉だそうです。我々の場合は笑いの入った10分程度のshort movieでした。主なストーリーは本人のPhD studentになってから卒業を果たすまでの物語をパロディーで作るのですが、本人のどんな特徴を取り上げ、どんな話にしていくかを話し合っていきます。それぞれ1時間程度の話し合いが3回ずつ持たれ、最終的に担当者がそれをまとめていきます。大体のストーリが出来上がると今度は撮影で、小分けにされたシーンを少しずつ撮影していきます。1つのビデオでは替え歌をメロディー形式でいろんな人が歌っていきBGMにする形式で作っていました。私もかつらをかぶって参加しました。もちろん歌も歌いました。他のラボまで巻き込み、それはそれはすばらしい、そして面白いビデオが出来上がり、partyで卒業生も大喜びで見ていました。
  今回はこの辺で。皆様よいお年をお迎えください。

本庶先生のNobel賞晩餐会での講演姿

「がんの免疫療法は理論上どんながんにも効果がある」と話す本庶先生のNobel賞晩餐会での講演姿


PhD studentがNailをする姿

PhD studentがNailをする姿



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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2018.10.18 
 こんにちは。こちらは朝晩がめっきり冷え込み木々も半分くらい葉を落としたところです。来週からサマータイムも終わりすっかり冬モードが始まります。とはいっても雪が降るわけでない寒く暗い時期で、疲れやすく感じます。この時期を嫌う外国人(スウェーデン人さえ)も多いと聞きますし、例外なく私もあまり好きにはなれません。正直何も楽しみがないのです。まあ仕事に集中できるといえば集中できるのですが、晴れ間が少なく、雪もないので気分が沈みがちになります。ただその代わりに町のいたるところで電球が光りとてもきれいです。また各家々でも 窓に電気をともすことが多く、食事のときなどは食卓にろうそくを立てる家もあるようで各所でろうそくが束のように売られています。火は人の気持ちを落ち着かせるといいますがまさにそのことが実感できる季節です。

 今日は私のしている実験について少しご紹介させていただきます。私のプロジェクトは現在3つなのですがどれも共通するのはマウスの眼球を使った研究です。血管の研究をしていることを以前書かせていただきましたが、眼球、なかでも網膜は血管の発達や異常血管を見るのに適しているとのことで血管研究においては以前より重要な研究対象になっています。もちろんある遺伝子の変異マウスを使用して、ある処置をしその結果を網膜の血管で評価することを繰り返しています。この「処置」の部分を今日はご紹介させていただきます。

 私の使用しているモデルはOxygen Induced Retinopathy (OIR)と呼ばれていて生後1週間ほどになった仔マウスを高濃度酸素のチャンバーに入れます。その後5日間このチャンバーの中で過ごさせ、通常の部屋(つまり21%酸素)に戻した後、生後17日目で網膜の血管を評価するということをします。その間薬剤を注射したりすることは当然あるのですが、以上が基本のモデルです。このモデルは30年以上前から行われていますが、方法論や評価法が完全に確立したのは10年程度前で、一応未熟児網膜症のモデルとされます。一応と書いたのは、生後7日目はマウスの一生をヒトに換算するとすでに幼児になっている日齢で生後すぐより酸素療法が行われる未熟児とは異なります(少なくとも私はそう思っています)。なのでプロトコールを改変した別の未熟児網膜症モデルもその後登場しているのですが、この(オリジナルの)モデルでも血管閉塞や血管新生が起き、私の見たいものも十分評価できるため、その簡便さと安価なこともあってこのモデルを使用しています。

 ただ問題になるのはこの時期の仔マウスは一人では生きることができません。つまりまだ離乳が完了していないため母親マウスとともに生活をする必要があります。となると当然母親も同時に酸素チャンバーに入れます。この母親マウスは高濃度酸素に弱いバックグラウンドのマウスから(対象の遺伝子改変マウスが)作成していると肺に強い毒性を示し、5日間の酸素療法に耐えられません。そのため1日数時間母親マウスのみチャンバーの外に出して(肺を酸素毒性から)休憩をさせます。これが比較的煩雑で毎日2回歩いて10分程度の動物舎に出向いて数時間だけ母マウスのケアをするという単純作業を強いられます。もちろん土日、休日は関係ありません。最近では多くの実験がまとめてできるように繁殖を同時期にまとめてしたり、休日出勤の動物舎のスタッフにお願いしたり、可能な限り休日にケアしなくても言いように繁殖させる日を選んだりさまざまな工夫ができるようになりましたが、実験開始当初はまったく仕事に行かなくてもいい日が月1日とほぼ日本と同じような出勤回数(滞在時間は圧倒的に短いですが・・・)でした。また実験は雄と雌を一緒にしてから母親の妊娠期間、上記の酸素使用と合わせて約1ヶ月半かかりようやくデータになります。しかし最終的に染色がうまくいかない、思うように病変ができていない、(母マウスのストレスが大きすぎて)仔マウスが十分大きくならないなど様々な問題が生じ最終的にデーターにならないことも少なくなく、生き物を扱う研究というのは生易しいものではないと感じています。

 現在の進捗としては論文でいうとようやくFigure1が出来上がったところくらいです。投稿先にもよるのでしょうが全体としてはFigure5くらいまでをイメージしています。しかしおそらく様々な追加事項を考えると全体の1/8~1/10程度が終わったあたりで、まだまだ先は長いです。とはいってもFigure1の重要性は非常に高く、ここで間違えると後のすべての研究が無駄になってしまいますので、追試に追試を重ね、解析もあらゆる面から確認する作業にも追われています。日々とても忙しく、うまくいかないことも多いため苦しいことが多いですが、何一つ進んでなかった去年に比べると格段の進歩なので楽しみを見出しつつがんばりたいと思います。

 今回は少しだけ選挙の話題を取り上げます。9月にスウェーデンでは4年ぶりの総選挙が行われました。我々永住権のない外国人には投票権はありませんが、いたるところで選挙活動が行われました。連日テレビでの報道は日本と変わらないところですが、こちらでは車での演説はあまり見かけません。その代わり町に作る演説台で演説する風景を見かけますが、(平日日中にあまりで歩いていないせいか)ごくたまにです。日本との大きな違いは町の中心に小屋が建ち、コーヒーを飲んだり、チラシを配ったりするスペースができることです。何も知らなかった私は最初見たときはお祭りかなと思ったくらいです(写真)。妻の通学する語学学校は選挙会場になったようでしたが、投票用紙が散乱しています。投票用紙には政党毎に別れていて、自分の選んだ政党の投票用紙に候補者の名前を書くようです(写真)。

 政治の仕組みに関しては不勉強でよく分かりませんが、直後に現首相の不信任が決まり、最大与党(スウェーデン社会民主労働党:Socialdemokraterna)も過半数を割り首相不在の混沌とした政治になっているようです。反移民を掲げる政党の躍進も言われ9月いっぱいは政治ニュースの話題は尽きませんでした。ちなみに投票率は(毎回)80%を超えるようで、高い税金の使い方に関心のあるスウェーデンならではなのかもしれませんね。今回はこの辺で

選挙小屋の風景

選挙小屋の風景。各政党が小屋を持ちコーヒーや飴が配られる。
チラシを配ったりアンケートをしたりする風景が見られる。


投票用紙

投票用紙。国政(黄)・県(青)・市(白)レベルで色分けされている。
支持する政党の用紙を使用し、候補者を記入したり、□にチェックしたりして投票するようです。



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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2018.08.13 
 皆さんいかがお過ごしでしょう。
日本では例年以上の暑い日々と聞いていますが、こちらスウェーデンでも5月から陽気が続いております。7月に入り30度を超える日もありスウェーデンの夏にしては雨も少なく暑い日々で、山火事や渇水のニュースも多いです。この2ヶ月間こちらは街もラボも完全に休みモードです。PIは1ヶ月程度夏休みをとりますし、多くのポスドクも2週間程度の休みを楽しみます。8月に入り少し人が戻ってきている印象はありますが、全体としてまだ閑散としています。この時期、In vitroの実験は本人のやる気しだいですがIn vivoの実験はとたんにやりにくくなります。マウスの管理は少し雑になり、酸素の供給(私が高濃度酸素チャンバーを使用した実験をしているからですが)も最低限の使用にとどめるよう言われています。逆に人が少ない分、顕微鏡や共通機器の予約が取りやすくなったり、ミーティングなどの時間を気にせず自分の時間が多く取れたりするのは大きな魅力です。本実験が始まり2ヶ月が経過して思うようには結果は出ていませんが、研究の手法・知識などが少しだけ増えたため、あれはどうか、これはどうしようかと自分で考えることができるようになってき、苦しみながらも楽しい毎日です。
 今回はお祭りを取り上げます。スウェーデンは冬が圧倒的に長く、短い夏を重い存分楽しもうというなにか意気込みですら感じられます。それにあわせてかイベントは春~夏に多い気がします。季節を追って独断でまとめてみることにします。

1.Valborg
ゴミ  4月最終日と決まっていて、この日は正式には休日ではありませんが、Uppsalaはお祭り騒ぎになります。スウェーデンではUppsala以外ではLundという町でも同様のお祭り騒ぎがあるようですが、この2つの街に共通するのは「学生の街」ということです。春になり故郷に帰りたい学生が(経済的な理由で)故郷に戻れない代わりに学生同士で春の到来を祝うとも言われているのですが、現在では単に春の到来をお祝いするイベントになっているようです(写真)。大学の図書館が中心となりセレモニーが行われています。スウェーデン語なので詳細は分かりませんが偉い人が挨拶したり、ブラスバンドが音楽を奏でたり、参加者が掛け声をかけたりしています。最後に帽子を振って春の到来を喜ぶというのが伝統のようです。この日はUppsala大学出身で、現在国内外で仕事をする若者たちもまたUppsalaに集まり旧友との親交をあたためるとあって街はいつも以上に活気付きます。またこの日だけは道でお酒を飲むことを許されるため方々で酔った若者を見かけますし、空き瓶や空き缶が散乱します。この日はラボも休日扱い、家族連れでの不要な外出は控えるようにとボスにもいわれました。今年は前日が日曜日、つまりお酒を扱うお店はお休みなので少しましのようですが、それでも多くの空き缶、空き瓶が散乱していました。

2.Studenten
ゴミ  いわゆる卒業式ですが特に高校の卒業式は大々的です。トラックを借り、荷台でお酒を飲みながら町中を回ります。幸いUppsalaではほほえましい光景で済むのですがストックホルムでは渋滞の原因となるようです。6月の初旬に行われます。(写真)

3.Midsommar(夏至祭)
 貝藤先生の体験記に少しありますので詳細は割愛します。音楽に合わせてメイポールの周りを踊り、子ども達は最後にお菓子をもらいます。おとなたちはジャガイモやニシンを使った伝統的な料理とSnapという蒸留酒をたしなみます。デザートにはイチゴにホイップクリームをかけたものが一般的です。この日を夏休みの初めとする人が多いためひとつの区切りとして大切な行事とされている印象があります。また日没が23時近くなり(北極圏では真夜中の太陽が見られる)ため夜遅くまで楽しまれるイベントです。

4.Kraftskiva
 現在では多くの場合8月の中旬から下旬にかけて行われます。アメリカでもある風習ですがオリジナルはここスウェーデンといわれています。いわゆるザリガニパーティーでザリガニを食べながらお酒を飲むイベントです。多くは外つまり家の庭で行われます。私自身は経験はありませんが1階に住む老夫婦が主催で行われたものを横から眺めていました。この時期になるとどこのスーパーマーケットでも売られるのですが、紙製テーブルクロス、前掛け、コミカルな紙製帽子、『月の男』を模した紙製ランタンが会場に用意されます。ザリガニ漁が8月までになってからこの時期にされるようになったようですが、多くのスウェーデン人はこれを夏の最後のイベントと位置づけているようで心なしかこれが終わると新学期モードに切り替わる気がします。
  ここまでが春~夏のお祭りです。ついでなので冬のイベントも2つだけ簡単に紹介させていただきます。どちらもキリスト教由来のお祭りです。私はあまり詳しくありませんので正確でないかもしれません。

5.Lucia祭
 通常12月13日に行われます。子供の頭にロウソクのリースを飾り、ナポリ民謡『サンタルチア』のメロディーを歌います。そのほかにもクリスマスソングが歌われることが多いです。最後にクッキーやサフラン入りのパンを食べて締めくくるという流れです。娘の幼稚園や小学校でこの行事が行われ、この日は親も仕事の手を止めて見にきます。(Uppsala大学でのノーベル賞受賞者の講演と同日のため私は行きませんでした。)

6.Fettisdagen
ゴミ  イースターの46日前の水曜日からイースターの前日までの時期を四旬節と呼び、昔その期間断食を行っていたそうです。それに備えて四旬節に入る前の火曜日(告解火曜日)にスウェーデンでは「セムラ」を食べていました。セムラとは甘いパンの間にアーモンドペーストとホイップクリームがはさんであるスウェーデンの伝統菓子のひとつです(写真3)。2月にはいると多くのパン屋やケーキ屋では自家製のセムラが売られます。それぞれ少しずつ味が違うので食べ歩く人もいるようです。今年はスウェーデン人の大学院生の呼びかけでラボの皆で手作りのセムラをご馳走になりました。彼のはホイップの甘さが控えてあるとてもおいしいセムラでした。 それでは今回はこの辺で
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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2018.06.08 
 5月に入り突然夏のような陽気が続いています。例年より雨が少ないため乾燥した上に、スウェーデンでは20度を超えると夏のように感じられます。こちらでは4月に春を祝う祭りがあり、5月では方々で様々なイベントごとがあります。今月下旬には夏至祭がありますので祭り三昧です。昨年は来たばかりで「なんでこんなに浮かれているんだろう」と思っていましたが、一冬越すとその意味が分かるようになりました。待ちに待った短い夏なのです。太陽の日差しも温かい気温も今年はより貴重なものに感じます。

 昨日まで隣国フィンランドで国際学会が開かれていました。私の所属する研究室をはじめUppsala大学もいくつかの研究室のPIがオーガナイザーを務めており血管研究をしているほぼすべてのメンバーが参加することになりました。残念ながらデータ不足で私単独のポスターを作ることはできなかったのですが一緒に研究を進めているポスドクのポスターに私のデータを加えてもらうことができました。発表当日もたくさんの質問を受け刺激を受けて帰ってきました。とはいってもまだまだこの分野での知識・経験不足は否めません。また他のポスターと比較して我々のプロジェクトはようやくスタートラインに立ったようなところで、まだまだ先は長いなあと感じています。

 今回はごみをテーマに取り上げます。スウェーデンは環境先進国と言われていて世界に先駆けてリサイクルやごみの分別に取り組んできた歴史を持ちます。そのことを知っていたので1年前にスウェーデンに到着し家庭ごみの分別を見たときは正直「たいしたことないなと思ってしました。近くのごみステーションに捨てられるごみは生ごみ、燃えるゴミ、包装紙・新聞など紙類、プラスチック、金属、ビン(色ありと色なし)といったところです。もう少し離れたところには電池や衣類などの回収ボックスがあります。ほとんど神戸にいたころと変わらない印象がありました。

 ところが日本でいうところの「燃えないゴミ」(神戸では緑の文字が書かれている袋)に当たる分別がありません。これまで我が家が捨てたごみの中でお皿などの陶器類、植木鉢、蛍光灯や電球、スプレー缶、壊れた時計は近くに捨てるところがありません。調べてみるとUppsalaでは6~7か所の収集所がありそこに捨てに行くシステムになっているようです。
 捨てるものはわずかでしたが、完全に興味本位で収集所に行ってみることにしました。幸いバスで1本で行けるところにありました。着くとそこはまずまず大きな敷地がとってあり、他の人は車で捨てに来ていました(写真参照)。先ほど書いたようなものはすべて捨てることができましたし、タンスや冷蔵庫等粗大ごみも捨てることができます。ものによってはお金がかかるようですが基本的には無料で捨てることができます。引っ越しの多いこの町では多くの人がこのステーションを利用するようでした。 もう一つ面白いのはごみの回収方法です。もちろん日本のようにごみを出す曜日が決まっおらずいつでも近所のごみステーションに捨てることができます。回収日は大体曜日と時間帯で決まっています。そして回収車での回収はアメリカのそれと同様で、岩谷先生が昨年7月に書いてくれているような回収方法が基本となります。しかし住宅のごみステーションの中には金属で下に固定された形のごみ箱(特に新しい住宅の近く)をよく見かけていたのでどうやって回収するのだろうと思っていたのでしたが、ある日とうとう見ることができました(写真参照)。

ゴミ

 なんと金属のごみ箱の下にまた更に巨大な金属の箱がありある操作をすると底が開くようにできていたのです。慌てて写真を撮ろうとしたのですが間に合わずこの写真しか取れませんでした。(またそれ以降この回収車に出会うことができていません) さらにもう一つ日本と違う回収方法をとっているものにPantがあります。回収できるタイプのペットボトルや缶にはPantと書いてありリサイクルを示す矢印マークのほかに1~2クローナ(現在1クローナ13円程度)という値段が書いてあります。これを大きなスーパーに持っていくと回収する機械があり、回収を終えボタンを押すとレシートが出てきます。これをレジに持っていくとお金に換えることができます(もしくは買い物の値段から値引きしてもらう)。昔、日本で缶を100個集めたら数円と交換し、小遣いの足しにしていたのを思い出しましたが、それよりはるかに効率がいいですよね。でも実際には缶やペットボトルに入った飲料を買うときには飲料代と別にPantのお金を払っているのです。回収しに行かなければその分「損」をする仕組みになっているわけなんですね。
今回はこの辺で。

Haga slott
新しい住宅の近くにあるゴミ回収所


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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2018.04.14 
 皆さんこんにちは。少し間が空いてしましたが、こちらはようやく春の気配がし始めたところです。とはいっても気温は5℃前後、降りはしないものの道の脇にはちらほらまだ雪が残ります。丁度こちらに来て1年が経過したところですので今回は研究生活を中心にご報告させていただきたいと思います。

 以前にも少し述べましたが私のメインテーマはendothelial Nitric Oxide Synthase(eNOS)という分子です。iNOSやnNOSなどと主に一酸化窒素合成酵素として知られ細胞内情報伝達の一因子です。この分子は特に血管内皮細胞において(当研究室がターゲットとしている)VEGFの下流にあり、現在では主に血管新生や血管平滑筋に作用し血管透過性に関与すると報告されていますが、詳細なメカニズムはいまだ不明なままです。そこで細胞内シグナル伝達を1人のポスドクが、私は主に網膜を対象臓器として、とある網膜症のメカニズムがeNOSと関連しているとの仮説の元、日々研究をしています。網膜は血管生物学の中では比較的メジャーな対象臓器で、特に血管の発達を見るのに適したモデルです。また基本的に仔マウスを使用した実験になりますが、生後様々な処置を施した後3週間目で評価をするので1つの実験がそれなりに大掛かりになります。私は網膜の解剖を練習した後、ようやく2月末ころから本格的に実験を始め少しずつデータが出てきたところです。変異マウスも半年かけてようやく到着し、繁殖がひと段落してこちらも準備が整ったといったところです。他の研究同様in vitroからのアプローチもこちらに来た当初から取り組んでいますが今一つプロジェクトを前進させる結果が出ていないのが現状です。未熟ながらも少しずつ研究の進め方が見えてきていますので、これからは加速をつけてどんどん進めて行きたいと思っています。  またこのほかに前回体験記から私にとって2つ大きな研究室のイベントがありました。

 1つ目はこちらに来て初めてのLab meetingでの発表がありました。私の場合日本での臨床データしかもち合わせていなかったため、前任地での研究成果を発表する機会は与えられませんでしたが、こちらに来てからの成果をお話しさせていただくのは同時期に新しく来たポスドクメンバーの中では早い方でした。先に述べたIn vitroでのnegative dataを中心にお話ししましたがたくさんのご意見をいただきました。また今後の方針ということで網膜の実験計画についてもたくさんのコメントや質問をいただき、いまだ慣れない英語で返答する良い勉強になりました。

 2つ目はRetreatというイベントでした。この体験記を書く直前に行われましたが、1泊2日の合宿形式で研究についてとことん話し合うイベントです。我々の研究室の他に数グループが参加しVascular Biology Unit全体で行われました。基本的には1人10分で短く研究発表+質疑応答といういわゆる学会形式でした。このイベントで最もよかったことは、網膜は私の属する研究室では比較的マイナーな対象臓器でしたが他の研究室でしている人もちらほら見られたので、異なるアプローチや手法を知ることができたことでした。また研究室も近いので少し話をし、顔見知りになることで今後にもつながるのではないかという期待ができたことです。また様々な国の方が様々な形式でプレゼンテーションをするためプレゼンテーションの仕方について学ぶよい機会にもなりました。

 学会形式の発表の間に、もう一つイベントがありました。それは自由に研究テーマを選んでタイトル、目的、方法、重要性といったApplicationのようなものを書くというものでした。これはグループワークとして行われましたが、バックグランドの違う他グループの人と一緒に取り組みました。我々の班は腫瘍をテーマにしている研究者が多いのでテーマは「乳がんとその転移メカニズムの解明」でした。残念ながら全く親しみのないテーマで、方法論の引き出しも少ない私は、ほとんど議論に参加できませんでした。しかし学生時代のチュートリアルを思わせ、わいわい話しながら1つのものを完成させる過程は何となく楽しいものでした。さらに面白かったことは当然グループの中には腫瘍に全く興味のない研究者もいます。典型的日本人の私としては多少興味がなく、門外漢でも少しでも協力できるように努力したりすべて終わるまで参加するという態度だけでも見せます。しかしこちらの人は比較的はっきりしていて興味がなかったら全く議論に参加しないだけでなく時間になったら他に取り組んでいる人がいるにもかかわらず会場を後にしていました。それに対して残っている人も何も言わないのです。無意識のうちに「和」を乱すまいとしていた自分が改めて典型的日本人だなと感じたときでした。

 研究は異本的に個人プレーなのですがLab meetingやRetreatのようなイベントを中心に他者と交わり議論し仲間を増やしていくことも研究の一部なのだと改めて感じさせられました。またそれを可能にするために英語が共通言語となり様々な国の研究者と研究をつなげているのだと当たり前のことを改めて気づかされ、来た時よりましになったもののまだまだ同じ土俵で議論するというレベルではないため引き続き鋭意努力が必要と痛感しました。

Haga slott
Retreatが行われた会場。ラボからバスで45分程度のところにあります。
Haga slott(ハガ城・左)という名前なので観光地を想像していましたが、
宿泊所と会議室(右)しかない研修所のようなところでした。
周りには湖以外は何もなくまさに缶詰の26時間でした。


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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2018.01.19 
 少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。スウェーデンでもクリスマス前から長期休みに入り、公的機関では1月2日より、ラボ内は先週くらいから少しずつ日常を取り戻し、今週からは学生さんが授業を開始したようで現在はかなりの賑わいです。
 こちらに在住する誰もが言うのは冬の日照時間=太陽の出ている時間ですが少しずつ延びてきている印象です。冬至を過ぎてからだいぶよくなりましたが、今はそれでも8時くらいから徐々に明るくなり、15時くらいから暗くなり始めますので日本よりだいぶ短く感じます。 仕事面では細胞を使った実験が少しだけ進み、輸入予定のマウスの到着が見えてきたということでマウスの予備実験を開始したところです。こちらにも動物実験を開始するためのコースが存在し、e-learningがあります。20近いコースと終了時のテストがあり、何度受けてもよいのですが複数回答のもの全問正解が求められるのでそう簡単ではありません。内容も必ずしもテキストに載っていることばかりではないため難解な問題はGoogleなどで調べてはトライしを繰り返し、結局1ヶ月近くを要しました。中には30回近く受けたテストもありました。その後動物舎の案内をしていただき、その建物のアクセスカードやデータベース使い方などを教わり年明けにようやく出入りすることができるようになりました。それが終わっても私自身ご存知マウスの実験は初めてですのでごく基本的なことも少しずつ教えていただきながら、研究対象を網膜で扱う予定となったため網膜の解剖法を教わったところです。マウスの処置を今後指導してもらう必要があるのですが、まずはWild typeでその後変異マウスでの実験になりますのでまだまだ道のりは長いという印象です。

 今回は少し小学校の話題を提供したいと思います。こちらスウェーデンでも小学校からは義務教育となります。基本的にどこでもよければ入ることができるのですが希望の場所にいくためには事前登録が必要となります。貝藤先生の助言もあり事前にWebで登録を済ませていました。そのためこちらに来て当初よりすぐに学校に入ることができました。現在通っているのはUppsalaに数少ないInternational schoolで、中でも短期間滞在する人向けのEnglishクラスです。もちろん通常クラスに行くこともできたのですが、基本が英語が話せることが前提のクラスでSweden語の授業のあるクラス、Sweden語が話せることが前提で英語の授業のあるクラスのどちらかしかありません。私の娘は当然英語が話せなかったかのでほぼ選択肢はなく、特別のEnglishクラスに所属していました。最初は友達と話ができなくて行きたくない日もあったようですが、所属しているほかの子達も同様でしたのでお互い言葉の不自由な同士で1ヶ月もしないうちに馴染んで楽しく過ごしている様子でした。またスウェーデンの学校自体が宿題もない上、カリキュラムが比較的ゆっくりのようで新しいことを次々理解しなくてはいけないとか、テストがあって勉強しなくてはいけないとかいうわけではないようで今でも日々のびのびと過ごしています。またのびのびといえばとても休みが多いことです。ご存知2ヶ月の夏休みに加えて、約2週間のクリスマス休暇、このほかにイースター休暇と秋休み、冬休み(スポーツ休暇と名がついています)にそれぞれ1週間ずつあります。これにあわせて休暇をとる親も少なくありませんし、逆に仕事熱心な親の場合は職場に子どもをつれてくる人もいます。

 こちらの小学校がずいぶん日本と違うところは2つあります。まずひとつは運動会や音楽会といった学校を挙げて集団で行う行事がほとんどないということです。ほとんどというのは唯一終業式と卒業式はあります。高校まで行くと比較的派手でトラックを借りて荷台に生徒が乗り町中を走り回るという光景を見かけます。娘の小学校では教会で終業式が行われました。異なる日程で卒業式があったようです。行っていないので様子はお伝えできませんが歌を歌うこと以外は日本と同様の終業式だったようです。また日本では集団で行われるのが比較的一般的な健康診断もスウェーデンでは完全に個別でした。身長・体重・眼の検査と問診(ワクチン歴や生活習慣にかかわること)といった簡単なことですが、これを1人しかいない学校専属の看護師が行います。生徒全員に個別にするのはずいぶん大変だろうなと思います。また個人面談が学期ごとにあります。私は毎回行けてはないのですが、ほとんどの生徒の場合は両親がそろって学校に出向き、30分から1時間程度学校での様子と家での様子を話し合います。問題等があればここでゆっくり話し合います。日本でも家庭訪問を合わせると年2回程度は個人面談がありますが、かけられる労力と時間のウェイトが少し多いような気がしています。

 もう一点は学期の最後とクリスマス時期に先生にプレゼントを渡すことです。日本では先生にプレゼントを渡すことは卒業式くらいのような気がします。これはほぼ恒例行事のようでクラス内の親の誰かが取りまとめて集金し、プレゼントを用意します。学年ごとに先生が変わるからというのは理解できますが、クリスマスにも渡すのには正直驚きました。比較的先生と生徒の距離が近いというスウェーデンの文化を反映しているからかもしれませんね。
 義務教育だけにもちろん授業料は無料です。それに加えて教材や筆記用具などはすべて学校から支給(レンタルが多いですが)されます。はじめは学校に行くとiPadを渡されて調べ物をする光景は少し新鮮に感じていました。一応音楽や工作や体育などを時間ごとにこなし、通常14時ころ終わります。そこまでは日本とほぼ同様ですが共働きが多いせいか、ほとんどの子どもがその後Fritidsという学童学級に行きます。ビデオをみたり、工作したり、外で遊んだりと文字通り自由に時間を過ごします。別のクラスの子どもともここで友達になります。17時くらいが最終の預かりで親が多くの場合迎えに来て終了です。このFritidsは土日こそないものの先に出てきた長期休暇にもあります。長い休みにすべて親が休むわけにもいかないからでしょう。Fritidsにはいくらかのコストが発生しますが数千円の単位ですので子ども手当てで十分補うことができます。教育にも十分に公的なお金がかけられ、見える形での税金の使われているかなと思っています。

スケートリンク
始業直前(8時すぎ)の学校の様子。クラス毎に先生がカウベルを鳴らし子ども達が教室に向かいます。
左の写真の校庭の一角ではこの季節にはスケートリンクがつくられ体育の授業でスケートを楽しむようです。


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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2017.11.15 
 皆さんこんにちは。
日本もだいぶ寒くなってきたようですがいかがお過ごしでしょう。こちらはすっかり冬模様です。朝起きたときの気温は氷点下で、道路や窓ガラスには霜が降りています。今日は積もってはいませんが雪が降っています。日照時間も格段に減り、出勤・退勤時は真っ暗です。
 研究に関しては私の手技自体はかなり安定してきたものの未だプロジェクトを前進させる結果は得られていないため正直進展なしといったところです。ただ留学組がもれなく苦労する「言葉ですが、私の場合この半年で改善がみられるもののひとつですので少しだけお話します。
 すでにスウェーデン人の英語力の高さはご存知の通りですが、やはりネイティブではありませんので話している内容はさほど難しくありません。発音は私をはじめとした東アジア人よりもはるかにきれいなのですが、比較的ゆっくり話してくれるので生活のセットアップに関する英語はあまり困りませんでした。しかし問題は仕事でした。研究室にはネイティブは1/4程度しかいないのですが、ネイティブでないほかの皆も英語に慣れているのでしょうか。最初は本当に分かりませんでした。ボスとのmeeting, Lab meeting、日常の連絡事項、coworkerとのやりとりにいたるまで支障だらけで何度も聞き返すことも少なくありませんでしたし、細部は全く聞き取れませんでした。あんまり分からないと「後でメールするから」といわれたりその場で図や文を書いてもらったりしていました。ようやく連絡事項が聞けるようになったのは3ヶ月、Lab meetingで質問できるようになったのは4ヶ月(知識は別として)、研究内容や雑談で意見交換ができるようになった(Discussionというにはおこがましいですが)のが5ヶ月を過ぎたところなのでだいぶ遅かったと思います。今でも昼食時やFikaのときなど特に雑音が多い中での会話はすべては理解できません。またネイティブ同士の会話についていけないこともしばしばです。また何か考え事をしているときには英語に切り替わるのにタイムラグが生じてしまいレスポンスに時間を要したりどもってしまったりしますのでまだまだなのでしょう。しかし半年前に比べると自分の中では格段に過ごしやすくなったのは確かです。

 今回は話題として自転車を取り上げてみたいと思います。ウプサラは小さな町で、バスがよく発達していますので特に不自由はしないのですが、ちょっとした用事をより短時間で済ませたり、近所で買い物をしたりするのには自転車が便利です。私自身が自転車が好きということもあり、こちらに来て1ヶ月して購入を決意しました。とはいっても買い物の中では比較的高価なものですし、かごやライト、ベル、反射板などの付属品はすべて自分で購入する必要があります。自転車修理もかなり時間がかかります。そこで付属品がついていてかつ本体を可能な限り安く済ませるために週末屋外で開かれる蚤の市(Loppis)で購入しました。幸いほぼ新品のMTBは市場値の約1/4程度で購入できました。

現在の愛車
現在の愛車 よく盗まれると聞いてかぎは2つつけています。


 北欧はデンマークをはじめとして自転車大国といわれています。その証拠に自転車道がほぼ歩道と並んで走っており、整備されています(地図参考)。多くの公園ではタイヤに空気を入れる道具が整備され(下図参照)、誰でも無料で簡単に自転車の空気を補充できます。
 

路線のバス
(左)少し細かいですがUppsalaの自転車地図。赤線が自転車道。中心部を除いてほぼ全域に整備されている
(右)自転車の空気入れ 大きな公園や広場の一角にある


 また安全に対する意識も高く、多くの人がヘルメットを着用し、曲がるときには手信号を使用しています。
また罰則(罰金)がはっきり決まっています。
その例をいくつか挙げると
 ・歩道への侵入 500SEK(SEK 約14円)
 ・暗い時間での無灯火 前・後それぞれ500SEK
 ・ブレーキなし 500SEK
 ・反射板なし 500SEK
 ・2人乗り 500SEK
 ・信号無視 1500SEK
 ・一旦停止無視 1000SEK 
 この罰則規定がどこまで市民に浸透し、かつどの程度取り締まりがあるかは分かりかねますが、歩道を走る自転車に一般歩行者が叱責しているのはよくみかける光景です。日本と同様ですが自転車道がないときは車道を走り、歩道では自転車は降りなければいけません。

路線のバス

 さらに少し面白い自転車にまつわる付属品があります。それは上図の写真のようなものですがここに子どもを乗せることができます。日本では小さい子どもを後部に乗せるシートはありますがそれ以降少し大きくなった子どもをどこかに連れて行くのは不便です。このカートでは20-25kgくらいまでの子どもを乗せることができます。子どもが小さければ2人載せることもできます。もちろん荷物も載せられるので重宝する人が多く、ブラジル出身の友人家族は母国に帰る際に持ち帰っていました。またさらに上図のように連結式の自転車もあります。もっともこれはほぼ自転車が乗れるような子ども用ですから実際は別に子ども用自転車に乗っている場合が圧倒的に多いような気がします。
 自転車ももちろん右側通行です。最初は私も慣れずに対向車に合ったとき左によけてしまったり、そもそも反対車線を走っていたりしました。 路面が凍結するような季節になり、自転車の登場回数は少なくなってきていますが快適な自転車ライフも北欧生活の醍醐味であると感じています。
今回はこの辺で。


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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2017.09.25 
 皆さんこんにちは。
 こちらはすっかり冬めいた気候になってきています。まずは日照時間が格段に少なくなりました。つい12ヶ月前までは22時ころまで明るかったのですが今はほとんど日本と同じで1819時ころに暗くなります。朝も6時にはまだ薄暗いくらいです。これからもっと日が短くなるとのことですのでどんな世界なのか楽しみ半分ですが、加えて雨も多くからっと晴れることが少ないので欝々もするようです。
 今回は話題として公共交通機関を取り上げてみたいと思います。車のない私たち家族は日常的にバスや電車を使っています。日本より便利ということはないのですが面白い点も含めていくつかご紹介します。

1、 バス
  日本でもほぼすべてのバスがそうなりましたが基本的に低床で乗り降りの際は地面とほとんど差がありません。どのバスにもBIOGASと書かれており環境に配慮していることが伺えます。主要な路線でなおかつ朝や夕方のラッシュ時には5分に1本ありますし、娘の通学と私の通勤に使うバスも10分に1本ありますので不自由は感じません。料金ですが現金が使用できず通常のクレジットカードで35kr(約450円)、プリペードカードをチャージして支払って22kr(約300円)とやや割高な感じがあります。けれど最初のバスに乗ってから75分間は何度乗り降りしても追加料金はないのでかかっているお金はこちらのほうが安いくらいです。もちろん定期券を買うともう少し安くなるようです。こちらに来て驚いたのは頻繁にダイヤ改正があることと路線までが変わってしまうことです。 まずダイヤ改正ですが私が着てからすでに2回ありました。1回目は夏休み開始とともに改正されどのバスも通常の1/2-1/3に本数が減少します。日本で言えばお盆や正月のダイヤと同様ですが、こちらの夏休みが非常に長いので約2ヵ月半の間バスが大変少なかったです。実はこの間、学校(いわゆる休み中にある学童学級のようなものですが)や保育園の生徒数が減り多くの先生が長期休暇を取るため、3-4つの学校の生徒がひとつの学校に集められます。それがたいてい田舎の方の学校になることが多く、7月はバスも少ない上2人の娘が町の反対側の学校(保育園)に行くことになったため出勤前に2時間ものバスの旅をする必要がありました。さらに本数も少ないので綿密に計画を練ってバスに乗り遅れないようにする必要がありました。現在のダイヤは8月末に改正されほぼ日常どおりの便利なダイヤになりました。もちろん土日の本数や朝ラッシュ前、夕ラッシュ後に本数がぐっと減るのは日本と一緒です。

 もうひとつは路線の変更です。なんと8月のダイヤ改正とともに路線ががらりと変わったのです。そのままの路線もなくはないのですが、例えばこれまで1番の路線のバスはウプサラ駅を中心とした町の中心部を南北に通っていたのですが、路線変更に伴い中心部は全く通らずに町の周辺をぐるっと1週回るような路線に変更しました。これまでなかったルートである上、番号が従来使われていた番号のまま(もちろん書いてある行き先は違います)ですので、よく混乱しないなあと感心していたのですが、やはりスウェーデン人にとっても混乱するようで「○○は通らないのか?」と聞いている場面によく出会います。最近ではバスの中に町の中心は通らないよといった案内が張ってあったり、バスの運転手が聞いていないのに教えてくれたりしますので少なからずやみんな間違えるのではと思っています。また路線変更に伴いバス停をほぼすべて新設していますし、屋根つきのバス停でこれまで使われていたものが現在は使っていないような場所も結構ありますので経済的にもそれなりの損失とは思うのですがなぜか1年に1度程度はこのイベントはあるようです。私の家族にとってはこれまで近くのバス停に10分ほど歩いて行っていましたがこの路線変更に伴い家の目の前がバス停になり、学校の近くまで行ってくれるため大変便利になりました。

2、 鉄道
 スウェーデン国内には日本で言うとJRのような会社があり都市間を結ぶ鉄道網がしかれています。ウプサラは首都であるストックホルムと特急列車で約40分、国際空港であるアーランダ空港まで20分ですのでその間に鉄道は頻繁に走っています。切符も券売機で購入後1時間以内に乗車すればよく、上記2つの場所に行くのには指定席を取る必要はありません。ただ長距離の列車は話は別です。2時間3時間以上かかるような別の都市に行くのには基本的に予約が必要で、席を確保する必要があります。立って乗ること(席なし、自由席)はできません。もちろん席に余裕があるときは直前にも購入できますし乗車もできます。また驚くことに料金も一律ではありません。朝1番や夜遅くは乗る人が少ないので安く、午前の便は比較的高いようです。また詳しい仕組みは分かりませんが、需要と供給をなんらかでモニタリングしているようで、残席に応じて値段が変動するみたいです。ですから時期と時間によっては値段が飛行機よりも高くなってしまう事態も生じます。またこちらにも新幹線でいうグリーン車に相当する1等車両が存在します。前述のように値段は需要と供給のバランスで決まっていますがコーヒーや果物が無料というサービスがついています。残念ながら私たち家族はいまだ乗ったことはありませんが。
 毎週土曜日のみストックホルムで補習学校があるため我が家では小学2年生になる上の娘を通わせることにしています。その際の行き帰りにこの鉄道を使うわけですが。基本的には非常に快適な電車の旅です。ただ混乱するのは突然出発や到着のホームが変更になることです。時間ぎりぎりだと切符を買わなければいけない上、ホームを確認する必要がありますのでしばしば走らなくてはいけないこともあります。

3、 タクシー
 車がない我が家では日本でたまに使う存在でしたが、こちらでは非常に使い勝手が悪いものになってしまいました。なぜなら基本的にはこちらは流しのタクシーはありません。タクシースタンドかもしくは呼ぶしかありません。ウプサラでは今のところ駅や大型スーパーの前にしかタクシースタンドは見たことがありません。しかも市内は一律料金で、その料金は350kr(約5000円)とやや割高です。
このタクシーきわめて客が少ないんだろうなあと思っていましたが、思わぬところで使われています。こちらでは遠方の学校に行く必要のある子どもが少なからずいるのですが、その際に市に申請し認められるとバスでいくことのできない場所へは空いているタクシーが送迎してくれたりすることがあります。その際タクシーは子どもが乗っているという看板を屋根の上に立てて家から学校まで送迎をするのです。高額な税金がここにも投入されているだけなのですが子育てがしやすい国というのは公共交通機関の協力もあってのことと改めて感じました。  今日はこの辺で。

路線のバス
毎日お世話になっている路線のバスです。前乗りで料金は先払い。
ほぼダイヤ通り運行されます。車内にはラジオが流れていることが少なくありません。


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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2017.07.07 
 日本ではそろそろ夏本番を迎えようとしているころでしょうか。スウェーデンでも日照時間が長くなると同時に昼は汗ばむ陽気です。ただ夜や朝は日陰に入ると涼しいくらいでとても過ごし易いです。

 前回の体験記から2ヶ月がたちました。ちょうどこちらに来て3ヶ月になりました。ようやく個人番号やIDカード、銀行口座の開設など事務的なことが終わったところでひとまずほっとしています。生活もリズムがほぼ確立しています。朝6時に起床し、7時半頃から娘たちを学校や幼稚園に送り届け、9時くらいから研究を始めます。どんなに遅くとも18-19時には家に帰ってきますがそこから子ども達を寝かせて21時ころから少しゆっくりしながら皿洗いや翌朝の準備をして23時頃に就寝です。もちろん当直はありませんし休日出勤もたまになのですがなぜか毎日があっという間です。よくよく考えると家事育児の時間が日本にいるときに比べ圧倒的に増えています。こちらでは(性別を問わず仕事と家庭を両立することは)ごく当たり前なのですが、働きながら私以上に家事育児をしている多くの日本のお母さんたちに改めて頭の下がる思いです。

 研究のほうはようやく軌道に乗り始めたところです。もともと血管内皮を主対象にVEGFに関する研究をしている研究室ですがそのシグナル伝達の下流にNOSが関与しているという報告が散見されています。ただ伝達経路や作用といった詳しいメカニズムは明らかにされていませんので主にin vitroとin vivoに分け、さまざまな実験系からその全貌を明らかにしようというものです。私は前回の体験記でも述べましたがリアルタイムPCRを中心に進めてきましたがその後ウェスタンブロッティングを教わり、培養細胞を使って実験を進めているところです。

 今回は現在留学中のUppsala大学について少し触れておこうと思います。Uppsala大学はスウェーデン最古の大学であり15世紀に創立されました。ここ医学部のほか農学部、理工学部、文学部、経済学部、社会学部などほぼすべての学問分野を網羅するほどの学部を持ち学生は4万人以上とも言われている巨大な大学です。町自体は小さいので私のような外国人はほとんど大学関係の人であるといっても過言ではありません。私自身こちらに来て知り合った日本人を含めた外国人もほとんど大学の学生、研究員、職員です。他に私の所属する研究所の他図書館、植物園、博物館、病院などをあわせると多くの敷地が大学のものです。まさにUppsalaの町自体が大学とともに発展してきたともいえます。また特筆すべきはその学問です。植物の分類学の父であるLinneをはじめ、電気泳動で蛋白の分離法を確立しノーベル化学賞を受賞したTiserius、通りの名前にもなっている経済学者のDag Hammarskjoldなど数多くの有名な研究者を輩出しています。また学部や研究所にはノーベル賞の選考委員になっている先生方もたくさんいるようです。

 すばらしい研究環境で、成果はもちろん様々なことを持ち帰れるよう努力したいと思います。
ではこの辺で。

アパートメント
私の住んでいるアパートメント。1850年に建てられた年代物ですがTiseriusやスウェーデンの有名な作家Karin Boyeが学生時代をすごしたこともある由緒正しいアパートです。


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忍頂寺先生のスウェーデン留学体験記  2017.05.08 
 日本ではGWなのでしょうか、スウェーデンにも少なからず日本人観光客の姿が見受けられます。皆様お変わりなく過ごされているでしょうか?私は3月30日にスウェーデンに到着しこれまでゆっくりと生活基盤を整えてきました。とはいっても最初のセットアップはほとんどがHousing Officeという大学の組織が必要な家財道具を一式そろえてくれていたので、後は消耗品や食材、インターネットなどを整えたので1週間もしたら通常の生活が送れています。また家族も学校や保育園も順調に決まり、あまりこれといった不自由なく毎日が送ることができています。日本ではぎりぎりまで仕事や娘の学校があり、おまけに家の引越しまで重なって疲労困憊していたためこの順調さにかえって救われたと感じています。今はPersonal Number(貝藤先生の体験記参照)を待ち次なる生活セットアップに備えている状況です。

 研究の方は4月上旬に早々に教授にご挨拶に行くと、すでに研究室とオフィスの机が用意されておりすぐに研究の話となりました。私の場合前任者の引継ぎではなく、すでに先輩ポスドクが研究を開始している内容に加わるという形でした。ただその先輩ポスドクは育児休暇中で50%勤務ということになっており、その後すぐに100%育児休暇をとるとのことで、まさに「できることから」はじめているのが現状です。とはいってもご存知のとおり私自身日本では基礎研究の経験は皆無に等しく、実験手技もわずかな経験値、しかも手を動かしていたのは数年前という有様でした。ですから少しだけ日本で経験していたリアルタイムPCRと簡単な細胞培養、免疫染色と肩慣らしの状況です。ただものの位置から、機械の配置、コンピュータの使用ルールなどすべてが異なりますので1つ1つ分かる人を見つけては聞いて、進めていくため時間があっという間にたっていきます。研究の内容に関してはもう少し私の理解が進んでから改めてご紹介させていただくこととします。

 今回は初めての報告ということであまり内容がありませんでしたが、次回からちょっとした話題を提供しながらご報告したいと思います。
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