小児科研究部門
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貝藤先生のスウェーデン留学体験記


貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2017.04.13 
 みなさんこんにちは。前回の体験記から3か月以上たってしまいました。この3か月は予想以上に多忙でした。1月には論文を投稿しました。実は昨夏に投稿予定だったのですが、あれを追加したらどうか、これはどうなった、と、海外の共同研究者を巻き込んで議論しているとあっという間に1月になってしまいました。投稿予定が先送りになるのはまさに「研究あるある」で、どこの国でも同じだと実感しました。corresponding authorの上司が多忙に多忙を極めているということで、私が代わって投稿することになったわけですが、これが実験以上に大変でした。国内外の他施設との共同研究である上に、同じラボの中でこの研究に関わったほかのメンバーもすでに他施設に異動済、さらに上司はほとんどラボにいないためメールでやり取り、という状況は正直つらかったです。そんな投稿も無事に終わり、残りのテーマは誰かに引き継ぎかな、と思っていた2月、難渋していた実験がうまくいき、突如これも論文にしようということになりました。こちらはラボ内がメインの研究で、いろいろと頼りできる同僚ポスドクもいるので、投稿に際して実務的なことに苦しめられることはありません。しかし何しろ突如降って沸いた投稿話なので、投稿に向けての追加実験とfigure作りに追い立てられる日々でした。そんなこんなで1月、2月、3月はあっという間に過ぎ去り、帰国の日を迎えました。
今回は「留学するために欠かせないこと・もの」を記したいと思います。

1. 確固たる意志
 留学という「ご縁」は、受け身でいるだけではつかみ取れません。自ら留学先を探すにせよ、諸先輩方のお力をお借りするにせよ、確固たる意志がなければなかなか前には進みません。臨床に関われば関わるほど、興味深いことや不勉強なことがまだまだたくさんあることに気づかされます。研究もまたしかりです。学会をはじめとした対外的な活動につく機会も増えます。海外に行かなくても充実した日々をおくることができるわけです。つまり「留学しなければならない理由」より、「する必要がない理由」のほうが増えていきます。私自身、留学の意思表明をしてから最初の数年は、事は何も動きませんでした。今思えばその数年間、私自身の中でもまだ留学に対して迷いがあったようにも思います。留学する必要がない理由を乗り越えられるだけのモチベーションを保てないと、留学という出来事が自らこちらに歩み寄ってきてくれることはありません。これは私の経験上強く言えることです。

2. 家族の賛同
 所帯をもっている場合、自らの確固たる意志と同様、あるいはそれ以上に欠かせないものが家族の賛同だと思います。帯同する・しないに関わらず、留学は家族の協力がなくては絶対に成し得ることができません。妻は当初から私の留学に快く賛成してくれました。そして職を辞して帯同してくれました。面と向かってはなかなか言えませんが、これには本当に感謝しています。このように当初から海外での生活に比較的positiveであった妻ですが、渡航直後の2-3か月は精神的に心底つらかったと言います。買い物に行っても、何がどこにあるのかも、品物の違いも分からない。ちょっと気分転換をしようにも、どこに行けばいいのかわからない。ものも言えない子どもと2人きり。夫も日々の生活に必死で、愚痴を言い合える友人もいない。私の留学先が英語圏でなく、また日本人がそれほど多いところではなかったということが多分に影響しているのでしょうが、海外生活というのは想像以上にいろいろと大変なのです。そしてその大変さは、日中を研究室で過ごす私よりも、妻に降りかかってくるのだろうと思います(もちろん私もいろいろと大変だったわけですが)。家族の賛同をおろそかにして、押し切るように留学したのでは、この試練を家族で乗り切ることができないだけでなく、留学後の生活にも影響が生じるやもしれません。

3. 寛容さと楽しむ余裕
 日本の常識は世界の非常識、などと言われますが、これは決して言いすぎではないように思います。役所の処理スピード、店などの窓口対応、研究室での仕事の進み具合などなど、細かいことを挙げればきりがないほどに違いがあります。そして海外の「常識」よりも、慣れ親しんだ日本のシステムをよく思うことが多いわけです。しかしここでそれらのひとつひとつに過敏に反応していては快適な海外生活を送れませんし、精神衛生上よくありません。寛容になるのにももちろん限度がありますが、予想(期待)と異なる返答・経過であっても、ここの国ではそんなもんだと割り切って受け入れ、その違いを楽しむくらいの余裕が必要だと感じます。自分が外国人だからいい加減に扱われているのだろうか、などと勘繰ったりしてしまうこともありますが、ほとんどの場合はそうでなく、それがその国の日常なのだと思います。まさに郷に入れば郷に従え、です。

 2年半の留学生活を終え、この4月から神戸大学小児科で再びお世話になっています。留学生活はどうでしたか、としばしば尋ねられますが、一言でいうなら「よかった!」これに尽きます。仕事面でも、プライベートな面でも、留学したことによって得られたことは計り知れません。些細なことでも、留学中にはつらいと感じることがいろいろあったはずなのですが、今では機会が与えられるならぜひもう一度行きたいとさえ思います。妻も同じ思いだそうです、そして息子もそのようです。帰国して3週間ほどたちますが、3歳半になる息子は時々「森に行きたい」と言います。リスや野うさぎ、鹿が棲む森で走り回っていた日々を懐かしく感じることがあるようです。海外留学は私だけでなく家族にとっても非常に大きな決断でしたが、それぞれによい思い出を残し、無事に終えることができて本当に何よりでした。 というわけで、私の体験記はこれが最終回です。みなさま長きにわたりお目通し頂きありがとうございました。留学に興味がある、あるいは行ってみたいけどいろいろ心配であと一歩決断できない、といった先生方、ぜひお気軽にご連絡ください。ここではお話しにくいことも含めてお伝えさせていただきます。


大学に附設されているこども病院

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2016.12.26 
 みなさんこんにちは。こちらスウェーデンは、11月半ばに数十年ぶりといわれる寒波の襲来で大雪に見舞われました。私の住む地域で11月に積雪があるのは意外にも珍しいことです。除雪作業が進むまでの間、息子はそりに乗って通園していましたが、それもつかの間、クリスマスを目前にして、雪は全くなくなってしまいました。
 さて今回は久しぶりにスウェーデンの医療制度を取り上げます。ここ数か月の間に、息子の健診、予防接種、歯科受診などで医療機関を訪れる機会が複数回ありました。以前にご紹介した内容と一部重複しますが、私の経験したスウェーデンの医療を改めて記したいと思います。

1. 医療費の自己負担額は少なく、明瞭会計
 パーソナルナンバーを持っていれば、20歳未満の未成年にかかる医療(処方薬・歯科を含む)については自己負担ゼロです。これは保護者の収入の多寡を問わず適応されます。成人については、こちらも収入の多寡に関わらず、診療にかかる自己負担の累積額が1,100SEK(歯科を除く。1SEK=約12円)をこえた時点で、それ以上の自己負担は一定期間免除されます。処方薬は別枠で、こちらは2,200SEKをこえると一定期間免除です。免除に関しては患者側から申し出ることはなにひとつありません。支払い状況は各医療機関・院外薬局でオンライン共有されているようで、リアルタイムで把握されています。そして明瞭会計です。医師の外来診察料は診療科や病医院別に分けられていて、だいたい100から350SEKです。初再診料と考えると高いのですが、その日に行われる検査・処置料もここに含まれます。つまり1回の受診にこれ以上を要することはありません。

2. 通訳をつけてくれる
 こちらの医療従事者は皆流ちょうな英語を話します。私の住む都市が大学都市であるためなのか、医師は皆外国人の診察にとても慣れているように感じます。私のつたない英語でも、嫌な顔ひとつせず理解しようと努めてくれます。ただし希望すれば、母語通訳の方と一緒に診察を受けることができます。無料です。

3. 処方薬はまるごと1瓶
 息子が鎮咳薬(シロップ)の処方を受けたときのことです。処方箋は患者には手渡されず、すべてオンラインで処理されるので、身分証明だけをもって、いわゆる院外薬局へ取りに行きました。すると、処方された薬はなんと330mlのシロップ薬そのまままるごと1本でした。1回5ml、1日2-3回の指示だったので、3週間分といったところでしょうか。患者ごとに小分けにする習慣がないのか、それとも担当医がそう処方しただけなのかはわかりませんが、これを受け取った時はちょっと衝撃でした。ちょうど2年ほど前の話になりますが、その薬はいまだに冷蔵庫に眠っています。

4. ワクチン接種が簡便
 インフルエンザをはじめ、ワクチン接種を自費で受けたいときにはワクチン専門のクリニックへ行きます。そこにはインフルエンザやTBEから日本脳炎、黄熱病まで、ひととおりのものが用意されていて、大人、こどもに関わらず受け付けてくれます。先日家族そろってインフルエンザワクチンを受けに行きました。予約はしていませんでしたが待ち時間は全くなく、ひとり100SEKとreasonableな値段で非常に助かりました。ちなみに経鼻インフルエンザワクチンの情報提供も受けましたが、こちらは1回500SEKとわりといいお値段でした。

5. 待ち時間が少ない
 こちらの医療機関は急性疾患の場合を除き完全予約制で、診察はほぼ予約時間通りにはじまります。予約なんだから当たり前といえば当たり前なのですが、私のこれまでの経験からすれば予約時間はあってないようなもの(というと御幣がありますが)で、なかなか予定通りにはならないのが常だと思っていましたので、最初は感動しました。時間を気にしなくてすむと、医師・患者双方がストレスレスでいられるような気がします。

6. 予約がなかなかとれない
 食物アレルギーがある息子ですが、幼稚園からの求めに応じてこちらの医療機関でも診てもらうことになりました。まずは登録しているかかりつけ医療機関を予約したのですが、5週間後の受診を指示されました。その日が最も早い日だと言うのです。5週間後に受診すると、念のためということで小児科専門医を紹介されました。次に指定された受診日はそこからさらに3か月後で、その時ようやくアレルギー検査を受けることができました。幼稚園の求めを受けてから幼稚園に状況を報告するまで4か月半ほどかかったことになります。幼稚園に状況を知らせると、ああ、いつものことよ、くらいの返答でした。

 フォロー中に今度は心雑音を指摘され、小児循環器科を紹介されることになったのですが、ここでもまた初診まで3か月半待つことになりました。1か月ほど過ぎた頃に届いたお知らせによると、どうやら紹介患者の状況に応じて受診時期を決めているようでした。私は職業柄、雑音がありますといわれても何も気になりません(超音波検査の結果も機能性心雑音でした)でしたが、ふつうなら3か月半も待てば親御さんはいろいろ考えてしまうだろうなあと感じました。受診時の待ち時間と予約日までの待機期間は表裏一体で、どの段階で待つか、だけの違いなのかもしれません。

 ちなみに、医療機関の予約日時はまずは勝手に決められます。健診日時も小児科受診日時も、病医院側から日時を記した封書が一方的に送られてきます。そこには「この日が不都合なら連絡してください、予約日○時間前以降の連絡の場合はキャンセル料をいただきます」と記されていました。
 医療水準、医療費、子どもの健診など、海外に長期間滞在するとなると、医療システムに関していろいろと気になることがあります。スウェーデンは、医療機関へのアクセスのしやすさという一点を除けば、日本と大きな違いを感じることなくお世話になることができるのでたいへん助かっています。


大学に附設されているこども病院です。11月のちょうど大雪の時に撮影しました。

大学に附設されているこども病院

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2016.09.14 
ご無沙汰しています。前回の体験記から2か月が過ぎてしまいました。その間、こちらスウェーデンは気持ちのよい夏が続いていました。昨年の体験記でもご紹介していますが、夏至を迎えるまで数分単位で日照時間が長くなり、7月には最高気温も25度以上になりました。梅雨のような長雨の季節はありませんので、まさにカラッとした陽気です。暑さのわりに日差しが強いので、日焼け止めなしではいられません。昨年は数十年ぶりの冷夏に見舞われたと聞いていましたが、たしかに今夏を経験すると去年は寒い夏だったなと改めて思います。こちらのご家族とバーベキューをしたり、週末を使ってダーラナ地方を再訪したり、楽しい夏を過ごさせていただきました。が、今はもう9月。夏至を過ぎると今度は日照時間が数分ごとに短くなります。朝夕冷え込む日が多くなり、通勤路にはリンゴの実がたくさん落ちています(こちらはありとあらゆるところにリンゴの木があります)。すでに秋の気配です。北欧の夏は本当に短いです。

 さて今回は研究編として、我々MDが「研究」する意義について考えてみたいと思います。つい先日、研究室で1泊のretreatがありました。泊まりで出かけるというので何か楽しい企画かと期待していたら全然違って、1泊2日をつかって皆で研究の話をしよう、という真面目な会でした。研究発表会は普段から定期的に開かれていて、そこで進捗状況を報告しているわけですが、どうしても時間が限られるため十分な議論ができない、また結果に関する議論に時間をとられ、プロジェクトの背景や新規性あるいは重要性などを語る時間がないということで、上司の発案によりこのような機会がつくられました。たしかに日常の研究発表では、きれいな画像、きれいなデータをたくさん見せてもらえるのですが、それ以外のことがよく分からないなとずっと思っていました。こちらに来てすぐの頃は、それは私がプロジェクトの内容をよく理解していないせいだと思っていたのですが、いつまでたっても分からないままのことがあるので、それだけではなさそうだ(つまり端的に言うとpresentationのしかたに問題がある)と感じていたところでした。実際にプロジェクトで手を動かしている我々全員に30分の時間が与えられました。上記をまとめて15分ほどで発表し、残りの時間を使って皆で議論しようということになりました。native speakerの面々は、ホワイトボードを使って口頭で説明することに決めていました(これをchalk talkといって、PIになるための選考過程などでよく使われるそうです)が、それは私にはあまりにハードルが高いのでいつもの通りスライドを使うことにしました。

 発表ではraw dataを提示することは一切禁止されました、つまり「この研究がいかに大切か、新規性が高いか、どのように実験を進め仮説を証明しようとするか、証明されればどれほどよいことがあるか」に重点をおいて発表することが求められました。つまりは科研費の申請書に似た感じだと思います。そして皆の発表を聞き終えて感じたことは、「いかに大切か」「証明されればどれほどよいことがあるか」ということがいまひとつ伝わってこない、あるいはその説明そのものがないということでした。どうしてか、私なりに考えてみたのですが、その理由のひとつはおそらく、疾患そのものに関する知識・経験の欠如ではないかと思います。癌、糖尿病性網膜症など、発表途中に具体的疾患名が出てはくるものの、疾患と証明したい事象がどうつながるのか、またそれが今後にどうつながるのかがイメージできませんでした。私は現在、vasucular biologyを扱う研究室に所属しています。詳しいことはよく知らないのですが、ここがmedical facultyの一部であることは間違いないようなので、要は医学部の血管生物学教室に所属しているということになるんだろうと思っています。しかしMDはわずか数人です。疾患に無関係な事象の研究はつまらないというつもりはありませんし、治療・創薬につながらない研究は無意味だというつもりもありません。ただ、我々MDが研究をする上でのadvantageは、基礎研究であってもやはりここだろうと再認識させられました。未解明の事象に対して疾患からアプローチできるのはMDの醍醐味で、いくら疾患について教科書でいろいろ勉強しても実務経験にはかなわないと思います。一方、私の発表を自己評価するとすれば、実験計画のつめがまだまだ甘く、見劣りするのは否めません。引き出しが圧倒的に少ないので、AがBであることを証明するための方法論に飛躍があったり、また不十分だったりするのだと思います。同じPhDでもこの点ではまだまだ大きな差をつけられているなあと正直感じます。我々MDも、基礎研究の方法論をしっかり身につけるべきなのでしょうが、臨床同様、基礎研究でもその方法論は日進月歩で、診療の片手間ではなかなか難しいでしょう。言い古されたことですが、足りない部分はお互いに補い合う、つまりは共同研究が今後ますます重要になるのだと思いました。

大学博物館で展示されていたバイオプシーガン。
日本でよく使っていたのですが、なんとUppsala大学病院で開発されていました!

Spring has come!

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2016.06.21 
 みなさんこんにちは。こちらは夏至が近づき、日に日に日照時間が長くなっています。昨日の日の入りは22時14分、そして今日の日の出は3時26分でした。日の出・日の入りの直前・直後は薄ら明るいので、漆黒の闇状態なのはせいぜい2、3時間といったところでしょうか。昨年はブラインドから漏れ入る光で早朝覚醒させられることもたびたびでしたが、今年はその経験を活かして鉄道の窓にみられるような遮光幕を導入したために快眠が得られています。

 さて今回の体験記は「学位」を取り上げます。同じ研究室に所属するPhD studentがこのたび学位を取得してめでたく課程修了となりました。それにあわせて図らずも私もいろいろとこちらの風習を経験させていただくことができましたので、ここで報告させていただきたいと思います。博士課程そのものは最短3年半から4年で、大枠は日本とほぼ変わりないようです。しかし大きな違いのひとつは、これは皆さんもご存知かもしれませんが、こちらのPhD studentは皆何らかのscholarshipを持っているということです。これらは日本式で言うところの「給付型」で返済義務は生じませんので、奨学金というよりむしろ給料に近いものがあるように感じます。具体的にどのくらい支給されているのかは知らないのですが、「贅沢しなければ生活には困らない額」と聞いています。そしてさらにもうひとつ大きな違いが授業料です。EU圏内の国籍を有する学生なら無料なのです。もうこうなると彼らは博士課程の「学生」というよりも、有期雇用された「研究者」といったほうが適切かもしれません。実際PhD studentは、動物実験の学内講習担当や研究機器の responsible personにあてがわれることがありますし、また研究テーマやその進め方も、我々ポスドクと何らかわりないようにさえ見えます。さらに彼らにも定められた有給休暇があります。

  給料をもらって研究をし、そして数年後には博士になれる、と聞くとなんだか優雅な商売のようにも聞こえますが、実際はそんな甘いものではなさそうです。まず最初の難関は、2あるいは3年次に行われるHalf-time seminarです。その時点での研究進捗状況を複数の審査員の前で発表しなければなりません。審査員はその分野に関連するPIで、学外からもしばしば招聘されます。発表時間はだいたい30-40分、その後審査員との質疑応答が1時間ほどあります。聞くところによるとこの発表会は最終の学位審査よりも大変だそうで、ここで厳しい評価を下されてしまうと正規の期間での学位取得はまず難しくなるそうです。最終の学位審査では、共著も含め複数の論文にcontributionを持つことが要求されるため、この時点で業績がない、あるいは一つだけ、ということではお先真っ暗だとか。まず発表用スライドだけでなく、すでにpublishされた論文やmanuscriptに、その分野の総論を加えた冊子を作成して臨む様子はまさに学位審査さながらです。Half-time seminarが無事に終わると今度はおよそ1年後にいよいよdissertation、学位審査です。審査員の前でスライド発表、その後質疑応答という流れは私が経験したものと同じなのですが、こちらの学位審査ではそれに加えてopponentが用意されます。学位審査はまず、申請者の研究領域に関するopponentの概説から始まります。その後申請者による成果発表、opponentとのdiscussionと続きます。提示した研究結果のひとつひとつについて、手法の選択は適切だったのか、相反する既報についての意見・反論、などなど、議論は延々と続きます。いいdiscussionができました、ありがとう、というopponentのコメントで、ようやく終わったかと思いきや、今度は審査員との質疑応答です。全てが終わるのに3時間強を要しました。この学位審査はdefenceとも呼ぶそうです。まさにopponentと審査員からの攻撃を巧みにdefenceするイメージでした。

 そしてもうひとつ、日本とは大きく異なる風習があります。それはdissertation partyです。PhDを取得したお祝いに、(仲間ではなく)本人が主催してパーティを開くのです。どうやらこの風習は、スウェーデンやフィンランドなどの北欧に限られたもののようですが、ややもすると結婚式よりも盛大だそうです。私が参加したpartyは参加者50-60名で、全員がもちろん正装(念のため日本からスーツを持ってきていてよかったです)、そして母国に住むドイツから両親や兄弟、祖父母も招かれていました。会は乾杯や関係者の挨拶に加え、なんと生い立ちムービー的なものまで用意されており、まさに私の知っている典型的な結婚披露宴でした。違うところといえば披露パーティの後のダンスタイムでしょうか、生バンドの激しい音楽に合わせて皆踊っていました。この時点でもう深夜0時でしたので私は失礼しましたが、その後も場所をかえつつ、宴は明け方まで続いたようです(これもまさに披露宴的ですよね)。

  聞くところによると、ヨーロッパでは以前からEUが中心となって学位制度の均等化に取り組んでいるそうです。学位取得のプロセスが国によって異なると、学生あるいは教員の域内移動が妨げられ、結果として高等教育の競争力低下につながる。各国ではなく、ヨーロッパという次元で学位の質を担保できたほうが、取得者にとってもメリットが大きい、などが根本にあるそうです。EUという単位がこういう部分においても威力を発揮していることへの驚きと、対して日本の学位制度は今のままでいいのだろうか、という率直な思いで複雑な心境になりました。


Spring has come!

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2016.05.09 
 みなさんこんにちは。新年度を迎え、多忙な毎日をお過ごしのことかと思います。今年の桜はいかがでしたでしょうか。こちらでもStockholmには桜並木があって(日本からスウェーデン国王に献上されたものだそうです)、そこでは毎年Körsbärsblommans dag(さくら祭)が催されるとのことですが、あいにくまだ参加したことはありません。以前のこの体験記でも記したとおり、私の住むUppsalaからStockholmは急行列車で1時間ほどかかり、その上土日ダイヤでは1時間に1本しか運行されていないということもあって、足が遠のいています。4月半ばをすぎてから気持ちのよい晴天が続いていますし、幸いこちらの桜開花時期は4月末から5月にかけてだそうですので、近いうちにぜひStockholmを再訪してみたいと思っています。

 さて私の近況ですが、長きにわたり未解決だったひとつのプロジェクトに、先週ようやく光がさしこんできました。結果がどうこう以前に、実験系が安定せず、追試による再現が困難なプロジェクトでした。今となっては「なんでもっと早くこうしておかなかったんだろう」というような解決法で非常にクリアな結果が得られました。ただこれはようやく系が確立した、つまりプロジェクトとしてスタートラインに立てたということにすぎません。このまま期待される結果がでることを願うばかりです。
今回はスウェーデン生活編として「転居」を取り上げます。ここまで私はUppsala University Housing Officeが管理する研究者向けのapartmentに住んでいました。しかしhousing officeの物件はもともと期間限定で、ついに退去時期が近づいてきてしまいましたので、このたび引越しをすることになりました。日本ではこれまで異動のたびに引越しを経験してきましたので、物件さがしから引越しの段取り、はたまた転居の際の手続きに至るまで特に困ることはなかったわけですが、やはり国が違えば何もかもが違います。以下にそのちがいをいくつか挙げたいと思います。

(1)物件さがし
 何はさておき一番苦労したのは物件探しです。こちらにはなんと賃貸物件がほとんどありません。正確に言うと、入居可能な賃貸物件がないのです。以前の体験記でもご紹介しましたが、スウェーデン都心部の住居、特に賃貸物件は需要が供給を圧倒的に上回った状態が長く続いているそうで、こちらに永住されている方でも、新しい賃貸物件に移るには登録して順番待ちというのが当然になっています。そしてその待機期間は5-8年というのですからなんとも気の長い話といいますか、正直私にはちょっと考えられません。このような状況ですので、我々のような一時居住者でも分譲マンションを購入している方が少なくないと聞いています。分譲を買っても、需要過多なので帰国するときには必ず売れる、そして条件がよければ結果的に賃貸より安くつく、というもっぱらのウワサですが、言葉すらままならない私には到底そんな度胸はありません。私のようにその度胸がない人は、いわゆる「売ります買います掲示板」を利用しています。そこには住居専用のページがあって、何らかの理由で一時的にapartmentを貸したい所有者たちが登録しているのです。そして自分の好みの物件があれば、そこへメールを送ってコンタクトを試みる、という仕組みです。こう記すと、なんだ、仕組みが違うだけで賃貸物件はちゃんとあるんじゃないか、と思われるかもしれませんね。でもやっぱりこちらの条件にあうものはほとんどないんです。「一時的に」apartmentを貸したい所有者、というのがミソで、掲載された物件のほとんどは2-3か月、場合によってはたった1か月の賃貸募集です。所有者が夏休みでサマーハウスに行く間、あるいは海外に行く間、それでよければ貸してあげるよ、的な物件というわけです。しかし目を皿のようにしてひとつひとつ確認すると、「ひとまず半年、お互いよければ延長可能」といった物件がわずかに含まれていますので、そういうところへアプローチするというのが転居の際のセオリーです。

(2)引越し業者
 引越し業者はあるにはあるそうですが異常に高額なので、荷造りから搬出入まですべて自分たちで片付ける人も多いと聞いています。こちらでは二台を牽引した普通車や、2トントラックくらいのレンタカーをよくみかけます。たしかにあのくらいのサイズなら問題なくできそうです。

(3)転居の届出
 引越しを経験されたことのある方なら納得いただけると思うのですが、日本で転居するとその届出が面倒ですよね。役所は当然として、電気、ガス、水道、電話、金融機関、保険関係などなど、基本的には一箇所ずつしらみつぶしに届を出すほかないと思います。しかしこちらでは、役所にさえ届ければいくつかの例外を除いてほぼ事足ります。住所は個々人のパーソナルナンバーと紐付けされているので、それを利用して郵便物をだしている企業は自動的に引越しの事実を知ることになるという仕組みのようです。

(4)転送届
 こちらの郵便局にも日本と同じく転送のシステムがあります。しかし転送は有料です。1年で450SEK(1SEK=13.2円)ですのでさほど高額とはいえませんが、無料のありがたさを知っている我々日本人としてはちょっと衝撃でした(元住所への郵便物は郵便局で破棄処分という選択肢もあって、こちらは無料でした。でもそんなのを選ぶ人がいるんでしょうか??)。

 さて我々の引越しですが、幸い希望に近い物件を見つけ、無事契約までこぎつけることができました。ここに行き着くまで10件ほどの家主とコンタクトをとりました。返事すらなかったり、あるいは双方の条件に見合わなかったりというのが続いていたので、果たして退去期限までに次の住まいを見つけられるのだろうかと内心ヒヤヒヤものでした。また慣れない右側通行で後ろが見えないタイプのトラックを運転するのはかなり緊張しましたが、全て含めていい経験になりました。


Spring has come!

Spring has come!

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2016.02.29 
 みなさんこんにちは。遅ればせながら2016年第1回目の体験記をお送りしたいと思います。
 こちらは予報どおり、昨年に比べ厳冬でした。そしてついに先日マイナス20度の世界を体験することができました!といっても実際には乾燥した冷たい空気のせいか、外に出た瞬間に呼吸のしづらさを感じた程度で、その他は特に何も変わったことはありませんでした。そしてマイナス20度は数日で過ぎ去り、その後は0度からマイナス4-5度の毎日が続いています。日本人からすると驚くほど高緯度に位置する国なのに、これほどの寒さですんでいるのがいまだに不思議でなりません。スウェーデン人曰く、昔はもっと寒かったし、積雪も多かったそうです。やはり地球温暖化の影響を受けているのでしょうか。

 さて今回は研究の話をさせていただきたいと思います。私は今複数個のプロジェクトを抱えているのですが、どのプロジェクトにもこれでもかというほどに次々と難題が押し寄せてきます。その難題はいずれも一朝一夕に解決できるものではなく、ああでもない、こうでもないと、まさに押したり引いたり、ときにはひっくり返すほどに手荒い真似をやったりして何とか前進させようと試みたりしています。そしてその状況は週1回行われる個人ミーティングで上司に逐次報告し、さらに半年に1回ほどまわってくるラボ全体の研究発表会で皆にお披露目します。すぐにでも論文になるようなすばらしいデータばかりだといいのですが、半年に1回ではなかなかそうはいきません。私にとってこの研究発表会は「こうやったけどダメで、次はこう考えてこうやってみたんだけどそうすると今度はこっちがこうなっちゃってね、・・・」と、まさに半年間の苦労を語る場のようになっているのが現状です。
 つい10日ほど前にも私の研究発表がありました。そして40分ほどかけて苦労物語を語ったのですが、それを聞かされたメンバーはどんな様子だったと思いますか。negative dataが多い発表にもかかわらず、メンバーもまたその場でいろいろなことを語ってくれました。その実験はどういう意味だといった基本的な質問から、その解析方法はおかしいんじゃないかといったcriticism、またこれはやってみたのか、こうやればいいんじゃないかというsuggestionまでいろいろです。演者と質問者のやり取りにとどまらず、このような質問がさらに別のメンバーの発言を促し、双方向に広がっていきます。今後の方向性の助けになるというのはもちろんですが、「場が盛り上がる」という意味でもこの状況は大変助かります。

 ではその発言のevidence levelはといいますと、正直なところ高いレベルのものはそう多くありません。「自分の過去の1回の研究成果」だったり、「となりのラボにいるポスドクの○○の情報」といったことを根拠に主張していることもよくみられます。他のメンバーの発表で繰り広げられる議論から、「えーそれだけの根拠しかないことを今ここで話すの??」と感じることもしばしばありますが、情報の信憑性よりもそこで発言すること、話題を提供すること、また議論することをより重要視するなのでしょう。そしてその情報の信憑性をもこの場で議論してもらえばいいじゃないか、というくらいの感覚なのだろうと思います。まさに「話してなんぼ」の世界です。ヨーロッパは、それほど広くないところにたくさんの国があり、そしていまやヒトもモノもまさにborderlessに動き回っています。異なる環境で異なる教育を受けてきた人々がお互いの理解を深め合うためにはとにかく「話す」しかないのかもしれません。また言い古されたことですが、この「話してなんぼ」の文化はきっと、教育の影響も強く受けているんだろうと思います。答えはひとつとは限らない、正しい答えなんてないものもある。重要なのは考えを述べることだ。議論していろんな考えを知り、そしてまた考えよう-。
 よりevidence levelの高い話を提供した上で議論に加われるようになりたいと思ってしまう私は、やっぱり典型的な日本の教育を受けた典型的日本人なのかもしれません。


マイナス20度の日

マイナス20度の日。見た目はなにも代わり映えしません。

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2015.12.18 
 みなさんこんにちは。今年もあっという間に年末になってしまいました。私が中学生の頃、とある先生が「歳をとったらみな1年すぎるのが早いねと言うようになるけど、そんなのは当たり前のことや。3歳の子の1年は一生の3分の1やけど、40歳のオッサンの1年は一生の40分の1やからな」と授業中におっしゃったことをよく覚えています。純粋無垢だった当時の私はなるほどそういうことかと安易に信じてしまいましたが、もちろんそんな話では説明できませんよね。でもたしかに歳を重ねるごとに1年のスピードが速くなっているような気がして、この理論もあながち間違いではないのかな、などと、年の瀬が迫るたびに中学の先生の迷言を思い出しています。

 こちらスウェーデンは冬至に向けてどんどん暗くなっています。そして町のイルミネーションは少しずつ華やかさを増しています。とはいっても日本のように、あるいはルミナリエのように鮮やかなものではなく、「電球色」ほぼ一色です。街路樹や店の軒先などにもイルミネーションがなされていますが、センスがないというかなんというか、電球のリースをただ無造作にぶらさげているだけのようにも見えます。それでも空気が澄んでいるからか、はたまた無駄な灯りがないせいか、あるいは電球色のかもし出すあたたかさによるのか分かりませんが、街はクリスマスの雰囲気がただよった、おしゃれな感じに仕上がっています。

 日本で年末年始といえば忘年会に新年会でしょうか。こちらでも数日前にラボのクリスマスパーティがありました。昨年のパーティはいわゆるポッドラックパーティでしたが、今年は12月いっぱいでラボを去るポスドクの送別会も兼ねていたからか、ラボの食堂を会場にしたケータリングパーティでした。某有名一流雑誌にrevise原稿を投稿した直後のボスも含めて皆で夜遅くまで盛り上がりました。
日本の宴会との違いはなんだろうと考えてみましたが、流れはほぼ同じです。偉い人の挨拶と乾杯にはじまり、歓談をはさんで送別の挨拶などがあり、その後ちょっとしたゲームが用意されています。ありがたいことに私のラボではいつもテクニシャンの2人が幹事を買って出てくれ、今回は「チーム対抗クイズ」がありました。英語を使った駄洒落のような問題だったり(こんなのが面白く感じるのか・・・、とちょっとびっくりしました)、日本でもよくある間違い探しゲームがあったりと、あまり貢献できませんでしたが私なりに楽しむことができました。

 日本の宴会との違いのひとつは「参加者のアルコール耐性」でしょうか。ボスも含め、このような会では皆それなりにアルコールを嗜んでいるのですが、お酒で人がかわるとか、誰かに絡むとか、そういう人をあまりみかけません。体格差か、はたまた遺伝子の違いか、俗に言う「酒に強い」人が多いのかもしれません。あるいは「公共の場で酒を飲む」ということに関して社会からより厳しい目が向けられているため、皆加減して飲んでいるのかもしれません。たとえばスウェーデンでは、アルコール度数3.5%以上の酒類はいわゆる専売公社で、しかもIDを提示しなければ購入できません。公園や路上など、公共屋外での飲酒は許されません。また深夜営業中のバーでは警備員が店内を見回っていて、転寝をしたりまわりに迷惑をかけたりするような客がいれば退去させたりあるいは警察に連絡したりします。「酒は飲んでも飲まれるな」、ということでしょう。かつて多数のアルコール依存症患者がいたためにこのように厳格になったという話もあります。

 もうひとつの違いは宴会の頻度でしょうか。私がこちらのラボにお世話になってから1年が過ぎますが、ラボ全体の食事会は5回で、うち2回は勤務時間内(昼食会と送別会)に催されました。回数が少なくまたお値段もきわめてreasonableなので、所帯持ちのメンバーでも気兼ねなく参加できます。共働き家庭が当たり前で、gender equalityが進んだ国らしいのかもしれませんね。
 今年も一年お世話になりました。みなさんよいお年をお迎えください。


クリスマスツリー

ストックホルムのデパートでみかけたクリスマスツリーです。

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2015.11.04 
 みなさんこんにちは。ついこの間体験記を書いたばかりのような気がするのですが、もう1か月が過ぎようとしています。そして留学させていただいてからなんと1年が過ぎてしまいました。ここまで本当にあっという間でした。ちょうどよい節目ですので、この場をお借りしてこの1年の振り返りとこれからの目標・抱負を述べたいと思います。

1.研究
 私の主要な研究テーマは「HRG (histidin-rich glycoprotein)」です。HRGは肝臓で合成される75kDaの糖蛋白で、血漿中におよそ150μg/mlの濃度で存在しています。HRGは腫瘍における血管新生と腫瘍微小環境(tumor microenviroment)における免疫状態に関係しており、HRGノックアウトマウスでは腫瘍の増殖速度が有意に速くなることが明らかになっています。これは私の属する研究室の先行結果です(Tugues S, Claesson-Welsh L, et al. Cancer Res. 2012)。HRGは抗腫瘍薬、あるいは抗炎症薬としてのpotentialを有しているといえます。しかしながらこのHRGがいったい「どこ」に作用しているのかがまったく分かっていません。そこで私には「HRG受容体の同定」と「急性炎症状態におけるHRGの作用機序の解明」というテーマが与えられました。受容体の同定という「基礎医学の王道中の王道」ともいえるようなテーマと、急性炎症という我々小児科医にもなじみやすいテーマとを与えていただき、苦しくも楽しい毎日です。受容体プロジェクトに関しては、とある方法論を用いてある分子を候補とすることができましたが、ここから先がなかなか思うようになりません。「とある分子」があまりに未知だからというのと、実験手法に関する私の引き出しがあまりに少ないからだと思います。一方の急性炎症プロジェクトに関してはまさに今暗雲が垂れ込めています。手法そのものから視点をかえなければ難しいような印象です。

 留学直後から2-3か月は、研究について「何も書くことがない」というのが正直なところでした。異動して間もない頃は往々にして手持ち無沙汰ですよね。ましてや私の場合はWestern Blottingひとつ自信をもってできる状態ではありませんでしたので、上司にも様子見をされていたんだろうなと思います。かつて上司は私との個人meetingの際、「信頼できる結果を出せるようになるのにはPhD studentで1年、MD researcherで半年かかるというのが私の経験則だ」とおっしゃっていました。これは私自身にも当てはまっているような気がします。しかし私はかりにもpostdoctoral research fellowですので、与えられたテーマを解明するための方法を自ら考え、自ら実践し、さらには自ら軌道修正をし、少しずつでもプロジェクトを前に進めていくのが本来のあるべき姿だと理解しています。HRGの何たるかの理解はだいぶ進んだと自負していますので、これからは上司とのdiscussionにもよりaggressiveに望み、プロジェクトがさらに前進するよう取り組んでいきたいと思います。

2.生活
 渡航前の期待度が低かったせいか、全てが期待以上で満足度の高い生活をさせていただいています。日本(人)と違って欧米(人)は・・・、といった類の話はみなさんもよく耳にされると思いますが、私はこちらにきて、スウェーデン(人)に対してnegativeな印象をもったことがほとんどありません。唯一といっていい不満はapartmentにあるlaundry booking systemの修繕に関することです。こちらのapartmentは洗濯機が共用スペースにあり、事前に予約をして使用するのが一般的で、私のapartmentはその予約システムにコンピュータを導入しています。そのコンピュータがたびたび故障して(私の隣人は「このPCはWindows95を使っているに違いない!」と言ってます)、予約が思うようにとれなかったり、とったはずの予約が知らぬ間に消えてしまったりするのです。メールや電話で修理をお願いするのですが、その対応があまりにいい加減で、イラッとさせられたことが何度かありました。ちっちゃい話ですよね・・・、でも本当にその程度の不満しかないんです。私はこちらで生活するにあたって「郷に入れば郷に従え」を心がけ、日々の生活に日本(人)の尺度を持ち込まないように日々気をつけてはいますが、スウェーデン人の気質は我々日本人に非常に似ているように思えるので、外国に住んでいるというストレスをそれほど感じずにいられるのかもしれません(「スウェーデン人と日本人が似ている」という印象はどうやら多くの人がもっているようで、インターネットにもそのような記事がたくさん出てきます。もしご興味があれば検索してみてください)。

 さきほど「全てが期待以上」と記しましたが、「食」は除く、としたほうがいいかもしれません。これに関してはこの1年いろいろありました。最初は買い物に行こうにもどこに何があるのか分からないし、違いも分からない。バスを乗り継いで行ったスーパーで、ステーキ肉と思って買って家で焼いてみると、まるで岩のように硬くて、それを口にした息子が期待と違いすぎたせいか大泣きしたこともありました。焼くとなぜかベチャベチャになる白身魚、切れない・くっつかないラップ、などなど。思ったような食事にありつけないと、精神的な疲労も増すことを知りました。食は今でも我が家の重要議題のひとつではありますが、買い物にはすっかり慣れましたし、いかんせん去年とは心の余裕が違います。慣れない食材でも妻がうまく調理してくれるおかげで、おいしくいただいています。せっかくの機会ですので、食の違いをも楽しみにかえて生活していきたいと思います。

 summer timeも終わりを告げ、いよいよスウェーデンには長く厳しい冬がやってきました。今年は厳冬との長期予報もあるようです。零下20度の世界はどんなだろう、それもまた楽しみに、これからも有意義な留学生活を送りたいと思います。

細胞カウント中

私の職場です。免疫染色後、細胞カウント中。

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2015.10.01 
 みなさんこんにちは、いかがお過ごしでしょうか。はやいもので9月もあと数日を残すのみとなりました。こちらスウェーデンは1週間ほど前から朝夕の冷え込みが急激に厳しくなりました。朝の通勤時は吐く息が白くなるほどの寒さで、手袋・ニット帽姿の人をちらほら見かけるようになっています。日没もだいぶ早くなりました。とはいっても今日の日没時間は18時26分でしたので、まだまだ「違和感」はありません。

 今月は公私共に多忙で、あっという間に1か月が過ぎました。まず、プライベートな面ではうれしい再会が続きました。まずは夏休みを利用して中川先生(姫路赤十字病院)が北欧の旅に来てくれました。中川先生とは高校2年生からの気の置けない友人です。私の住むウプサラまで足をのばしてくれましたので、(あまり見どころのない町ではありますが)大聖堂やウプサラ城をご案内しました。そして夜はcozyなレストランで久しぶりによもやま話に興じました(中川先生、ごちそうさまでした!)。またその後、シルバーウィークを利用して妻の両親が遊びに来ました。週末には私も同行し、ヘルシンキからストックホルムの船旅をともに楽しみました。移民・難民問題やテロ事件など、日本で報道される欧米の話題は決して明るいものばかりとはいえないと思います。孫がどんな環境での生活を強いられているのか、きっと心配だったに違いありません。幸い天気にも恵まれ、両親は水の都とも形容されるストックホルムの町並みや船上から見える群島の風景、そして自然豊かなウプサラの雰囲気などを大変気に入ってくれました。また妻といっしょにförskola(幼稚園)へ息子のお迎えに行って、先生や友達にも会ったりしたそうです。我々がどのようなところでどのように生活しているのかを知ってもらうよい機会だったと思います。いい環境で生活させてもらっているねと義父に言われ、このような機会をいただいたことに改めて感謝した次第です。

 仕事の面ではscholarshipの申請にあたふたする月でした。私の給料は現在、上司の研究費からではなく、ウプサラ大学で研究するポスドクが応募対象となるscholarshipに採択され、そちらからいただいています。具体的な金額をここに記すのは差し控えますが、家族3人日々つつましく生活すれば、夏やクリスマスにはその残りでそれなりの旅行ができる程度にはいただいています。ありがたいことです。そして2016年分の申請締め切りがまさに今月だったのです。思い返せば昨年の今頃も同じような時期でした。しかし何しろ私はその頃スウェーデンに来たばかりで、10月からの勤務までにできる限り生活のset upを、ということだけで日々いっぱいいっぱいでした。そんな中上司から突然「scholarshipの締め切り、今日なのよー。今からラボに来れる?」と電話があり、ますますあたふたさせられたのでした。結局去年はほぼ全てのプロセスを上司とcoordinator(秘書さんのようなものでしょうか)がやってくれ、見事採択という結果になりましたが、(残念ながら?)今年はそんなわけにはいきません。どのようなテーマで、どのように書くかを上司と打ち合わせし、上司の用意してくれた原稿のたたき台に私が加筆し、それを上司がさらに修正・加筆し、ということを何度か繰り返しました。そして締め切り時間の3時間前になんとか電子申請することができました。最終版はそれはそれはすばらしいproposalになっていました、とはいっても、私が加筆した部分は消えてなくなっていましたが・・・。科研費の申請を少し簡単にしたような形式でしたが、このような申請を英語でしたことはこれまでになかったので、その構成や言い回しなど、大変勉強になりました。これで見事採択を勝ち取りさえすれば言うことはありません。

 それにしてもやっぱり母語(日本語)はいいですね。若干こみいった内容の会話を、まさにキャッチボールの如くスムーズに行うには、当意即妙な返答と言葉の裏を読む能力が必要不可欠だと思いますが、私の英会話能力ではまだまだこれらがままなりません。互いを理解しあうには、腹を割り、膝を突き合わせて会話することが重要でしょうが、外国語でそれをするのは本当に難しいことだと痛感させられる日々です。一方で私は留学後、日本語の美しさを再認識しています。たしかに日本語は英語に比して抑揚に乏しく、強弱に乏しく、そしてリズム感に欠ける(イギリス人の英語は私にはちょっとした音楽のように聞こえます)といえますが、これらはいずれも、流れるような日本語の美しさをnegativeに表現したに過ぎません。また日本語は結論を後回しにする言語だとも言われます。しかし日本語を自由自在に操る我々からすれば、話を最後まで聞かずとも結論は理解できるようになっているわけです。上司やそれほど親しくない人に”I don’t think so.”から始まる返答をすることに私は未だに慣れません。言語は文化と密接に関係していることを改めて感じさせられます。
旧友や家族との再会とscholarshipの申請を通じて、日本語と英語について改めて考えた1か月でした。それでは今月はこのへんで。

スイーツ

私の住むapartmentから虹がみえました。しかも副虹つきです。

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2015.8.24 
 みなさんこんにちは、いかがお過ごしでしょうか。8月に入り、こちらスウェーデンは連日雲ひとつない晴天が続いています。最高気温は25℃前後といったところで、心身ともに快適な毎日です。残された今夏を存分に楽しみなさいという思し召しだと思いたいのですが、すでに8月も下旬になって、世間は夏休みから新学期モードへと少しずつ移行しています。どうやら私も仕事に専念するのがよさそうです。

 さて今回はスウェーデン生活編として’Fika’を取り上げます。みなさんはFika(フィーカ)をご存知でしょうか。スウェーデン語で名詞、あるいは動詞として使われる単語で、とある辞書には’to have a social coffee break’と英訳されていました。我々日本人がいうところの「お茶をする」「カフェをする」と同義のように思いますが、実際のところ、Fikaはスウェーデン人にとって「お茶」や「カフェ」よりももっともっと重要な生活習慣のひとつのようです。どの職場でも所属単位ごとにFikaが催されていて(息子の通うförskolaでも催されているのか、息子ですらフィカ、フィカといっておやつをねだってきます)、私の属する研究室ももちろん例外ではありません。毎週木曜日午前10時はFikaと決められていて、この時間は実験途中でもひとまずランチルームに集まり、コーヒーあるいは紅茶を片手に20-30分ほどメンバーと談笑をするのが慣例となっています。私の印象では、Fikaは研究発表などのmeetingとほぼ同等の扱いです(Fikaで話される内容は他愛もないことばかりですが)。「あれ、今日は○○がいないね」「彼は1日動物舎にいるらしいです」「△△は?」「今日は見てませんね」などといった調子で、Fikaへの参加はもはや任意ではなく義務のようにも思えます。

 Fikaにはスイーツが欠かせません。Fikaといえば伝統的にkanelbulle、つまりシナモンロールですが、実際には「お茶請け」にふさわしいものならなんでもOKで、サンドイッチや軽い食事、「甘くないもの」でも状況によってはFikaと称されるとスウェーデン人から聞きました。お茶請けを準備するのは週代わりで決められているFika当番の役目です。スーパーやベーカリー、あるいはケーキ屋さんで買ってきてももちろんいいのですが、ほとんどの人は自作です。そしてこの自作スイーツのqualityには本当に驚かされます。買ってきたんだよといわれても何の疑いもなく信じてしまいそうな作品(?)も多々あります。欧米のスイーツといえばホイップクリームたっぷり、チョコたっぷり、全体的にあまったるーいものを想像しがちですが、スウェーデンのものは必ずしもそうではなく、我々日本人の口にも比較的よくあうように思います。中でも自作のスイーツは、白砂糖のかわりに甜菜糖を使ったとか、ホイップクリームの代わりにヨーグルトを使ったとか、いろいろと工夫されているようで感心させられることも多くあります。

 独身生活の長い私ですが、ひとりで作ったことのある料理といえば米をたくこととカレーを作ることくらいで、お菓子作りなど中学の家庭科以来やったことがありません。無論そんな私にもFika当番はまわってきます。私の初作品を皆に食べさせるのは人体実験以外の何者でもないと思い、初回は全てを妻に任せました(妻の反応はご想像にお任せします)。皆qualityの高いものを作ってくるんだよと言う私からのプレッシャーにも耐え、妻もなかなかhigh qualityなものを作ってくれましたので、メンバーからも概ね好評でした。が、この時のやり取りは私にとってちょっとしたcurtural gapとして今でも印象に残っています。「Hiroshiが作ったの?」と問われたので、「いやー、僕はお菓子なんて作ったことないから妻にお願いしました」と苦笑しつつ正直に答えたところ、ある同僚から”Oh, Japanese guy!”と冷やかされましたが、スウェーデン人は誰一人として笑っていませんでした。「Hiroshi、スウェーデンにいる間に研究だけじゃなくて料理もお菓子作りもできるようになったほうがいいわね」とボスからもやんわり言われる始末です。スウェーデンはgender equalityの超先進国で、家事や育児は夫婦で平等に分担するのが基本なのです。家事に得手不得手があるのは当然として、「私が食し、妻が食す機会のないものを妻に作らせた」という事実が、スウェーデン人には到底受け入れがたいものだったようです。日本でもし同じやりとりをしたら、いい奥さんやねえといった返答が期待されますよね。日本には昔から「内助の功」という慣用句があって(これもgender equalityの考え方から最近ではあまり好ましい表現ではないといわれることもあるようですが)、奥様方のこのような行為は夫の働きを支える一部としてよしとされてきたところがあるように思いますが、国が違えば評価も一変、unbelievableな事象になるわけです。これに懲りて、2度目のFika当番では私もお菓子作りに加わりました(ひとりではまだまだ無理ですが)。「妻に手伝ってもらって私が作りました」と言ったときの皆の表情が初回とまったく異なるものだったことはもちろん言うまでもありません。

 gender equality、あるいは女性の社会進出はスウェーデンに来ていろいろと考えさせられることが多いテーマですので、また改めてこの体験記に記したいと思います。それでは今日はこのへんで。

スイーツ

こちらはプロの作るスイーツ。
ノーベル博物館でいただいたものです。ノーベル賞晩餐会でかつて供されたものと同じだとか。

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2015.7.16 
 みなさんこんにちは、いかがお過ごしでしょうか。つい数日前、日本のあちこちで最高気温38度を観測したとのネットニュースを見ました。梅雨も明け夏休み目前、神戸もきっとうだるような暑さが続いているのだろうと思います。こちらスウェーデンはすっきりしない毎日で、週末のたびに雨模様に見舞われているような気がします。せっかくなので湖水浴でも楽しみたいところなのですが、日がかげるとまだまだ肌寒く、到底そんな気分にはなれません。今年の夏はもう終わったなと嘆くラボのメンバーもいます。

 そんな空模様とは裏腹に、世間はすっかり夏休みモードに突入しています。みなさんもご存知の通り欧米の学年暦は9月はじまりで、6月末から児童・生徒・学生はみな学年末の夏休みに入りました。私の住むUppsalaがいわゆる大学都市だからかもしれませんが、7月に入ってからというもの、街はこれまで以上にひっそりしています。バスの時刻表が改定され、平日でもぐっと本数が減りました。大学近くのスーパーは営業時間が短くなりました。息子の通うförskolaは夏休み期間中クラス数が減って、先生も代替教員に交代しました。さらにはなんと8月末まで診療時間が短縮される医療機関もあります。私はこれまでどおりに出勤していますが、人影がほんとうにまばらで、これではたして経済活動は円滑に行われているのだろうかと心配になるほどです。とはいうものの、夏休みだからという理由で日常生活に支障をきたしたような出来事は今のところ一切ありませんし、(常勤職の面々は長期休暇に入っていますが)私を含めラボのポスドクたちはほぼこれまでどおりの毎日を送っているように見えます。また駅やカフェは朝から大勢の人でにぎわっています。すべて含めて例年通りの夏の光景なのでしょうね。

 さて私の近況ですが、こちらでの生活にずいぶん慣れてきたなと感じる毎日です。以前は早朝4時過ぎの日差しで目が覚めてしまったりしていましたが(ブラインド+カーテンでも遮光が十分できないのです)、今ではそういうことはありません。私の英会話能力が上達したわけではありませんが、それでも見知らぬ人に尋ねたり、また聞き取れなかったことを再度問うたりすることを億劫に感じることがなくなりました。以前は電話しなければならないとなるとその前のsimulationが欠かせませんでしたが、今は「まあなんとかなるやろ」という感じで携帯に手をのばせるようにもなりました。研究面でも、これをやるにはこのくらいの時間がかかるからその間にこれをやろう、とか、今日はもうこれをするのは無理やな、などといった時間配分が上手になったと思います(他のメンバーをまきこむとなるとまた別なのですが)。当初はおっかなびっくりだったマウスの扱いにもだいぶ慣れました。ストレスなく日常を送る上で「慣れ」というものは非常に重要だと感じます。しかしその一方で、慣れは不注意によるミスを容易に招きます。ある日、マウスを保定しようとcageを開いていると、cageから首を出して脱走寸前になっている別のマウスがいて慌てたことがありました。以前なら緊張から細心の注意を払っていたのですが、ほかのことをぼーっと考えながら処置ができるほど慣れてきたせいだと思います。またマウスの組織を使ってwhole mount染色をしていたのですが、いざ顕微鏡で観察すると何も染まっていません。振り返ってよくよく見直すと、一次抗体の量を必要量の10分の1しか加えていませんでした。凡ミスといえばその通りなのですが、皆さんもご存知の通り、免疫染色で使用する一次抗体の量はWesternのおよそ10~50倍くらいで、使用量が1ケタ違う(たとえば1μlと10μlなど)のです。染色の前にWesternを繰り返し繰り返しやっていた私は、それまでの流れでWesternと同じ量を反射的に加えてしまっていたのでした。

 慣れから生じる不注意といえばもうひとつお恥ずかしい話があります。6月末、国際学会でStockholmに来た大学の後輩と久々の再会を果たしました。卒業後はごくごくたまに大学病院の廊下ですれ違うくらいのことがあったもののゆっくりと話すような機会もなくここまで来たので、まさかこんな異国の地で再会し酒を酌み交わすことになるとは思ってもみませんでした。週末の仕事を早い目に切り上げてStockholmに向かい、彼の宿泊するホテルのロビーで無事再会したところまでは予定通りだったのですが、予約した店になかなかたどり着けず、Google mapでは徒歩12分だったところを30分強も歩かせることになってしまったのは誤算でした。なんとか見つけた店では、京都大学iPS細胞研究所で研究員としてがんばっている後輩の興味深い話に、いつもどおり塩分が多めのSweden料理が相まってワインが大変すすみました。1日にこれほど飲んだのはこちらに来て以来初めてだったかもしれません。さらに店をかえて2次会(正確には3次会だったのですが)を催した後に、気分よくStockholmを後にしました。さてここまではよかったのですが、Uppsalaに着いてふと気づくと、携帯電話がないのです。この出来事ですっかり酔いが醒め、翌日はその対応に追われる羽目になりました。いろいろと思い返した結果、Stockholm駅かあるいは電車内で落としたのだろうと思われたので、まずはwebで鉄道の遺失物取扱所的なものを探したところ、ありました。何でもsystematicなSwedenらしく、遺失物取扱所は鉄道会社そのものでなくそれ専門の会社が運営していて、電車・バス・地下鉄など、すべての遺失物に関して対応しているようでした。そこへwebから問い合わせができたのですが、よくよく読んでみると、遺失物預かりは発見から1週間だけで、さらにその間の管理料が200SEK(1SEK=約14.5円)かかるというのです。もし見つかったとしてStokholmまで取りに行くのに往復交通費が180SEKかかるので、合計380SEKの出費です。私はプリペイド式携帯を使っていて、ロックをかけており、さらに残金も個人情報もほぼゼロの状態で紛失しましたので、万が一誰かに使われても損害は携帯電話本体価格くらいで済むだろうと予測されました。さらに新しい携帯はこだわりさえなければ150SEKで買えてしまうのです。その後遺失物取扱所からは携帯の色やメーカー、機種など、詳細な情報を再度送るよう指示されましたが、素面の状態でいろいろ考えた結果、あきらめて新たに本体を買うことにしました。新しい携帯が届いた後、何度か古い携帯に電話をかけてみましたが、もうつながらなくなっていました。きっと本体だけ誰かに使われているか、あるいは廃棄処分になっているかどちらかなのでしょう・・・。

 StockholmからUppsalaは電車で約40分の距離ですから、三宮~姫路間とほぼ同じですよね。この距離を移動するにはちょっとばかり飲みすぎました。渡航直後の私なら、帰りの電車で寝てしまっては盗難が、乗り過ごしたら、などと心配してきっとこんなことはなかっただろうと思います。久々の再会がうれしかっただけでなく、海外生活の慣れから生じた不注意が招いた災難だと大いに反省した次第です。みなさんも飲みすぎにはくれぐれもご注意ください。

研究棟

ラボから徒歩10分ほどの距離にある研究棟です。動物実験はここでやっています。

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2015.6.23 
 みなさんこんにちは、いかがお過ごしでしょうか。こちらスウェーデンは20℃弱まで気温が上がり、毎日過ごしやすくなりました。寒がりの妻にはまだ十分ではないようですが、暑がりで汗かきの私にはベストな気候です。ただ日差しはかなり強いようで、息子の通うförskolaからも、毎朝日焼け止めをしっかり塗ってから登園するようにとのお知らせが届きました。それでも家族全員、北欧で生活しているとは思えないほどにすっかり日焼けしています。

 今回はSweden研究編と生活編をお届けしたいと思います。まずは研究編として私の研究の進捗状況です。現在私は複数の研究テーマに関わっています。半年ほどが過ぎてから少しずつテーマが増え、今では4つになりました。渡航直後から進めているmain projectに加えて、他のメンバーの結果から派生したprojectが2つ、それにcancer genomicsに関連したいわゆるdry labです。このようにひとりのポスドクが複数のテーマにinvolveすることが通常よくあることなのかどうかは私には分かりませんが、少なくとも私のボスはそのような方針のようで、ほとんどのメンバーが複数のテーマに関わっています。たしかにこうしておくと時間のロスが少なくてすみます。たとえばマウスを用いた研究の場合、マウスを新たにオーダーしてから実際に使えるようになるまで最短でも10日ほどかかります。遺伝子改変マウスから得られた仔マウスが必要ならもっともっと長くかかります。この間に培養細胞やdry labのテーマを進めておくと無駄がなく、たいへん効率的なのです。ただ、私はほぼすべての手技に不慣れだったので、最初はもう混乱に混乱を極めました。ひとつひとつが順当に進むとは限らない、というよりも決して順当には進まないので、try and errorを繰り返すことが必然な(つまりひとつのことに想定以上の時間がかかる)わけです。翌日の予定すらたちません。また本当にはじめての手技は先輩ポスドクと一緒にやらなければいけません。しかしもちろん彼らにも自分の研究があります。時間の都合を合わせて付き合ってもらうわけですが、2つの手技を異なるポスドクに教わりたい、しかもできるだけ早く、となると、なぜかその時間がやたら近接してあたふたしてしまったりするものなのです(もうこれはすでに私のマーフィーの法則です)。これに加えてjournal club、seminar、meeting(スウェーデン人は日本人と同じくらい「会議」が好きなように見えます)があったりするともうてんやわんやです。「Hiroshi、お前はいい奴やなあ、1日に3つもmeeting入れて。忙しかったら別の日にしてって言ってええねんで(意訳)」と先輩ポスドクに言われたこともありますが、私よりmeetingの主催者であるPIのほうが多忙に決まっているし、上司に言われたmeetingのスケジュールをimpossibleというのはちょっと抵抗があるし、まあちょっと夜遅くまでがんばればなんとかなるだろう・・・、という感じになっているのが現実です。こういった場合のnegotiation skillの向上も私の今後の課題のひとつだと思っています。

 ところで日本の6月といえば梅雨、ですよね。ではスウェーデンの6月といえば?それは「midsommar(夏至)」です。今回の生活編はスウェーデンの夏至祭をお届けします。スウェーデンでは夏至に最も近い土曜日が祝日、その前日の金曜日がDe facto holidayで事実上の3連休になります。この間スウェーデン人は別荘や自宅で親戚が一堂に会し、スウェーデンの伝統料理を食したり、Majstång(メイポール)を囲み、伝統音楽を歌ったりまた踊ったりして夜遅くまで楽しみます。クリスマスに匹敵する重要イベントです。我々家族もぜひスウェーデンの伝統的夏至祭を経験したいと思い、レンタカー(1か月ほど前にEUの免許証をゲットしました)で250kmほど北西に行った「ダーラナ地方」を旅しました。このダーラナ地方は「スウェーデン人の心のふるさと」とも形容されるような地域で、古きよきスウェーデンの風景が今なお残されています(写真)。あの木彫りの馬(Dalahäst)もこの地域が本場です。道中何度か車をとめ、ぼーっと湖を眺めていると、自分でもよく分からないのですが、何かこう、こみ上げてくるものがありました。家族を含め、本当によい経験をさせてもらっているとつくづく感じます。夏至祭のクライマックスは前日金曜日の夜と聞いていましたが、我が家はまだ息子も小さいのでそれを見ることは断念し、当日の昼に行われた夏至祭に参加しました。民族衣装に身を包んだ人々がバイオリンや民族楽器を演奏し、その後ろには野の花々やモミの葉などで飾り付けられた大木を運んでくる人たちが続きます。広場の中心にやってくると、皆で運んできたMajstångをたて、その後しばらく輪になって踊ります。決して派手なお祭りではありませんでしたが、私たちが幼い頃に経験した盆踊りのような、懐かしい光景がそこにはありました。北欧諸国の夏はご存知のとおり短く、夏至が過ぎればまた日に日に日照時間は短くなります。すぐに暗く長い冬がやってくるのです。このような厳しい自然環境に身をおかれているからこそ、皆が大切に守り続けているお祭りなんだと思います。



スウェーデンの伝統的夏至祭

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2015.5.25 
 5月も半ばを過ぎたというのに、こちらはまだまだ肌寒い毎日です。それでも天気のよい日などはしばらく日向を歩いているとじわっと汗ばむようになってきました。夏が待ち遠しい今日この頃です。ところで皆さんはゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたか。そういえばこちらスウェーデンは「平日の休み」がとても少ないように感じられます。そこで2015年の祝祭日について比較検討してみました。2015年の日本の祝祭日は17日、スウェーデンのそれは13日で、それほど変わりありませんでした。ところが、スウェーデンでは13日中6日が土日にあたり、これによる「振り替え休日」は制度上ありません。今年がたまたまなのかと調べを進めると、土日に重なった6日のうち4日は「○月の第△土曜日」といったふうに最初から土曜日と指定されていました。また、3日以上の連休の数にも違いがありました。日本は6回/年、スウェーデンは3回/年です。これは私見ですが、スウェーデンでは日本より十分な期間の有給休暇が用意されており、これを取得することは医療従事者を含め勤労者の当然の権利として十分に認知されているように感じます(たとえば私のラボのとあるテクニシャンは、この夏6週間の有給をとります)。あえて平日を祝日にする必要はないし、またこれ以上増やしたくもないのでしょう。さらにスウェーデンにはDe facto holiday、De facto half holiday、それにklämdagと呼ばれる日があり、ある祝祭日の前日が全休あるいは半休になったり、祝日と週末にはさまれた金曜日が休日になったりします。おのずと休日が増える仕組みになっているのです。ただし、De facto holidayやklämdagは被雇用者に与えられる休日であって(カレンダーも休みにはなっていません)、われわれポスドクのように雇用関係のない者にこの休日制度は適用されないからねとボスから釘を刺されました。なにより大学の被雇用者であるはずのボスがこういう日でもちゃんと出勤されているので何にも言えません。

 今回はスウェーデン生活編として「子育て」を取り上げます。皆さんもご承知の通り、スウェーデンは「子を持つ家族にやさしい国」として世界的に認知されています。その具体的指標としてひとつ挙げると、Save the Children(子どもの権利保護を目的とした世界的なNGO団体。日本も主要メンバー国のひとつです)が毎年、Maternal health、Children’s well-being、Educational status、Economic status、Political statusの5つの指標からMother’s indexなるものを算出し、「母親にやさしい国」ランキングを発表しているのですが、2015年の結果(http://www.savechildren.or.jp/scjcms/dat/img/blog/1956/1430966938214.pdf)によると、スウェーデンは第5位にランクインされています(1位ノルウェー、2位フィンランド、3位アイスランド、4位デンマークで、5位まですべて北欧諸国が占めます。ちなみに日本は32位)。そこで私が見聞きして驚いた、スウェーデンの子育て事情の一端をここにお示ししたいと思います。

(1) 父親の育児休暇取得率
 スウェーデンでは満1歳になるまでförskola(幼稚園。スウェーデンはずいぶん前から幼保一元化がなされています)に入園することができません。またnannyにお願いすることも一般的ではないようです。多くの場合、生後半年ほどしたらförskolaの待機リストに登録しつつ、入園許可がでるまで保護者が育児休暇をとります。育児休暇の総期間は日本とほぼ同じのようですが、休暇中の金銭保障や父親の育児休暇取得に関して大きな違いがあります。育児休暇期間のうち、原則父親あるいは母親のみが取得できる日数というのが定められています。つまり許された育児休暇をフルに活用するためには、父親がそれを取得「しなければならない」のです。この制度ができてから、父親の育児休暇取得率が9割程度にまで上昇したと聞きます。実際、父親がひとりでベビーカーを押して街中を歩いていたり、公園で子どもを遊ばせたりしている姿を平日でもよくみかけます。

(2) Förskolaのシステム
 förskolaの待機期間は申請時期を問わず最大3-4か月と決められており、もし希望のförskolaに空きがなければ、市内のどこかのförskolaに必ず入園できます。そんなの遠かったら通えないやんか、と思うのですが、なんとその場合はタクシーあるいはバスで無料送迎してくれるのです。またありがたいことに、専業主婦(夫)であっても希望により週30時間まで子どもを入園させることができます。私の息子は申請後2週間で第2希望のförskolaに入園することができました。ここUppsalaの人口は20万人ほどですが、入園可能なförskolaは196施設にのぼります。
 保育料は収入によって当然異なりますが、最も高額な保育料でも月額1,260SEK(1SEK=約14.5円)です。息子は児童定員13名の1-3歳児クラスにいますが、そこは4名の先生方が交代制で常に3人体制をとるようになっているため、「手薄」と感じることはあまりありません。また、保護者のどちらかがスウェーデン人でない場合は、希望により追加費用なしで「母語教育」までやってくれます。息子にも週1回、日本人の先生がförskolaに来てくださって、日本語教育を受ける機会をいただいています。なんと寛大な国なんでしょう!本当にありがたい話です。
 ほかにも、ベビーカー連れの親はバス運賃が無料(ストックホルムのみ)だったり、保護者の収入に関わらず児童手当が支給されたりなど、私が知るだけでも驚かされるような事実がいっぱいで、スウェーデンの子ども、また子を持つ家族は本当に恵まれているなあと感じさせられます。もちろんその背景には皆さんご存じのとおり、消費税25%(最大税率。食料品は12%、交通機関などは6%)をはじめとする国民の「高負担」があるわけですが、こうして目に見えるところに税金の使途があると、高負担でも納得されやすいのかもしれません。


息子の通うförskolaの教室です

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2015.4.10 
 4月に入り、ずいぶん春めいてきたように感じます。最高気温が17℃まで達した日もあり、まさに「汗ばむ陽気」です。最近では6時前には日がのぼり、日没はなんと20時前です。変化があまりに急激で体がついていけていないような気もしますが、雲ひとつない青空の下で、リスや野うさぎの走りを目にしながら鳥のさえずりに耳を傾けつつ通勤できる毎日は(リスや野うさぎの出現には最初は驚きましたが)本当に心地よいものです。

 ここ最近の私の本業(もちろん研究)の進捗状況ですが、「confocal microscopy」と「Kaplan–Meier estimator」に翻弄され続ける毎日です。後者は皆さんにもおなじみのアレです。まさかSwedenに来てまでカプランマイヤーに悩まされるとは正直考えていませんでした。研究テーマが異なってもなかなかのクセモノであることに変わりはないようです。confocal microscopyとは共焦点(レーザー)顕微鏡と言われるもので、焦点距離が異なる厚い切片・組織でも、蛍光顕微鏡よりシャープな画像を得ることができたり、また深度の異なる蛍光断層像を用いて立体再構築ができるという優れものです。詳しい原理はお恥ずかしいことに未だ理解できていませんが、先輩ポスドクのアドバイスを受けつつ、自分で染色した組織(マウスの耳)を眺めては写真に収め、机に戻っては解析をする、を繰り返しています。ところが染色の手技が未熟なせいか、はたまた撮影ポイントが悪いのか、どうも思ったようなきれいなデータになりません。写真を撮って解析をしては先輩ポスドクのもとへはせ参じ、これはすばらしい、これはちょっと・・・などと一言コメントをもらってはまた写真を撮るという様子は、まるでお習字教室に通い始めたばかりのこどものようで、われながら苦笑せずにはいられません。ひとつずつ慣れていくしかないですね。

 さて今回はSweden生活編として「医療」を取り上げたいと思います。長らくの間日本の医療現場で働いてきた私にとって、今回の留学は海外の医療を知る絶好の機会でもあります。もちろんSwedenの医師免許は持ち合わせていませんので患者側としての経験に限られますが、それでもこんな機会はめったとありません。とはいうものの、この国の医療制度や医療水準を詳しく知らないばかりか、医療者の説明も十分理解できない上に患者として病状説明すらろくにできない状況ですから、できることなら医療のお世話になどなりたくはないというのもまた本音です。しかし私には1歳半になる息子がいます。こちらに移り住んだのはちょうど1歳になる月で、誕生日から2週間後にはpre-schoolに通い始めていました。私の小児科医としてのこれまでの経験からすれば、こんな年齢で、しかもこんな生活歴で、数年もの間病院のお世話にならずにすむはずがありません。幸いにも病気でお世話になることがなかったとしても、健診や予防接種があるはずです。スウェーデン人と同等の医療制度を享受するにはパーソナルナンバー(PN)が必要であるということだけは知っていましたので、その手続きをしつつ様子をうかがっていました(PNの詳細については前回の体験記をご参照ください)。

 PNが発行されるとほどなくして、行政から息子の「かかりつけの登録」に関するお知らせが届きました。ここSwedenでは、いかなる疾病でも救急疾患を除けばまずはかかりつけに登録しているセンター(Vårdscentral)を受診するか電話で相談することになっています(Uppsalaには大きな大学病院(Uppsala akademiska sjukhuset)があるのですが、救急を除いて受診にはかかりつけ医の紹介状が必須のようです)。送られてきた書類は例によってSwedish onlyでしたが、Google translatorを活用しなんとか解読したところ、息子の通うpre-schoolから数分のところにVårdscentralがあることが分かりましたので、そこを息子のかかりつけとして登録しました。息子はその後、このVårdscentralで1歳健診、1歳半健診を受けていますが、医師・看護師はいつも物腰穏やかでたいへん親切です。初診時には成育歴は当然ながら、曾祖母までの家族歴や周産期歴に予防接種歴など、BSLがはじまったばかりの医学生か!と勘違いするほどの事細かな病歴聴取を受け、なんとすべてに1時間かかりました(医師の診察は別日ですので含みません)。私は日本で乳幼児健診をここまで大切にしてきただろうかと赤面する思いで振り返りました。こちらでは健診も完全予約制ですから、医療者側は焦ることなく対応できるというのもあると思います。また別日に行われた医師診察では、担当医が息子の予防接種スケジュールを一部日本のものにあわせてくれ、しかもそれを公費で接種してくれたことにたいへん感動しました。Swedenでは、20歳未満の未成年にかかる医療費はすべて無料なのです。一方で病歴聴取のわりには医師診察がわりと適当だったり、息子の食物アレルギーに関しては「家で少しずつ食べさせてみたらいいよ、この時期の食物アレルギーがアナフィラキシーになることはまずないし、もしなったら救急車呼べばいいから」と言われたりと、日本小児科学会専門医の私からすると「ん??」と思うような対応・コメントもありましたが、海外での「初医療」は想像よりもはるかによいものでした。

 pre-schoolに通い始めて2週間ほどすると、案の定息子は頻繁に熱を出すようになりました。急性疾患で医療機関を受診すると、時間帯に関わらずまずは看護師のトリアージから始まるのですが、ほとんどの場合はその後医師にたどり着かず、看護師から療養指導だけを受けて帰宅になるといろいろな方から聞いていました。しかし1週間にわたって発熱が続いたことがあり、そのときはさすがに私も心配になってきましたので、予約外でVårdscentralを受診することにしました。10分ほど待っただけで名前を呼ばれ、個室で看護師のトリアージを受けます。トリアージといっても、健診のごとく丁寧な問診に始まり、耳鏡観察を含め看護師が時間をかけて診察します。同僚のアドバイスを受け、少し大げさ気味に病状を説明したものの、結果は「上気道のウイルス感染でしょう、抗生物質は不要、鎮咳去痰剤を含めevidenceのある薬は何もないから、解熱剤だけ使って様子をみればいいわよ」で終わりました。実際その翌日に解熱傾向となり一安心でしたが、1週間発熱の続く1歳児に何の処置も投薬もせず帰宅させられるだけの勇気が果たして自分や日本のトリアージナースにあるだろうか、日本の保護者はこれで納得・満足してくれるだろうか、我々の医療は投薬に頼りすぎていないだろうか、などといろいろ考えさせられる出来事で、結果として私にもよい経験になりました。
それではまた。

我が家のかかりつけ医療機関、Ekeby hälsocenterです。

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2015.3.13 
 スウェーデン生活もはや半年目に突入しました。ここまで本当にあっという間でした。初の外国生活故に日々「いっぱいいっぱい」で時がたつのが早かったのでしょうか。でもそう思ってこれまでを振り返ってみると、国内の異動でも最初の半年というのはとても早く過ぎ去った気がしますので、国内にせよ海外にせよ、居を移せばそういうものなのかもしれませんね。
 実は昨日こちらの研究室ではじめて研究発表をしました。発表といっても研究室内のもので聴衆もたかだか20人足らずですが、それでも正直私にとっては一大イベントでした。1月に発表の日程を知ってから何をするにもどうも落ち着かず、特にここ1か月ほどは行き帰りの通勤途中もそのことで頭がいっぱいでした。少々英語がへたくそでも、皆を魅了するようなたくさんのデータでもあればまた違ったのでしょうが、先日お伝えしたとおり私の研究は研究開始後3か月ほどして完全に振り出しに戻った状況でしたので、それもまた不可能でした。ボスは状況を十分にご存知でしたので、私の日本の仕事も紹介しなさいと言ってくれましたが、それはそれでまた皆の関心から大きく外れることを発表していかがなものか、とか、分野外の話に興味を持って聞いてもらうにはどう発表するのがいいか、など、いろいろ悩みは尽きませんでした(小さな悩みですが)。しかし日が近づいてくるにつれ、そんな悩みは少しずつなくなりました。よくよく考えると私は研究室内では高齢なほうですので、これまでの場数はほかのポスドクに比べ圧倒的に多いのです。英語が下手なことは皆お見通しですし、少々格好が悪くても内容を十分理解してもらうほうが重要ですから、いざとなれば台本を用意すればいいのです。そしてまた私は新入りのポスドクです、うまくいかなくて当然、誰の評価を気にする必要があるのか!そう思うと吹っ切れて当日を迎えられました。結果、それなりに皆の興味を引く発表ができたようで、発表中そして発表後にいろいろと質問をいただきました。ボスにも「流れがとてもclearで非常に興味深かった」と言ってもらえました。お世辞半分とはわかっていますが、それでも悪い気はしません。100点満点とはいえませんが、及第点は与えられるくらいの出来だったとわれながら思います。

 さて今日はスウェーデン生活編として「パーソナルナンバー(PN)」を取り上げたいと思います。研究者としてスウェーデンに長期滞在する際の手続き、またその手続きがさほど煩雑ではないこと、などについては2015年1月の体験記に記したとおりです。しかしより快適に、そしてよりcost effectiveにスウェーデンに滞在するにはPNなるものが必須です。PNはスウェーデンに1年以上滞在する場合に発行が可能なもの(2015年3月現在。発行可能となる滞在期間は時として変わるようです)で、行政機関や銀行などにおける各種申請の際や、医療を受ける場合に必要となる「個人識別番号」を言います。日本いうところの「マイナンバー制度」でしょうか。移民局で発行された居住許可証を持参の上、税務署で住民登録をします。移民の増加に伴って、最近ではPNの発行に申請後4-8週間ほどかかることが多いようです。私の場合もなんだかんだでちょうど8週間ほどかかりました。これがないと本当に不便な生活を強いられます。給料の支払いを受けるためにはもちろんこちらで銀行口座を開設しなければならないわけですが、まずそれができません。PNがないという時点で主要銀行には門前払いされるのです。急病になり病院受診が必要になった場合でも、PNがなければ一般旅行者と同じ扱い、つまり全額負担を求められます(幸い我が家は息子を含め病院のお世話になる前にPNをゲットできました)。その他Folkuniversitetetの受講、公共図書館、IKEA、スーパーマーケットのメンバーズカードなど、細かいことをあげればキリがないほどにPNは日常生活と密接に関係しています。「1年以上居住する場合はPNが発行される」「PNを持っていればスウェーデン人と同等の社会保障を受けられる」ということだけ知っていましたので、われわれは医療保障を除いた海外長期赴任保険に加入して渡航しました(医療保障を除くとそれはそれは安く済むのです)。今思えば息子もまだ小さいですし、渡航後3か月ほどだけでも医療保障にも加入しておいたほうがより安心だったと思います(そういうことが可能かどうかはわかりませんが)。

 荷物の受け取りや酒類の購入にはIDの提示が必須ですので、入国直後はことあるごとにパスポートを家から持ち出さなければなりませんでした。また厄介なことに、行政の諸手続きなどの際には「パスポートは正式な身分証明書ではない」といわれ、それ以上話が進まないことがあるのです。スウェーデン発行のIDカード、もしくはEU圏内発行の免許証のみが正式な身分証明書だといわれるのですが、これらの発行にもやはりPNが必須ですので、PNのなかった最初の数か月はこれが相当なストレスになりました。今はIDカードを常時携帯していて、気分はすっかり「スウェーデン在住日本人」です。また先日はPNのおかげでYAMAHAの電子ピアノを長期レンタルできました。日本で音楽教諭をしていた妻はたいへん喜んでおり、QOL向上中です。

 PNに関して少し気味悪く感じるのは、どんな私企業(たとえば楽器店やスーパーマーケット)でも、PNを知らせるだけでその人の住所まで知ることができるようなのです。またPNの発行を受けてから、行ったことも聞いたこともない店からダイレクトメールが届くようになりました。これらの商行為(少なくとも前者)はおそらく法律などで許可を得ているものだとは思うのですが、年々厳格化される日本の個人情報保護との違いに少しばかりカルチャーショックを受けているところです。
それではまた。

大学附属の植物園です。毎日見事なまでの晴天で、最高気温も10度前後まで上がってきました。

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2015.2.5 
 スウェーデンでの生活もはや5か月目に突入しました。ここ最近は連日の雪模様です。アパートメントの敷地は常に白雪で厚く覆われており、窓から眺める景色は「寒々しい」の一言に尽きます(写真)。ところが実際にはそれほど寒さを感じません。屋内はどこも二重扉・二重窓で、24時間十分な暖房がなされています。この時期日本では、「寒いから布団から出たくないな、もう少し、もう少し・・・」という朝を経験する人が多いのではないかと思いますが、こちらではその感覚もありません。むしろ暑くて夜中に目を覚ますこともたまにあるくらいです。一方屋外に一歩踏み出すと、最高気温0度、最低気温マイナス5度前後(いずれも摂氏)で、今調べたところでは札幌市とほぼ同じ程度のようです。ただし札幌に比べ湿度が常に高く、また風が弱いので、体感温度はこちらのほうが暖かい(札幌のほうが寒く感じる)のではないかと思います。実際、北海道出身で現在こちらに住まわれている方のご主人(スウェーデン人)が、真冬に奥様の実家に里帰りしたところあまりの寒さに愕然とし、「もう冬の日本には行きたくない」とおっしゃっていると聞きました。まるで笑い話ですが、本当の話です。

 たまには研究の話もしておきたいと思います。前回体験記をお送りしてからおよそ1か月、その間に私の研究はなんと振り出しに戻りました。前任のポスドクから引き継いだ結果に基づいて研究を進めていたのですが、どうやらその結果は正しくないらしいというデータが出てしまったのです。「数か月間を棒に振る」とはまさにこのことを言うのだろうというくらいの出来事ですが、私には不思議と何の感情もありませんでした。渡航後間もない出来事であるというだけでなく、これまで経験したことのない多くの手技を教わることができたということが私の満足感につながっているせいかもしれません。私のボスも「事実が早く分かったのはラッキーだったわね、研究と子育ては思うようにいかないのが当然よ」といった感じでとても前向きでした。基礎研究で成果を挙げるというのは生易しいことではないんだなと改めて実感した次第です。

 さて今日はスウェーデン生活編として、「ことば」を取り上げたいと思います。スウェーデンの公用語がスウェーデン語であることは言わずもがなです(公用語として正式に制定されたのは2009年というのは驚きですが)が、我々外国人がここスウェーデンで生活するにあたりスウェーデン語の習得が必須かと言われると、その答えは”Nej!”(スウェーデン語でNoの意)です。語学学校を全世界展開しているとある企業が、英語を母語としない国々の「英語能力指数」なるものを毎年調査・公表しているのですが、2014年調査によるとスウェーデンは世界63か国中第3位です(ちなみに1位はデンマーク、2位はオランダでした)。たしかにカフェ、スーパー、タクシー、公共交通機関、ホテル、保健所、税務署などなど、どこでもすべて英語で事足ります(ただし役所からの文書はすべてスウェーデン語です。ここはGoogle翻訳を多用しています)。しかも「ちょっと待って、英語の分かる人を連れてくるから」というシチュエーションはこれまで一度も経験していません。それほどまでに英語が浸透しているのです。私はスウェーデンの英語教育に関して、与えられた研究テーマ以上の関心を抱き、まずはためしにスウェーデン人にさりげなく聞いてみました。「小さいころからアメリカのテレビ番組をたくさん観てるからね、それだけだよ」とそっけない一言。たしかにスウェーデン語の字幕つきで放送している幼児向け英語番組を多く見かけますが、それだけのはずがない!信用ならないので、「スウェーデン 英語教育」でググってみると、関連情報がたくさんでてきました(スウェーデン人の英語能力に触れた日本人なら皆考えることは同じなんですね)。それらによると、どうやらスウェーデン人の英語習得の「秘訣」は以下にまとめられそうです。すなわち(1)生活習慣(スウェーデン語の習得前から英語番組を見聞きしている)、(2)教育(英語の義務教育化・英語授業はすべて英語・テストもspeaking重視・文法学習は後回し・翻訳はさせない)、(3)語圏(スウェーデン語も英語も同じゲルマン語圏)の3つです。私の所属する研究室にはスペイン語を母語とする人が2人いるのですが、なんと2人ともスペイン語・フランス語・英語のtrilingualです(もちろん片言のレベルを言っているのではありません)。彼らいわく、どれも語圏が同じせいか、そう苦労せず話せるようになったとのことです。また私の妻は先日からFolkuniversitetetという国立の生涯教育大学で英語のクラスを受講しているのですが、面白い経験をして帰ってきました。授業前から流暢な英語で話している人たちがいたそうで、妻としてはどうして受講するのかといぶかしく思っていたそうですが、なんとgrammarの時間になると、be動詞の使い分けも、someとanyの使い分けも知らなかったそうです。スウェーデン人の英語習得における3つの秘訣はあながち間違いではないのだろうと思います。

 ところで先ほど引用した「英語能力指数」ですが、日本は63か国中26位、アジア14か国中5位という評価でした。アジア地域の「概要説明」には、大変辛辣で、耳をふさぎたくなるようなコメントが書かれています。(以下引用)「昨年のOECDによる生徒の学習到達度調査(PISA)の結果によると、アジアは世界で最も優れた教育制度を有し、上海、台北、香港、シンガポール、日本、韓国が読解力、数学、科学で上位を独占しています。しかしながら、これらの国々の中で高い英語能力を有するのはシンガポールだけです。香港、日本、韓国は過去7年に渡る英語教育への多額な投資にもかかわらず向上していません。このような成績の差があることについて、英語教育とその他の科目の教育にどのような違いがあるのか疑問が浮上しています。」(引用ここまで)この指数もつ意味や調査方法、あるいは日本のおかれた位置についてどう評価するかは意見の分かれるところかと思いますが、少なくともこの講評に関しては素直に耳を傾けるほかないのではないでしょうか。この調査に関してご興味のある方は、以下のホームページをご参照ください。http://www.ef.co.uk/epi/
日本もまだまだ寒い毎日が続くかと思いますが、皆さんくれぐれもご自愛ください。


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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2015.1.9 
 新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 今回私ははじめて外国のクリスマス・年末年始を経験することができました。いわゆるお正月よりもクリスマスが重要視されているのはウワサどおりでした。我々日本人が年末年始を迎える時のように、こちらの人々はクリスマスが近づくとやはりどこか浮き足立っているように見えます。せっかくの機会なので、私もSweden式のクリスマスにどっぷりつかろうと試みました。11月に入ると大型ショッピングセンターなどで大小さまざまなもみの木が売られ始めますが、クリスマスに向けての本格的な準備はおよそ4週間前、Advent(待降節)から始まります。4本のろうそくを準備し、日曜日ごとに1本ずつ火をともしながらまさにクリスマスを「指折り」待ちます。ラボの窓際にも電気式のろうそくがたくさん並べられ、こちらは昼夜を問わず点灯されていました(外から見るととてもきれいです)。12月13日には重要なイベント、Lucia祭があります。さすがに同日ではないものの、私が所属するdepartmentの大講堂でもこのイベントが行われたのには驚きでした。そして皆GlöggやJulmust、Pepparkakor にLussekattなどをいただきながら、(きっと)ウキウキした気分で毎日を過ごすのです(詳細は割愛しますが、ご興味のある方はWe bで検索いただければたくさん出てきます)。

 さて今回は渡航前~直後編です。interviewが終わった後、ボスの指示やネットの情報を参考に、渡航にあたっての事務手続きを進めました。私の身近にはSwedenへの留学経験者がいなかった上に、ネットの情報もアメリカやドイツ・イギリスなどに比べると圧倒的に少なく、またupdateされていないことも多かったので、その点で少し難渋しました。まずはビザ関連です。日本国籍を有する人が研究目的でSwedenに長期滞在する場合、いわゆるビサは必要ありません。大使館に出向く必要も、面接もありません。留学先の書類や戸籍謄本、その英文訳などをpdfにして添付し、Sweden移民局のホームページから渡航許可をweb申請します。許可を得るのに時期によっては2-3か月かかるとの情報もありましたが、私はわずか2週間でスウェーデン大使館から滞在許可証が郵送されてきました。入国後、この許可証を移民局に持参しそこで居住許可カードを作成してもらえば完了です。

 次にスウェーデンに長期滞在する上でネックになる住居です。需要>>供給という長らく続くアンバランスが原因で、個人でアパートなどを探すのは至難の業だそうです。私の属するUppsala Universityには遠方からやってくる研究者のため、大学が住居を多く所有・管理しています。ボスの指示で、interview後すぐに大学のHousing Officeに登録しました。するとこれまた幸運なことに、2014年8月に完成したアパートを斡旋され、今はそちらにすんでいます。大型家具のみならず、お皿・包丁、コーヒーメーカー、掃除機などなど、生活必需品はすべて新品でそろえられていました(ちなみに9割方IKEAです)。暖房はいわゆるセントラルヒーティングなので室内はむしろ暑いくらいです。敢えて難を言うと、バスタブがないのと、洗濯機が共用であること(こちらの賃貸アパートではごく一般的らしいですが)、また床が大理石でとても固いので、ちょっと何かを落としてしまうとほぼ間違いなく壊れること (いくつ食器を割ったことか・・・。カーペットをしけばいいのですが部屋中がそうなもので・・・)です。

 後は日本から別送する荷物類の準備です。どこに海外留学する場合でも「日本から何を持っていくか」「どのような手段で送るか」というのはいつも問題になるのではないかと思います。しかしこちらに来て分かったことは、日本食や電化製品を含め、おおかたの物はどこにいても手に入る、ということです。たとえば炊飯器ですが、私の住む街で店頭販売されているのは見たことがありませんが、ドイツやイギリスのamazonなどを介せば簡単に買えます(EU圏内なら関税もかかりませんし、配送料もreasonableです)。米や醤油は近くのスーパーでも売っています。ただし「どこでも手に入る」というのには「コストパフォーマンスを気にしなければ」という条件が付きます。渡航直後は何かとバタバタしますし、入国直後から必要と判断するもの、またこだわりのものは日本から持参したほうがよいと感じました。別送の手段ですが、欧州でも国によっては引っ越し関連業者を介して荷物を送ることができるようですが、スウェーデンの場合、そのような業者を使うことは私の知る限り困難です。したがって郵便局から船便や航空便(EMS便、SAL便など)を使って送ることになります。私の経験では、EMS便は1週間、SAL便は10日から2週間、船便は2ヶ月程度でこちらに着きますので、予想以上にスピーディーです。実は私たちは、出国の1週間前にようやく荷造りを終えるという体たらくでしたが、それでも現地にはSAL便のほうが先に到着していて驚きました。ただ、荷物に関しては到着後大きな問題が待ち構えていました。Swedenには原則、宅配物を自宅まで配送してくれるサービスはなく、預り証を集荷所に持参して受け取る仕組みなのです!知らなかったわけではないのですが、まあなんとかなるだろうと高をくくって10箱ほど送ったのですが、いざ行ってみると、集荷所はなんとバスで15分ほどかかるところにありました・・・。毎日1箱ずつ取りに行こうか、それともレンタカーを借りようか、などと妻と相談していたところ、渡航前からネットを通じてお知り合いになっていたご家族からお声がけいただき、Sweden人のご主人のおかげで事なきを得ました。これ以外にも買い物や諸手続きのことなどで今もたびたびお世話になっていますし、おかげさまで妻の交友範囲も大きくひろがりました(私より妻の方がこちらの友人・知人が多いです)。海外留学する際には、ネットなどを通じて(私の場合「Uppsala日本人会メーリングリスト」を活用させていただきました)あらかじめ現地の方とお知り合いになっておくことが何にもまして重要だと実感した次第です。
次回からは生活編をお送りしたいと思います。


Lucia祭のイメージです。departmentの事務方から業務メールが送られてきた際に添付されていました。

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2014.12.9 
 前回体験記をお送りしてからはや1か月がたちました。この1か月で私の生活リズムはほぼ完全にできあがり、海外に住んでいるという違和感も薄らいできつつあります。平日はまだ日の昇らない午前8時(今日の日の出時刻は8時37分でした)に家を出て徒歩でラボに向かいます。着いたらまずはコーヒーを飲みながらその日の実験計画を立て、9時前から実験を始めます。みなさんよくご存知かと思いますが、実験は待ち時間が多くあります。その間は試薬づくりをしたり、教授ミーティングに備えこれまでのデータを整理したり、BBCやNHKの語学教育番組や英語ニュースを聴いたりして過ごします(動物実験セミナーは無事修了しました)。ちなみにこんなときラボのほかの人は何をして過ごしているんだろうとふと目をやると、同じようにデータ整理をしている人もいれば、Skypeで誰かと何やら話しこんでる人もいます。研究の話だと信じていますが、ところどころ面白そうな内容が聞こえてきます(ところでこちらに来てはじめて知ったのですが、Skypeはスウェーデン人とデンマーク人の2人が開発したそうです)。そんなこんなしているともう外は真っ暗(昨日の日の入り時刻は14時46分でした!)で、だいたい17時には帰宅の途につく、そんな毎日です。出退勤は日出前、日没後なので、「今日もよく働いたなー」と思わせてくれますが、実際のところそんなでもないんですよね。休日は培養細胞の世話をしにラボに向かうこともたまにありますが、ほとんどは家族とすごします。1週間分の食料を買いに、家から少し離れた大型スーパーへ行ったり、最近ではクリスマスマーケットに出かけたりと、安寧な日々です。

 さて今回のテーマは渡航前編です。いつか留学したいと考えておられる先生方へ、実際どのように事がすすむのか、どのくらい前もって準備をすすめればよいのかをお伝えできればと思います。
 海外留学するにあたってまずすべきは当然ながら「留学先を決める」ことです。私が留学に向けて実際に動き始めたのは2013年度に入ってすぐでした。留学したいという意思表明をしたのはそれより数年前ですが、当然ながら誰が何をしてくれるわけでもなく、私自身多忙を言い訳に何もしないまま時がすぎていきました。ただ、「どのあたりに行きたいか」ということだけはずっと妄想していました。その先はもちろん、欧州です。なぜ欧州か?最大の理由は「ことば」です。私はこれまで国際学会や個人旅行で欧米を何度か訪れたことがありますが、自分の英語力のなさを強烈に感じさせられるのはいつもアメリカでした。「何を言ってるのかさっぱり分からない」というのを渡米のたびに何度となく経験します。語学留学ならいざしらず、研究留学でまず言葉から大きくつまづくことに対し、精神的に耐えられる自信がありませんでした。では欧州では何の問題もないのかと言われると決してそうではないのですが、イギリス人の話す英語もアメリカ人より聞き取りやすく、また英語を母国語としない我々にも寛容な人が多いように思えたのです。実際こちらで働いてみてもやはりアメリカ人の英語はさっぱり理解できないことがしばしばです。なんだそんなことか、と思われるかもしれませんが、海外旅行でなく、長期滞在する上ではことばの問題は極めて重要だと個人的に思っています。研究レベルは言うまでもなく米国も欧州もなんら違いはないわけですから、このような個々人のフィーリングというのは大切にすべきでしょう。一方でヨーロッパの人は冷たいとか、なかなか親しくなれないといった話を渡欧前に何度か耳にする機会がありました。たしかに家族ぐるみの付き合いに発展しそうな人や、プライベートな相談をするようなラボの仲間は今のところいません。しかし親切なスウェーデン人に助けてもらい事なきを得たという体験がすでに何度もありますし、生活したり仕事をしたりする上で冷たいと感じたことは今のところありません。お友達をつくりにはるばるスウェーデンまで来たわけではありませんから、私にはちょうどよい距離感だと感じていますが、逆にこれが物足りない方もおられるかもしれません。

 さて留学先を探すための具体的な方法といえば「先輩の後任を狙う」「上司に紹介してもらう」「自分で探す」のいずれかかと思います。せっかくの機会なので、私はまず自分で探すことを試みました。私の身近で欧州への留学経験がある先輩といえば、和歌山県立医科大学小児科の吉川徳茂教授です。そこで教授にアドバイスを頂き、腎臓領域のトップジャーナルに数年内に論文掲載実績があるイギリスの4大学に、CV(履歴書)をつけたメールを送りました。しかし結果は無惨なものでした。1か所だけ「奨学金持参ならいつでもOK」という返事をもらいましたが、残り3か所からはメールの返事すらありませんでした。私は詳細な研究内容より行き先優先で、欧州以外を選択肢にすることは全く考えていませんでした。そのため後任を狙うといった手法は難しかったので、これを続けてダメならご縁がなかったということで留学は諦めようくらいに思っていました。

 そんな中、突然救世主が現れました。そのきっかけは何を隠そう、野津先生でした。2013年6月に行われた日本小児腎臓病学会の懇親会で、とある大学の教授に私の話をしてくださったのです。するとその教授から「留学先ならあるよ」というお返事を頂けたとのことで、学会終了後すぐにコンタクトを取り、CVを送りました。その後私の連絡不行き届きに端を発し、ご紹介いただいた教授には一時たいへんご迷惑をおかけすることになってしまったのですが、2013年10月(留学のちょうど1年前)には、私から今のボスに直接メールでコンタクトが取れる状況になっていました。そして2014年2月(留学の8ヶ月前)、シンポジウムで来日するのでそこでinterviewをしましょうとのメールをボスから受け取りました。

 interviewはボスの宿泊するホテルのロビーで行われましたが、とても緊張しました。終わってみれば1時間でしたが、その何倍にも感じられました。まずボスが30分ほどかけて、ラボの主要研究テーマについてプレゼンをしてくれました。次に私の博士論文の研究内容をサマライズするよう求められました。残りの時間はラボメンバーの構成や渡航前にしておくべきこと、給料をはじめとした事務的な説明だったと記憶しています。「スウェーデンでの経験は帰国後もあなたの役に立つものでないといけない。そうなるようにしましょう」とボスがおっしゃってくださったことにとても感激しました。interviewが終わったとき、それはすなわち留学が決まったときなのですが、実際にはあまり実感がなく、解放感のほうが大きかったのをよく覚えています。

 ラボの仲間を見渡しつつこうやって書きしたためると、約束された留学先がないのにも関わらず活動しはじめるのが遅く、さらに自分の業績だけで給料つきのポストを勝ち得ようとしていた私はかなり無謀だったなと感じます。臨床系講座に所属し臨床系の仕事を中心に行ってきた我々が、さまざまな研究手技を確立しているのみならず、さらになんらかの得意分野を持つPhDと肩を並べて基礎系教室で競い合うのは無理があるというのが正直な感想です(もちろんどちらが優れているという問題ではありません)。どこの誰かも分からない外国人を雇う側からすれば、自分たちの領域に関連した優れた業績を有するのは最低条件で、さらになんらかのstrong pointがあり、かつそれがボスの欲するものと一致している、そういう人物に目が向けられるのは当然のことです。このgapを穴埋めするにはひとまず無給で行って信頼を勝ち得た後に給料を要求する(幸い日本人の信頼たるや絶大です!)か臨床系教室を探す、あるいは先輩の後任や上司の紹介を期待するのが現実路線だというのが今の私の率直な感想です。

  次回はスウェーデン入国後の準備編をお送りしたいと思います。今年も一年お世話になりました。みなさんよいお年をお迎えください。


町のシンボル、ウプサラ大聖堂がクリスマスにあわせライトアップされています。
スカンジナビア諸国で最大級の教会建築だそうです(高さ118.7メートル、幅118.7メートル)。

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貝藤先生のスウェーデン留学体験記  2014.11.4 
 皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。私は日本を離れて1か月半が過ぎ、生活基盤がそれなりに整って日々の生活にもだいぶ慣れてきました。ようやく皆さんに留学の経過報告をさせていただく余裕ができましたので、恒例により、ここから不定期に留学体験記をお送りさせていただきたいと思います。研究の合間に、落ち着いた当直の空き時間に、また昼食後のまったりした時間にでも読んでいただければ幸いです。

 私は2014年10月1日からSwedenのUppsala (Swedenの首都Stockholmから北に約70km、電車で40分ほど離れたところにあるSweden 第四の都市)にありますUppsala Universityにpost docとして研究留学させていただいています。Uppsala Universityは、1477年(応仁の乱が終わった年らしいです!)に創設された北欧最古の大学で、これまでに15人の大学関係者がノーベル賞を受賞しているそうです。所属先はDepartment of Immunology, Genetics and Pathology(なんでもアリな名前で最初は驚きました)で、Lena Claesson-Welsh教授の下、日々研究にいそしんでいます。私の所属する研究室は教授以下総勢20名という大所帯で、うちpost docとPhD studentが15名ほどを占めますが、純粋な基礎研究室ですのでいわゆるMDは教授を含め数人しかいません。出身国はSweden はもちろん、アイルランド、イギリス、スペイン、イタリア、インド、中国、アメリカ、メキシコ、オーストラリア、そして日本とinternationalでさまざまですが、「血管新生」や「血管透過性」を制御する蛋白あるいはcascadeを解明することを主要命題として皆が真摯に研究に取り組んでいます。逆に言えばこれらに関係があればいわば何でもアリなようで、post docやPhD studentのテーマは本当に多種多様で、種々のモデル動物(未熟網膜症のモデル動物も使われています)や培養細胞を用いてそれぞれが研究を進めています。教授はHead of Departmentを兼務され激務なのですが(ご自分で´super busy´とおっしゃってました)、15名全員と週に1回必ず個人ミーティングをし、進捗状況と研究の問題点を確認・把握されています。私にもすでに研究テーマが与えられ、この教授ミーティングを3回ほど経験しました(毎回45分ほどお話ししています)が、先週私が述べたことはほぼすべて(privateな話も含め)記憶されていますので、教室員それぞれの状況はほぼ完璧にご存知なんだろうなと思います。まさに驚異的です。私はこの1か月間で、スペイン人の先輩post docにウェスタンブロット、qPCR、組織の重染色とconfocal microscopyでの観察、細胞培養、transfectionなどの手ほどきをうけました(けっこうスパルタです。まさかピペットの持ち方から指導されるとは思ってもいませんでした)。次は実際に動物実験を、ということで今は動物実験に関するオンラインセミナーを受講中です(試験を20回受けるのですが、すべて100点満点を要求されます。これがとても難解なのです!)。ところで私の研究内容の詳細ですが、どこからがconfidentialなのか現在のところ私自身がまだつかみきれていないところがありますので、機会があればまた後日お伝えしたいと思います。

 このような国際色豊かな研究室で、未知の研究分野と研究手法、そして慣れない英会話に悪戦苦闘の毎日ですが、けっこう楽しくやってます。今のところSweden留学はかなりオススメです(今のところ、ですが)。私の英語は言うまでもなく拙いのですが、私が何を言おうとしているのか、皆一生懸命聞いて考えてくれます。言いたいことを5割くらい言うと、「こういうことだろ」と後の5割を即座に付け加えてくれます。教授は「あなたの英語は悪くない、これから聞く機会が増えればもっと上手になる。Don't hesitate to speak English!」とおっしゃってくださいます。本当にありがたいことですが、このような状況ではことばにあまり不自由しないので、上達も見込めないかもしれませんね・・・。

  今回は初回の留学報告ということで雑多な内容になってしまいました。次回からは何かテーマを絞ってお伝えできればと思います。ご期待ください!


毎日通う研究室のある建物(Rudbeck Laboratoriet)です。
北欧の冬はご存知の通り曇天が多いのですが、この日は日没まで快晴でした。
この後現在まで3日間快晴が続いています。

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