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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り


藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2016.05.24 
 御無沙汰しております平成16年卒、18年入局の藤岡です。前回の報告で「いよいよ本留学だよりもあと2回になりました」と書いたにも関わらず、帰国前後の業務に手をとられて最後の一回が手つかずになっておりました。2か月以上空いてしまったのでもうこのままフェードアウトしてしまおうかとも正直考えていたのですが、帰国前後の色々な手続きに関して、情報共有したほうがいいなと思う事柄がいくつかあったので最後にまとめて報告させていただきます。

 一つ目は帰国前の手続きです。まず、アパートからの退去ですが、私の住んでいたアパートでは退去一か月前に退去予定の通告を文書で行うことになっていました。退去予定を伝えると、(最早記憶が薄れつつあるのですが)書面が送られてきて、退去前点検を希望するか、次の異動先住所、Depositの払い戻し口座、などを記入します。次いで、(1)Public utilityの使用停止、(2)住居の火災保険の停止、(3)ケーブルテレビ・インターネット接続の停止、(4)郵便物の転送設定などを行います。
 (1)に関しては、インターネットで月々の支払を行うアカウントを設定している人はオンラインで停止することができるようでしたが、私はそのような設定をしていなかったため直接電話で依頼しました。この電話対応は非常に良好で、速やかに停止日を確定することができました。
 (2)に関しては、契約書に記載されているメールアドレスに退去するので契約を解除したい旨を連絡しますと、こちらも迅速に対応してもらえ、料金も日割りにすることができました。
 (3)については、加入時にいろいろともめた経緯があったので一筋縄ではいかないだろうと思っていました。ためしに加入したときの担当者に解約したい旨メールしてみたところ、返事は梨の礫でした。また、ウェブサイトで解約手続きについて調べてみましたが、解約の項目になかなか行き着けず、行き着けたところでウェブ経由での解約はどうやらできなさそうだということがわかりました(Upgradeだけはウェブの1クリックで可能なようですが)。
 そこで、友人から聞いていたチャット対応窓口にチャットで連絡してみました。こちらはスムーズに担当者につながることができ、チャットで自分のアカウント番号を伝え、解約したい旨を伝えました。すると、結局解約はチャットでは承っていないと言われ、やっぱり電話する羽目になってしまいました。想定の範囲内でしたが、しぶしぶ電話してみると今回は何とか自動音声相手でも会話することができ、オペレーターまでたどり着くことができました。個人的にはやはりこのC社の自動音声電話への応対が最も難しいと感じました。そもそも自動音声に対して要件を話すという行為が、第三者的にみると非常にシュールな画に感じてしまい、結構恥ずかしいこと。加えて、自動音声が私の英語を認知できない場合は「ちょっと何を言っているのかわかりません」みたいなことを機械的に返してくるのですが、これのダメージが結構大きいことがあります。思い返すと、日本的な丁寧な電話応対に慣れていた渡米当初に、こんな高飛車な対応をされると、ただでさえ下手な英語がうまく話せなくても当然だったろうなとつくづく思いました。うまくつながってからも、なかなか解約させてもらえなさそうな雰囲気でしたが、オペレーターに母国に帰ると伝えると何とか納得してもらえました。衝撃的だったのは解約の電話をした翌日に、C社の別のオペレーターから「解約の理由を教えてほしい」と直接電話がかかってきたことです。全然電話つながらなかったのにこの執念はすごいなと思いながらも、「御社のサービスには満足していますが、母国に帰るためです。」と丁寧に説明しておきました(実際インターネット、テレビ視聴に不満は有りませんでした)。ただ、最後に借りていたモデムなどを返却しないといけないのですが、これも郵送で送って届かなかったりしたら嫌だなと考え、自分でパロアルトの直営店に持っていくことにしました。C社の直営店は行列がすごいとのうわさをよく聞いていたので覚悟を決めていったのですが、実際はほとんど待ち時間なくカウンターに案内され、解約の手続きの不備とかいろいろ言われたりするのではないかと心配していたのですが、モデムのバーコードを読み込ませるだけで「OK! You are all set.」と言われて10分もしないうちに帰ってきました。個人的な感想としては、直接このカウンターに行って器材を返してしまうのが一番手っ取り早い解約方法だったのではないかと思っています。また、注意すべきだなと感じたのは、それまで自動振替にしていたのに、帰国後の4月後半に少額の請求書が回ってきたことです。解約してしまっているので以前使用していたアカウントが無くなっているため、ウェブでの支払いができない状態でした。結局最後の支払いをするためだけに、再度新たなアカウントを作成したことで、無事少額を振り込むことができましたが、アメリカの銀行とかも解約してしまった後なら結構面倒くさいことになっていなのではないかと思います(払い込み遅延の罰金は刻一刻と加算されていくようなシステムだったので・・・)。
 (4)については、アメリカ国内であればウェブでも申請可能なのですが、国外になると直接郵便局に出向いて設定する必要がありました。ここで気になったのは、住所を記載するマス目のところに国名を書く欄がないことです。私は州のところにJAPANと書いてみたのですが、結果として届いているのでそれでよかったのだろうと判断しています。

 二つ目は帰国直前の手続きですが、具体的にはアパートの退去についてです。私の帰国便は夜発であったため、出立の際に管理棟が開いていなければ鍵を返せなくなるため、早めの時間に鍵を返却しなければいけないのかと思っていました。その旨をスタッフに相談してみると「出立するときに鍵を管理棟の郵便受けに入れておいてくれたらいいから」と言われ、実際スタッフの立会も無く、夜逃げのように帰ってきました。日本的な価値観からは、入居前からあった部屋の傷や不具合を全部自分のせいにされたりしたらいくら請求されるかわからないと危惧していたのですが、それなりに家族で掃除をしたくらいでデポジットも結構返ってきたので、妥当な対応をしてもらえたなと安心したところです。また、空港までの移動はシャトルを一台借り切ったのですが、「雨が降っているから早めにきた」と30分も早く来てくれたので大慌てになりました。それに加えて、ドライバーは大男だったので荷物の運搬を手伝ってくれるのかと思いきや「腰が悪いから」と言われ、全部自分で運ぶ羽目になりシャトルに乗り込んだ時点でヘトヘトでした。しかし遅れるよりはよっぽどましだったので本当に良かったです。幸い帰国便には大きなトラブルも無く、無事に日本につくことができました。

 最後に帰国後ですが、正直やはり日本なのでアメリカと比べると手続きに何のトラブルもありません。あえて挙げるとすると、帰国後にアパートからデポジットの残り分が小切手で送られてきたのですが、アメリカの銀行発の小切手なので扱いに困りました。ネットで調べると日本の銀行でも手数料を払うと受け付けてくれるとのことだったので最寄りのA銀行に行ってみたところ、常日頃からの取引がない口座では受付できないと言われ、給料振込口座のB銀行を勧められました。B銀行では受付できそうな雰囲気でしたが、外国小切手の扱いとなるとマネーロンダリングとかの観点から使用実態のある口座で受け付ける必要があるということでしょうか。それまで外国にいた人に常日頃からの取引と言われても実際的ではないと感じ、若干、面倒くさいなと思いました。もう一点は、アメリカで申請していた連邦税の還付の書類が転送されてきていて、結構な額が還ってくることになったのですが、振込先をアメリカの銀行に指定していたので解約していたら面倒なことになっていただろうなということです。3月末で帰国する人は税金の還付が帰国後になる可能性も考えておく必要性があるなと感じました。

 以上、帰国前後に感じたことを思いつくままに書いてみましたが、渡米直後に比べると帰国前後は大してトラブルなかったなというのが実感です。唐突に最後になりましたが、アメリカ滞在中にお世話になったベイエリア近辺の日本人の皆さんには大変感謝しております。どうもありがとうございました。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2016.02.26 
 こんにちは、いよいよ本留学だよりもあと2回になりました。カリフォルニアを離れるのは大変心残りなのですが、留学便りが終わるのは正直嬉しいです。思えば、出発にあたり教授から定期的に留学生活について報告するようにとの指令を受け、今まで頑張って書き続けて来たわけですが、最初の半年以降は生活にメリハリが乏しくなり、内容を捻出するのに毎月四苦八苦しておりました。逆にいうと渡米後半年くらいで生活が軌道に乗るということでしょうか。当初は1−2ヶ月毎にと言われていたのですが、最初のうちはラボで仕事もなく、留学便りを書くくらいしかやることがなかったので、何となく月1回ペースで書いているとそれが自分の中でルールのようになりました。結果的に、1ヶ月の終わりを常に意識することになり惰性が出ずに良かったように思います。唯一の後悔は、2015年2月後半に当月分をそろそろ書かないといけないなと思っていたにも関わらず、気が付くと3月になってしまっており、月1ルールが途切れたことです。2月は1年で一番短い月だというのを実感しました。この時の喪失感は結構大きかったのですが、その反省から以降月1ルールで頑張れたように思います。

 前置きが長くなりましたが、私の日常はというと1月末にこちらで最後の学会発表が無事終了し、 業務の引き継ぎと今やっている仕事のまとめにかかっています。
 業務の引き継ぎに関しては、主に測定機器の使い方やPCRのプロトコールとかをテクニシャンの同僚に少しずつ引き継いでいるのですが、先月も書きましたが日本人的なノリでやっていた細かい手順などは、「そんなに複雑にしないといけないのか」などと溜息をつかれたりするので、僕自身も申し訳ない気持ちになったりします。

 仕事のまとめに関しては、研究自体は全然まとまらないのですが、ボスから依頼されていた内職のような遺伝子解析の仕事は無事に終了の目処がたちました。これに関しても、シークエンスを依頼していたスタンフォードの受託ラボの担当者が年末に交代になっており、以前は一週間くらいで結果が帰ってきていたのが「機械が故障している」とか「標準試薬の到着を待っている」とか色々口実をつけて一ヶ月以上待たされました。会いに行ってみると何となく頼りなさそうな若者だったため(前任者ははきはきした女性でした)、「彼は本当にできるのか?」というのが第一印象でした。しかも、会いに行かないと現状を説明してくれず、そのたびに実験できない理由がupdateされていくので、上司も「やり方がわからないから色々理由をつけて引き伸ばしてるいのじゃないのか」と彼の能力に懐疑的になっていました。そこで外部の会社に依頼するということも考慮したのですが、これもたくさんの会社がありどれも謳い文句は素晴らしいのですが、何をもとに信用すればいいのかわからない状態だったため、結局決断できずにずるずる月日が過ぎて行きました。というのも、(話がそれるのですが)昨年からラボコート(白衣)の洗濯をお願いする会社が変更になったのですが、新しい会社がかなりいい加減で、週1回白衣の回収に来るはずが全然やってこず、電話で要請してやっと回収に来たと思ったら何人分かの白衣が行方不明になって帰ってこないというような有様だったので、お金を払うサービスだからといって質が保証されている訳ではないということがよくわかっていたからです。特に大学外の会社になってしまうとクレーム対応も期待できないことから躊躇していました。

 そんなこんなで1月を丸々棒にふってしまっていると、2月初旬に彼から「試薬が来たから数日でシークエンスがはじめられると思う」というメールが来ました。上司ともども半信半疑だったのですが、能力がないのであれば機械トラブルを理由にいつまでものらりくらりかわしていればいいはずなので、実はできるんじゃないかと若干期待しました。すると、数日中に依頼したサンプルのシークエンスを全て終了してくれた挙句、僕が解析ソフトを使っても解析できないと判断していた3つのサンプルに関しても、手動で解析する方法を教えてくれて再実験する必要なく解析が終了できました。結果的には、彼の言っていたことが全て真実で、機械と試薬の問題で実験が遅れていただけだったのですが、アメリカの粗い対応に馴染んでしまった自分の感性と、頼りなさそうな彼の見た目が、物事を悪い方向に判断させていたようです。彼には本当に悪いことをしたなと反省すると同時に、大変感謝しています。まさにAppearances Can Be Deceivingだなと思っています。
 今回は以上です、後1回よろしくお願いします。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2016.01.22 
 遅くなりましたが明けましておめでとうございます。こちらは天気の優れない日が続いています。近況ですが、いよいよ3月末の帰国が迫ってきたためせわしなく励んでいます。ただ、当然ですがかけた時間に比例して成果が出るわけではないので進捗状況に大きな変化はありません。
 仕事面では、1年ほど取り組んでいた動物モデルの実験が少しずつ軌道に乗り始めましたが、まだ道半ばという感じです。また、上司から以前取り組んでいたのと同様の遺伝子解析の仕事を昨年末に依頼されたのですが、帰国までに完了するかギリギリのタイミングだと思っています。「3月までに仕事がなくなることはないから」と夏くらいからずっと言われていたのですが、帰る前にこれだけはやらせようと思っていたようです。よくアジア人は器用で実験がうまい云々言われているのを耳にしますが、自分の感覚としてはアメリカ人も実験は決して下手ではないですが、数百検体のgenotypingのような緻密さが必要とされる単純労働の繰り返しは苦手というか、そもそもやる意義を見いだせないからできないのではないかと思います。僕なんかからすると、「300検体なら1日30検体こなしたら10日で終わるな」と考えるのですが、彼らの発想では「毎日そんなことやっていられないからなんとか1回で300検体終わらせる方法を考えよう」となるようで、実際1−2週間色々試行錯誤して1日だけ仕事して全てのデータを取ってくるような人もいたのでこれは考え方の違いだろうなと思います。ただ、後者のほうがイノベーションというか新しいことを発明する土壌にはなっているように思いますし、現状を無批判に受け入れていたのでは結局それ以上のものは生み出せないだろうなと思います。その反面、後者のスタンスの人とコラボレーションすると地道にやってくれてさえいればもうとっくに終わっているという状況で待ちぼうけをくらうこともあるので、計算できるという観点からは我々の方が求められているのかもしれません。

 話は変わりますが、帰国便を探していた時に乗り換えのタイミングがちょうどよい便を見つけたのでSFOからLA経由で関空に帰ろうと日系の航空会社でチケットをとりました。日系だから問題無いだろうと考えていたのですが、先日仲介業者から「至急連絡ください」という内容の連絡がきたので電話してみると、「LA発の便の出発が15分早まったので規定の乗り継ぎ時間が確保できなくなったため搭乗できなくなりました。」ということでした。悪天候とかで飛行機が飛ばない可能性は心配していましたが、航空会社の自主的な変更でも乗れなくなるというのを想定していなかったので驚きました。待ち時間が少なくて都合がいいということは逆にいうと些細な変更に大きく影響されるということだと再認識しました。また仲介業者を介していると申し込みは簡単な反面、状況確認など自分で航空会社に問い合わせることができず、 その都度仲介業者から航空会社に問い合わせてもらう必要があるので、トラブルが起きた時の対処がしにくいということもわかりました。結局、アメリカ国内で乗り換えるのはハイリスクだとのご指摘を頂いたので、SFOから東京まで飛んで、国内で乗り継ぐことにしました。今回は念には念をいれて航空会社のホームページから予約を取りました。入国、帰国時に飛行機のトラブルに巻き込まれると新生活にむけて結構気分が沈むと思うので、これから入国を考えられておられる方の参考になれば幸いです。

 今回は以上です、本年もよろしくお願いします。
追伸:上述の事情で3月末に帰国するために家財、車など引き取っていただける方を募集しています。ご興味を持たれた方はfujiokak at sign stanford.eduまで気軽にご連絡ください。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2015.12.09 
 みなさんこんにちは、こちらは日が落ちるのがどんどん早くなってきました。夕方5時以降になるとほぼ真っ暗です。11月末はアメリカではThanks givingという日本のお正月のようなイベントがあり、いよいよ今年も終わりだなと実感します。今月も特に書くことがないので渡米当初の生活におけるマイナートラブルについて書こうかと思います。

 一番印象に残っているのが水のトラブルです。私の住んでいるアパートは築数十年のとても古いアパートなのですが、入居1−2ヶ月目あたりに水のトラブルが重なりました。それは、今思い返すと、流しはじめの水道水が濁り出すことから始まります。これは、基本的には少し流すといつもの透明な色調に戻るのであまり気にしないでいたのですが。続いて夕方に、お風呂場でシャワーの元栓を捻っても水がちょろちょろとしか流れない事態が起こります。この際におかしいなと思い水の元栓を目一杯回してしまうと、一瞬の間をおいた後、急に水それも熱湯が噴き出してきてそれ以降いくら元栓を反対に回しても熱湯が止まらなくなるのです。私の住んでいるアパートの給湯システムについてはよく理解していないのですが、少なくとも各家庭で水を温めているのではなく、熱湯と水がアパートの屋上?から供給されてきて、それを混ぜあわせることで至適な温度に調整しているようでした。私の場合は不幸なことに、二回とも熱湯側の配管が故障したようで、お風呂場の蛇口から火傷するレベルの熱湯が断続的に噴出する事態に陥りました。怖かったのは、お風呂場の排水から排出される以上のスピードで熱湯がシンクに注ぎこまれる状態だったので、このままの状態が続くと家中というか階下まで熱湯が拡散してしまうということでした。更に間が悪いことに、お風呂の時間帯というのはアパートのpatrolも不在のため即座の対応は期待できないのでした。そんな状態でも、お風呂場の中からは黙々と湯気が立ち上ってきて部屋の方にまで侵入してくるといった状態だったのでこれは本当に危険だと考えて、連絡先に記載されていたpatrolが不在の場合の連絡先という番号に藁にもすがる思いで連絡しました。この時もいつもの自動音声につながり電話番号と要件を入れると折り返し電話するという内容だったので半信半疑ながらも必死で窮状を説明しました。すると、ラッキーなことに30分程度で見知らぬ番号から電話があり、事情を説明すると1時間後くらいに業者を派遣すると言ってくれました。この時聞いた住所がいわゆる市内でなかったために本当に来てくれるのかとても不安に感じた上に、業者に行くように伝えるだけということは業者が本当に来るかどうかには責任を持たないということだなと判断して再度窮状をかなりしつこく説明しました。その後も、20分おきくらいに忘れられないように連絡を繰り返したところ、結局、夜の11時過ぎになって業者のおじさんが本当に来てくれました。この時ばかりは、アメリカにも約束を守る人がいるのだと心からありがたく感じました(アパートの任意のアンケートみたいなやつに対応がとても良かったと書いておきました)。

 ただ、到着してからおじさんが特別な機械でも出して手早く直してくれるのかと期待していたら、小さな工具みたいなのを使って必死で蛇口の分解にかかり始めたのでこれで大丈夫なのかという不安が再度襲ってきました。というのもテコの原理で蛇口の一部を外そうとするのですが、熱湯の蒸気が熱いらしく20−30秒毎に避難して冷ますといった有様でした。しかし何とか蛇口を分解し、水道管の根本まで辿ってみると、熱湯の元栓の小さなネジのようなものが錆びついて折れてしまっており閉められないようになっていました。そこに、手持ちの中からフィットするネジをはめ込んで終了すると(これもフィットするネジがない場合はどうするんだろうと大変不安に感じました)熱湯の流出はピタッと止まりました。このおじさんには心から感謝の言葉を伝えました。

 同じことが以降もう一回起こりましたが、また同じおじさんが来てくれたので全幅の信頼をおいて任せることができました。それ以来、よく注目しているとこのおじさんは日中も時々アパートに出没しているので同様のトラブルは定期的に起こっているのだなということを再認識しました。 夜間の非常事態発生時の連絡先の確認は極めて重要だなと感じた次第です。今回は以上です、皆様良いお年を。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2015.11.09 
 こんにちは、こちらも夏時間が終了し朝が明るくなった反面、夕方暗くなるのがすごく早くなってきました。アメリカ滞在も2年を過ぎ、生活面でのトラブルはほぼなくなってきたと考えていたのですが、先月は運転免許の更新で久しぶりにトラブルを経験しました。
 先日、9月に入国VISAが失効するために新たに更新の手続きを行ったのですが、それに合わせて運転免許の更新が必要だという通知が7月頃にDMVから送られてきました。今回は試験もなく、正式な滞在許可を得ているという書類を送付するだけでよいとの内容だったので、免許の期限である9月末の2ヶ月ほど前に書類を揃えて送付しました。その後、アメリカだから仕事も遅いだろうと思い悠長に構えて放っておいたのですが、免許の期限切れ1ヶ月前になっても音沙汰がないため、これはおかしいと思い以前免許取得のやりとりを行った担当部署にメールで連絡してみました。
 すると前回の取得時同様の「法的な滞在許可が確認できないので免許の発行が停止している、必要書類を送るように」との返信が来て、前回と全く同じ状況に陥っていることがわかりました(前回も今回も必要書類を提出しているにもかかわらずです)。前回は運転免許試験場に提出した書類が免許の事務局にうまく届けられていなかったのだろうと考えていましたが、今回は自分で直接事務局の住所に送付したのに書類がない?という扱いになっているため、これはもう本当に送ったところで、建物内で担当者の元に到着し目を通してもらえるかどうかは完全に運任せだということがわかりました。何度も大事な書類を送って何処にいっているのかわからない状況になるのも気持ち悪いし、次に送付したのが届く保証も全くないため送付はナシと判断しました。
 メールには「自分で電話連絡してもらう方法をお勧めします。しかし、この番号はいつも混雑しているので受付開始と同時に電話して繋がるまでかけ続けることをお勧めします」とかも書かれていて、試しにかけてみましたが確かに全然つながりませんでした。アメリカで懐疑的な書き方をされているということはそもそも可能性が1%くらいしかないのではないかと考え、これもナシと判断しました。
 そこで、前回の免許取得時同様に担当者にメールで書類を添付して担当部署に直接届けてもらう方法はできないかとお願いしてみることにしました。するとメール受け付け担当者みたいな方から折り返し連絡があり、自分に送ってくれたら担当部署に持っていくからと言われたので半信半疑で送ってみると、この人が結構丁寧で、担当部署に届けたこと、書類が承認されたことなどフォローアップのメールをくれました。結局運転免許期限切れのギリギリ数日前に新しい免許が送られてきました。あいも変わらず、運転免許の添付書類の一行目にCongratulationsと記載されていて、原因を作った張本人に祝われてもなーと再度脱力しましたが、本当に良かったです。今回は以上ですが、アメリカ滞在で良かったことは色々な事柄に対して寛容になれたことではないかとつくづく感じます。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2015.09.30 
 こんにちは、カリフォルニアも徐々に涼しくなってきました。無事に夏休みも終了し生活全般が平常運転に回帰しております。近況としましては、先月記載しましたラボの夏季学生達も皆無事終了し、平均年齢が10歳以上押し上げられたいつものラボメンバーで静かに仕事に取り組んでおります。

 以前にも書いたと思いますがこちらの高校生、大学生はとても勉強熱心で学問に対してピュアなところがある反面、人付き合いに関しては大人びているというか年長者に対しても臆さないところがあります。高校生は、特定の研究テーマを与えられていたわけではないので、何か自分が実験するときにはできるだけ声をかけるようにしていたのですが、割とあっさりと「今から帰るから」とか、「また明日教えてもらっていい」みたいな感じであしらわれることもあり、目上の人の話はどんなに面白くなくても頑張って聞くものだと学んできた自分の経験からすると「イマドキ」感をすごく感じました。また、医学生のほうは複数の研究テーマを並列で行うことになり僕より忙しそうにしていたのですが、僕は試薬の準備とか処置の代行など、自分の仕事と同じ程度のエフォートで仰せつかった助手仕事をこなしました。ただ、昨年の高校生はどうどうと自分でできる仕事を「これちょっとやっといてくれない」といった感じで頼んできたのですが(さすがに「You can do it」と答えていました)、今回の医学生はちょっと申し訳無さそうに依頼してきてくれたのでいつでも「Sure」と気分よく答えていました。こちらの医学生は大学を出てから一働きした後医学部に入学する人も多いので、若干の社会人経験から円滑な人間関係形成のために必要な社交術を体得していたのかもしれません。そんな彼女は実働2ヶ月弱で学会発表の抄録を2つも書いて去って行き大変立派だったのですが、去り際に全く手付かずの遺伝子発現の実験をお願いされ、これはどうしたものかと若干思案しているところです。

 高校生はというとラボでいつも音楽をききながら大学入試準備試験の問題集みたいなのを解きまくっている印象が強かったのですが、最終日にわざわざ個人的に手紙をくれて、そこに「辛抱強く付き合ってくれてありがとう」というような内容が書いてあり、辛抱強く付き合っていたことを理解してくれていたのだとわかったのが新鮮でした。内心、自分の指導の仕方が面白くなかったからつまらなかったみたいな印象を持たれているのではないかと危惧していたのでかなり意外でした。ただ、感謝されるとそれなりに嬉しい気分になりやる気もでるもので、来年の学会発表はもういいかなと思っていたのですが、何とか彼女を学会抄録のauthorに入れて大学入試の際の履歴書の箔付けに貢献してあげようという意欲が湧いてきて、8月末から現在までいつもの2倍くらいの勢いで実験をしていました。結果、何とか締め切りに間に合ったので僕も来年一本学会抄録を出すことになりました。つくづく指導というのは難しいものだと思っていますが、「辛抱強く」というのは何事においてもとても重要なことなのだろうなと実感しております。今月は以上です。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2015.08.10 
 こんにちは、カリフォルニアも夏季休暇に入り、我々の研究室でも例年の如く高校生を受け入れています。昨年度の高校生はモチベーションが高く、結局独立した研究テーマを与えられ、最終的には学会発表までして去って行きました。一方、それでもスタンフォードには入学できなかったようなのですごい競争社会だなとつくづく実感しています。

 さて、今回の高校生は昨年とは異なりやや受動的というか私がイメージする日本の高校生のような感じで、こちらから声をかけないと手を動かすこともなく、ラボでも時間を見つけて受験勉強とか学校の宿題に取り組んでいます。自分としてはこちらのほうが親近感を感じるのですが、自分もTraineeの身分で積極性の乏しいTraineeを指導するというのも難しいなというのが実感です。

 幸い、今年は四年制大学卒業後に我々の研究室で1年間リサーチコーディネーターの仕事をした後、カリフォルニアの医学部に無事入学したラボ卒業生が、Summer Research Programのグラントに採択され研究のために戻ってきており、主に彼女の研究の手伝いをすることになりました。やる気のある医学生に実験の仕方を教えて、それを周りから高校生が眺めているという図式です。指導という観点からは大変やりやすくなったのですが、実際の実験の進み具合に関しては若干難渋しています。一ヶ月経過時点の現在、当初の研究計画ではpositiveな結果が全くでていません。短期間に結果がでそうなテーマを与えているはずなので、こればかりはボスも予測できないのだということがよくわかりました。正直自分がこのテーマじゃなくてよかったという感じです。ただ、グラントをとっているため何とかして学会発表くらいはしてもらわないといけないので、現在は私が夏までやっていた実験を少し改変して引き継いでもらうことになりました。自分がやっていた実験を他人がやっているのを手伝うというのは案外勉強になって、よく理解していなかったところや、もう少し気をつけたらいいのにというところなど色々見えてきて自分のためにもなっていると思います。

 こんなかんじで書くと私が何もやってないみたいですが、私個人は以前からラボのメインテーマから少し外れた研究に取り組んでみたいという希望があったのですが、最近正式に許可がおりたので、新たなテクニックを学びながら別の実験を進めていくことになりそうです。気負わずに地道にやっていこうと思います。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2015.07.04 
 こんにちは、今月は運転免許の取得について書こうと思います。運転免許の取得は渡米直後の大きな目標と思われます。当初は無事に免許証を取得できたら速やかに報告しようと考えていたのですが、結局取得までに相当長い期間を要したため書く意欲をなくしてしまっていました。ただ、 免許取得にあたりたくさんの友人にサポートしてもらったため少しでも今後受験される方の参考になればと報告する次第です。

 カリフォルニアの運転免許は(1)筆記試験、(2)実技試験の順で受験します。渡米後生活が落ち着くまでの期間は、基本的に国際免許で運転することになるのですが、渡米後知ったところによると旅行者以外の長期滞在者に関しては国際免許の有効期間は原則渡米後10日間で、速やかに現地免許への切り替えが求められるそうです。そのため、できるだけ早く学科試験をクリアして仮免許の交付を受けることが必要になります。

 そこで運転免許交付機関であるDepartment of Motor Vehicles (DMV, https://www.dmv.ca.gov/portal/dmv) で受験するわけですが、私は家から最寄りのRedwood CityのDMVで受験することにしました。最寄りといっても自宅から車で30分ほどの距離にあるので、最初はDMVに行くだけでヒヤヒヤしながら運転した記憶があります。
筆記試験に関しては、インターネットで「カリフォルニア運転免許」で検索すると日本語の問題集が幾つかヒットするので、それを使って勉強しました(筆記試験は日本語で受験可能です)。私は直近で予約が取れる日がなかったので飛び込みで行きましたが、結果論としてはOnlineで予約がとれるので予約してからいったほう絶対にいいと思います。私は、受付番号をもらうための長蛇の列に30分ほど並んだ挙句、飛び込みは予約者と比較して後回しになるので少なくとも1−2時間ほど更に待ったのではないかと思います。

 今回、私は車の車両登録の更新と筆記試験を同時に受けようと考えていたのですが、車両登録はお金を払ってわりと速やかに完了することができました。懸案の筆記試験に関しては国際免許とパスポート含め入国関係書類一式を持っていったにも関わらず、I-94というアメリカ入国日時の証明用紙を持参していなかったため書類の不備で受験不可能でした。 I-94は以前であれば入国時にホッチキスで添付される付箋のような紙なのですが、私が渡米したあたりから自動的には交付されなくなり自分でダウンロード、プリントアウトして持参しないといけなくなったのでした(https://i94.cbp.dhs.gov)。さすがに長い時間待ったのでなんとかならないかと聞いたのですが、キンコーズかどこかでプリントアウトしてきたらいいからと言われ追い返されました(Redwood cityのDMVの周りには少なくともキンコーズはありません)。帰りによく見てみると、整理券を配布する窓口のところに「I-94が必要ですよ」という張り紙がでかでかとはられていてかなり落胆しました。

 気をとり直して予約後に再度受験したところ筆記試験は無事にPassすることが出来ました。ただし、この際交付される仮免許がかなり薄っぺらの紙で財布に入れたりするとすぐにしわくちゃになり破れてしまいそうで困りました。その後、実技試験に至るのですが、帰ってから実技試験の予約を取ろうとWebにアクセスしたのですが私の場合はなぜかWebからの予約が不可能な状態で、予約のためだけに再度DMVに出向くはめになってしまいました。仮免許合格時に気分が高揚してそのまま帰ってしまったのを大変後悔しました。よく考えると仮免許に合格した人はみんなその足でカウンターに実技試験の予約を取りに行っていたように感じます。

 そんなこんなで実技試験もPassし(実技試験のルートなども親切な人がWebに掲載してくれています)、後はいよいよ免許が送付されてくるのを待つだけという状態になったのですが、それからがむしろ大変でした。待てど暮らせど免許が送られてこないのです。DMVのカスタマーセンターに連絡を入れしましたが、書類の不備?を指摘され再度言われたとおりに書類を送付したりしました。そうこうしているうちに仮免許の期限の3ヶ月が切れそうになったので、やむなくDMVに仮免許の再申請に向かいました。一ヶ月程度で届いている友人もいる中でなぜ遅れているのか窓口で聞いてみたところ、「担当者が書類をなくしたんじゃないか」と信じられないことを言われました。ただ、仮免許は速やかに再交付してくれたため安心して目を通したところ、間違った生年月日が記載されていました。これは違うだろうと指摘すると、「いやデータの通り入力した」と言われ、元の仮免許を見るとそもそも仮免許の内容も間違っていました。パスポートからI-94まで厳密なIdentificationを要求するからには、相当しっかりと確認してくれているのだろうと彼らに期待した自分に心から失望しました。結局、IDを再提示し生年月日を訂正してもらい免許が送られてくるのを待つことになりました。その後の詳細は割愛しますが、カスタマーセンターから生年月日が変更になったから免許の交付が遅れるというような連絡が入り、次の仮免許の期限までに免許が貰える確率は五分五分だなというくらい達観した気分になっていたのですが、ちょうど実技試験をPassしてから6ヶ月になる直前に運転免許証が自宅のポストに届き、達成感でちょっと感動してしまいました。以上の経緯から、日本の公共機関は相当真面目に仕事してくれているなと心から感謝するようになった次第です。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2015.06.02 
 こんにちは、月一ということで書かせていただいいているこの報告記ですが、自分の生活がこちらに馴染むにつれて毎日に変化がなくなり、この一年くらいは完全に省力モードのうえ滞りがちになっていました。貝藤先生の報告記と比較すると一目瞭然でしたが。ただ、先月末にスタンフォード日本人会のFarewell Partyに参加した際、今年度から留学を開始された3人の研究者から渡航にあたってこの報告記を参考にしたということをお伺いし、とてもやる気がでた次第です。当初は備忘録的に自分が経験した日常の困難について書いていたのですが、神戸大小児科のホームページを見る人がこういう内容を期待するのかということに疑問を感じ始めたため、最近は当り障りのない表層的な内容に移行していたなと思います。今後は再度実用的な内容も盛り込んでいければと考えています。そこで、今回は以前一度書いていたのですがお蔵入りになっていたケーブルテレビの接続について(2014.02.05号のインターネット接続の続き)です。

 インターネットに接続できるようになると、すぐにケーブルテレビ受信機の設定を始めました。しかし、手引書に記載されている受信機の説明内容と送られてきた受信機がどう考えても別物でした。仕方がないので感覚的に接続することにしましたがなかなかうまくいきませんでした。
 まず、自分が譲り受けたTVはHDMIケーブルが付属されていたのですが、受信機にはHDMI端子がありませんでした。そこで担当者にメールで確認したところ、私のプランは通常プランであり、HDケーブルを使用するためには月10ドル余分に払ってHD契約にする必要があるとのことでした。そのような説明は初め全く聞いていませんでしたが、これは受信機に同梱されてきた普通のケーブルを使用することで解決できると教わりました(この際も、何か分からないことがあれば自分ではなくカスタマーサポートに電話してくれとメールに追記されていました)。
次いで、壁のTVジャックと受信機を接続し、受信機とTV本体を接続してみましたが、うまく視聴できません。そこで、接続方法のガイドビデオがあると書かれていたので当該サイトをチェックしてみましたが、どう考えても私の受信機と違う受信機の説明がなされており参考になりませんでした。

インターネット接続の際の顛末のとおりカスタマーサポートでの対応は極めて望み薄だったため、スタンフォード日本人会(SJA)のメーリングリストに接続に困っている旨を投稿してみることにしました。その結果、速やかに何人かの先達から御連絡を頂き、(1)先ほどの、HDMIケーブルを使用するにはHDプランに加入する必要があること、(2)壁のTVジャックが故障している可能性があること、(3)受信機毎の手引書のダウンロードサイトの存在(http://customer.comcast.com/help-and-support/cable-tv/cable-box-user-manuals/)、(4)直接相談できる近隣のC社の支店について、など色々教えてもらうことができました。更に、自宅での接続方法に関して図示してメールで送ってくれた方もおられ大変参考になりました。

 しかし、上記の情報提供に基づいて正しいと思われる方法で再度接続しましたが、やはり視聴できませんでした。そこで最初のステップに戻ってもう一度考えてみたところTVのaccount activationが完了していないことに気づきました。これに関しては、インターネットのaccount activationを完了した際に一緒に試みたところ完了できなかったため不要なのかと思っていましたが、期間をおいて再度試みると完了することができました。アメリカの手引書には「一定期間おいてからaccount activationして下さい」というような但し書きが無いにもかかわらず、ある条件を満たさないと正規の手続きも進められないというようなトラップが随所に散りばめられているように感じます。このトラップに関しては、同時期に来た他のポスドクの先生も嵌ったようで質問され教えてあげることができました。

 上記はちょうど1年半前に自分が陥った状況だったのですが、当時から比較すると格段に生活の質は改善しています。というかこちらの生活になじんできています。それ以上に驚くべきは、当時メーリングリストを通じて連絡を頂いた方々の大半と、その後偶然にも直接お会いする機会があり、現在まで色々お世話になり親しくお付き合いさせていただいています。困っているであろう見知らぬ人にわざわざ手を差し伸べてくれるようなタイプの人は相当付き合いやすい人格者だったのだろうなと考えています。 お世話になった皆さん本当にありがとうございました。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2015.05.25 
 こんにちは、先月は4月末にサンディエゴで開催されたPediatric Academic Societies (PAS) Annual Meeting 2015に参加しました。今回は同じカリフォルニアでの開催であり、時差もないためにしっかりと学会に参加することができました。神戸大学関連施設からは例年通り新生児グループの先生を中心に多数の発表があり、後期研修医や大学院生がたくさん発表しているのを見ると正直すごいなと感心させられました。
 また、それに先立って日本で開催されたAsian Society for Pediatric Research 2015に参加するために、また一時帰国しておりました。久しぶりの日本は食事も美味しくやはり素晴らしいなと感じました。同時に携帯電話が通じないことなど生活の基盤がないことによる不便も実感し、カリフォルニアに帰国した現在は若干ほっとしました。学会はというと、想像していた以上に日本以外のアジア各国からの参加者が多く、小児科研究領域においてもアジアの躍進を強く感じました。英語での発表に関しては、常に試行錯誤といった状態ですが、今回はホームの関西における開催であり、いつもよりは若干向上を感じることができました。こればかりは永遠に試行錯誤を続けることになるのだろうなと思っています。
 学会外では、神戸大学内外の多くの先生と交流することができ研究のモチベーションを再度掻き立てることが出来ました。異国で臨床を離れ、一人で研究に取り組むというのは、若干目的を見失いがちになることがあると感じる昨今なのですが、大勢の仲間にサポートされて今ここにいるということを実感しつつ、再度頑張ろうと決意を新たにしているところです。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2015.04.01 
 こんにちは、こちらはすっかり初夏の日差しを感じる季節になりました。私の近況としては、昨年一年間取り組んできたプロジェクトが大詰めを迎え、またもやデスクワーク中心の日常になっています。留学便りに書くようなイベントも無い毎日を送っているので、休日はできるだけ体を動かそうとプールに行ったり公園に行ったりしております。
 そこで最近特に興味深く感じるのは、アメリカ人はよく家族で公園に遊びにきているなということです。確かに、車でちょっといけば走り回れるくらいのサイズの駐車場完備の公園が覚えきれないくらいあり、アメリカの国土の広さを実感します。また、公園にこどもを連れてきているお母さんが、時々ナニーさん(いわゆるお手伝いさん)と一緒に来ているのもみかけます。僕などの感覚では、お手伝いさんに手伝ってもらわないといけないような状況(兄弟2人と赤ちゃんの組み合わせとかでしょうか)では、ちょっと公園は無理だから家で遊んだらなどと考えるのですが、こちらでは赤ちゃんを育てながら上の子どもを公園に連れて行って遊ばせるということも、またとても大事なことだと認識されているようです。
 日本的な考え方にとらわれると、育児は家族で完結させるべきだと思ってしまいがちですが、他人に頼っても親子がより良く過ごせるのであればそのほうがいいのかなと最近は感じます。子どもの幼稚園の送り迎えとかでは、ナニーさんがずっと送り迎えされているような子もいて、当初お母さんだと勝手に勘違いしてしまっていたというようなこともありました。
 お手伝いさんを雇う家庭なんていうのはすごい高所得者なんじゃないかと思いがちですが、案外僕達のはいっている(薄給の)博士研究員のメーリングリストでも「自分が今お願いしているナニーさんはとても素晴らしいから、他にもお願いしたい方がいれば紹介しますよ」というようなメールが回ってくるくらいなので、かなり一般的に利用されているようです。アメリカの子育て家庭は驚くほど共働きが多い印象があるのですが、私の知っている限りではみなさん無理して育児と仕事を両立しているわけではなく、適度に他のサポートを取り入れているように思います。意見が別れるところかと思いますが、無理せず働ける環境というのは素直に素晴らしいなと感じています。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2015.03.02 
 こんにちは、こちらは少し天候の悪い日々が続いておりましたが、最近になってまた平素の晴天を取り戻しつつあります。今月は、President Dayの休日を利用して車でロサンゼルスのDisneylandとLego Landに旅行に行ってきました。渡米前に森岡先生からスタンフォードからLAは慣れたら車で行けるよと教わっていたのですが、渡米当初はフリーウェイを走る車の速さと、方向指示器を出さずに進路変更を繰り返す車の多さに圧倒されて、車でロサンゼルスまで行くのはまず不可能だろうなと思っていました。

 ただこちらの友人の多くが、Disneylandに車で行った経験があり、また前回ヨセミテ公園へ車で行くことができたのが自信になったため、今回、長距離旅行を決行するに至りました。私の住んでいるパロアルトからDisneylandのあるアナハイムまでは合計で6時間ほどの運転になりますが(地図で見ると目と鼻の先という感じなのですが)、カリフォルニア州を横断するI-5という高速道路に入った際は、カーナビで200mile(約320km)直進と表示され、それから延々まっすぐの道を走り続けました。ただ、車線変更もせずまっすぐ走り続けるだけであり、また自分のペースで休憩することもできるので、思っていたより疲労を感じることもなく、無事目的地に到着することができました。

 ただ、フリーウェイを走っている途中、道路の脇にパンクしたタイヤの残骸をしばしば見かけ、また故障で止まっている車を目撃することもあったため、道中で車のトラブルにあうことを大変心配したのですが、出発前にオイルとフィルターを交換した愛車のカローラは何の問題もなく粛々と走ってくれました。アメリカで日本車が人気の理由がつくづくよくわかりました。では、今月は以上です。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2015.01.19 
 あけましておめでとうございます。 おかげさまで、こちらで二回目の正月を無事に迎えることができました。仕事に関しては、先月の報告で書きましたように目処のついた実験を年内に終わらせてしまおうと頑張っていたのですが、実験の必要物品がまさにここからというところで切れてしまい、オーダーしたものの事務的な行き違いなどもあり結局年明けまで届かないような状態でした。結局昨年末は大きなやり残し感を抱えたまま冬季休暇に入ってしまいました。今年に入り、やっと注文の品が届きなんとか予定の実験を終了することができた次第です。

 冬休みは、前年度よりは計画的に旅行の予定をたてることができ、今回はマイアミまでカリブ海クルーズに行ってきました。日本ではなかなか味わえないような非日常が満喫でき大変満足しました。

 近況としては、今月末にスタンフォードから車で2時間ほどの距離のカーメルという街で学会があり、2演題発表することになったのですが、発表日がそれぞれ別の日になったために、上司が泊まってきていいよといってくれたので、それを楽しみに地道にスライドを作っています。今年も楽しく健康に過ごせればと思っています。では、今年もよろしくお願いします。


自宅から見た初日の出です。低層の建物ばかりなので、太陽が上るのがよく見えます。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2014.12.12 
 ご無沙汰しております。私の近況は、ここ1−2ヶ月の間うまくいかない実験手技があり、ずっとトラブルシューティングを行っていました。それが、今週に入って一応解決の目処がたったため、なんとかクリスマス休暇に入る前にデータを揃えてしまおうと慌ただしく励んでいるところです。また幸いなことに、先日こちらからはじめて投稿した論文が受理され、渡米直後に取り組んでいた仕事が一段落して安心しました。

 生活面では、渡米後一年経過したあたりからこちらで仲良くなった方々が日本に帰国される場面に遭遇することが増えるようになってきました。また、今月、来月にかけては私が渡米後に一年の任期でこちらに来られた同じアパートの友人たちが相次いで帰国の途につく予定になっており、一年は本当にあっという間だなと実感しています。

 今月は、神戸大学サンフランシスコ同窓会の同窓会兼忘年会に参加してきました。全体で40名のベイエリア在住神戸大OBおよびその家族が参加され、思っていたより多いなと感じていたのですが、実際はもっとおられるそうです。日本にいた時は、母校としての神戸大を意識することはあまりありませんでしたが、様々なバックグラウンドを持つ同窓生と知り合うことができるのも、留学生活の良さだと感じています。ちなみに、私が知る限りでは、神緑会員は平成15、16、17年卒が各々1名ずつ当地滞在中であり、小所帯ではありますが仲良くさせていただいております。

 今月は以上です。来年も実りある一年にしたいと考えています。では、皆様良いお年をお迎えください。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2014.11.17 
 こんにちは、今月は10-12日の期間で愛媛県松山市において開催された日本未熟児新生児学会に参加するために(また)一時帰国しておりました。松山は今回はじめて訪れたのですが、学会場も大変立派で、道後温泉へのアクセスも非常に簡単で、とてもいいところだと思いました。私は今回も留学先での研究ではなく、大学院時代の研究についての発表であり、若干心苦しいところではありましたが、大学院卒業→関連病院へ異動→留学準備と一年半の間バタバタした毎日を送っていたため、過去のデータを整理するのにはちょうどいいタイミングだったと考えています。

 今回はいつもお世話になっている神戸大学系列の先生はもちろん、他大学の先生達ともたくさん交流でき、充実した毎日を過ごすことができました。私が大学院時代に取り組んでいた研究は、今改めて振り返ると色々限界のあるテーマだったと感じているのですが、発表後に個人的に色々質問して下さる先生もおられ、嬉しく思いました。

 神戸大学グループ全体としても、黄疸、子宮内胎児発育不全、サイトメガロウイルス感染症など、自分がいた頃よりもより多彩で深い研究が若い大学院の先生達によって発表されており、とても勉強になりました。特に最終日の中村名誉教授が座長をされた森岡先生の新生児黄疸をテーマとするランチョンセミナーは満員御礼で、あやうく私達が入場できなくなるような人気ぶりでした。以上、とても良い刺激を受けて帰国の途につきました。こちらも負けないように頑張ろうと思います。


ご当地ゆるキャラの「みきゃん」を囲んで

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2014.10.29 
 ご無沙汰しております。こちらもずいぶんと暗くなるのが早くなってきましたが、昼間はいまだに太陽が照りつけ眩しいくらいです。最近は、近況を書こうにもいよいよネタが尽きてきたような状態です。可能な限りなんとか月一の報告を続けていきたいと思っていますが・・・。

 近況としては、粟野先生が昨年のレポートに書かれていたウエスタンブロットに私も今取り組んでいますが、簡単に思ったような成果が得られる訳もなく四苦八苦しております。 日本にいたころは、臨床・研究ともにうまく行かなかったときの気分の落ち込みが大きかったように思いますが、こちらで色々失敗する中で、自分の感情がよりうまくコントロールできるようになってきている気がします。いつも晴れ上がったカリフォルニアの気候も気分があまり落ち込まない原因かも知れません。焦らず落ち着いてゆっくりやっていこうと思っています。

 他には、この秋に日本の新生児関係の学会に参加するスタンフォードの小児科教授の日本語抄録とスライドの校正のお手伝いをする機会がありました。自分の専門分野なので簡単だろうと安請け合いしたのですが、英語の表現を日本語に直訳するとニュアンスがかわってしまったり、ものすごく野暮ったい文章になってしまったりとこちらも一筋縄にはいきませんでした。日本語・英語ともにお互い一対一で対応しない言葉を有しており、そういった言葉をどのように意味を変えないように翻訳するのかが外国語翻訳の難しさなのだろうなと今更ながら感じました。逆に言えば、日本語を頭の中で英語に翻訳している限りにおいて、うまい英語はしゃべれないだろうと改めて気づかされました。外国語習得は奥深いなと痛感しています。


サンフランシスコの東のアラメダという島に行った際の写真です。
遠くに見える橋と海の感じが若干瀬戸内海風で郷愁を感じました。


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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2014.09.24 
 こんにちは、本留学便りもついに二周目に入ってしまいました。自分としてはこちらに到着したのがつい先日のように感じているのですが、時の経つのは本当に早いもので焦る気持ちしかありません。最近の私の近況としては、自分が飼育しているマウスがいる動物舎の部屋から、Minute Virusという伝染性の ウイルス感染が発症してしまい、隔離が必要なため一時的に研究が停止した状態になっていました。どうも私が先月日本に一時帰国していた期間に発症したようなのですが、こちらに帰った直後は、「来週になったら隔離解除になるのではないか」という話だったのが、月曜日毎に動物舎に確認するたびに「今週は継続」という判断がくだされ、結局隔離が解除される目処はたっていません。

 そんな訳でここ数週間はほとんどデスクワークのみで過ごしており、手持ち無沙汰感が大変強いです。幸い、いくつかやるべき事務仕事がたまっていたのでタイミング的には助かりました。私の所属している研究室では、仕事のペースは極めて自主性に任されており、どうしても目先の実験ばかりを優先してしまい、データの解析やまとめ、書類仕事は後回しにしてしまいがちでした。

 ただ、実験が無くなったタイミングを見計らったのかわかりませんが、ここ2週間くらい続けてボスに「あれは進んでいるか?」と書類仕事の進捗状況を聞かれることがあり、こつこつとパソコンを相手に仕事に取り組んでいます。そんなときにふと気になったのが、ボスは私がどんな回答をしても(たいていは、”I'm just doing” とか ”Almost done” ということにしているのですが)、とりあえずGoodとか何かしら褒めてくれた後に、必ずI really appreciateと付け加えるのです。今現在、研究面でたいして成果をあげてられていない自分のような人間を雇い、トレーニングしてくれているボスこそ感謝されてしかるべきだと思うのですが、自分の部下に感謝の言葉を書かさないボスは大変格好いいなと改めて思いました。

 二年目のアメリカ滞在になりますが、Stevenson Laboratoryのためにますます頑張って働こうと思っています。今年もよろしくお願いします。

追伸:9月3週目の終わりになってやっとquarantineが解除になりました。正直ほっとしました。


不明瞭ですが9月初旬に自宅から撮影したsuper moonです。下に見えているのが大学の建物です。


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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2014.08.05 
 こんにちは、先月は周産期新生児学会に参加するため日本に一時帰国しました。久しぶりに滞在した日本はとても蒸し暑かったですが、やはり食事が非常においしかったです。また、大勢の元同僚に会うことができ、大変素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。医局で本報告の管理をして頂いている横山さんや三里さんにご挨拶できたのも良かったです。皆さんありがとうございました。

 しかし、今回はアメリカに帰国直後の私に待っていたもう一つの再会について報告させて頂きます。先月末の一週間を利用して、同じくアメリカ留学中である粟野先生がはるばるノースカロライナからサンフランシスコを訪問してくれました。粟野先生は大学院生時代に二人で英語論文の抄読会をするなど留学に備えて色々切磋琢磨させてもらった先輩であり、また自分より一足先にアメリカに留学されていたために留学前には渡航準備など色々な面で相談にのってもらっていた恩人でもあります。またそれ以上に、渡航後の特に実験が軌道にのっていない時期に、アメリカの研究室生活全般に関する諸問題について色々相談させてもらっていた良き理解者であり、同時期に院生・留学生活を共有できた自分にとっては同志のような存在でした。

 今回の訪問では、一緒にサンフランシスコの中華街、フィッシャーマンズワーフなどベタな観光名所を一緒に観光させて頂き、楽しい時間を過ごすことが出来ました(結局地球の歩き方以上の観光案内はできませんでした・・・)。個人的には、色々話したいことがありすぎて若干消化不良になってしまった感もありましたが、海外でもかわらず飄々と仕事をされている様子から大変刺激を受けました。2年目のアメリカ生活も昨年以上に充実したものにしたいと考えています。

 最後に粟野先生どうもありがとうございました、お互い益々頑張りましょう!


写真はフィッシャーマンズワーフでの一枚です

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2014.07.07 
 こんにちは、カリフォルニアもだんだんと暑くなってきましたが、日本のように多湿ではないので過ごしやすい毎日です。6月初旬ころから学校が夏休みに入るようで、うちのラボにも5人の高校生が実習?に来ています。
 高校生のころから大学の研究室で実験するというのは日本的な感覚では全然ピンとこなかったのですが、こちらの高校生は長期の休み期間を利用して実務経験を得る目的で、ボランティア活動に参加したり、企業でインターンしたり、大学の研究室で実習するのが一般的だということでした。私のラボは医学部にあるため、今来ている高校生達は医学部志望が多いようです。アメリカで医学部に入学するためには、高校での学業成績で上位をキープするのはもちろんのこと、医学部に入学する動機を強くアピールにするためにも、医学的な実務経験がかなり重視されるとのことでした。彼らも、通常の学業はしっかりとこなした上でラボでの実習に参加している訳ですから、医学部入学のためには大変な努力が必要なのだなと思いました。
 高校生達の中には、ハワイのマウイ島からわざわざ夏休み期間だけカリフォルニアまできている高校生や、自家用車でフリーウェイにのって通勤してくる高校生など、自分の高校時代のことを考えるとスケールが全然違うなというのが実感です。大学側としても、各ラボに対して高校生を受け入れることを奨励しており、受け入れ1名に対していくらかの奨励金を出すというようなメールが送られてきていたような記憶があります。

 では、いかにしてスタンフォードと直接関係のない彼らが、私のラボで実習する流れになるのかという素朴な疑問がわいてきたので聞いてみました。すると、「親戚がラボで働いている」、「親が新生児科医で、教授と知り合いだったので頼んでもらった」、「祖母が、以前教授の部下としてスタンフォード大学で働いていた」など何らかのコネクションのもと機会を得ているようでした。日本であれば、 競争機会の均等という話がでてきてもおかしくないかと思うのですが、アメリカらしいなとつくづく思ったのはコネを使うことを何ら悪いことだと捉えておらず、あらゆる人脈を駆使して人生設計するということを当然と考えているようでした。
 ただ、そもそも彼ら自身非常に努力家であり、また日本の学生と明らかに違うと感じたところは、物事に非常に能動的・自主的に取り組む姿勢でした。当初、仕事が与えられていない期間も、自ら積極的に周りのスタッフに声をかけて、何か手伝えることを探したり、現在の我々の研究に関する論文を読んでそれから新たな研究計画を考えボスに提案したりするなど、一日を無駄に過ごさないという彼らの心意気は、渡米直後の自分ももう少しそうあるべきだったのではないかと反省し、感銘を受けるところが大きいです。

 こちらの若者はみんなしっかりしているなといつも思っていたのですが、アメリカの学生は日本の学生と比べてとても早い段階から自主的・能動的に活動することを求められる環境にあり、勉強ができるだけでは社会で成功できないという背景が、彼らの自ら考える力を育て、より強い国際人にしていくのだろうなと思いました。
 上司に何かテーマを与えられないことには何も始まらないと考えていた自分の若い頃を思い出して、考えるところが大きいです。


休日のラボの風景です

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2014.06.06 
 こんにちは、先月のアメリカ小児科学会終了後、娘の誕生日会、Principal Investigator(PI)への実験結果の報告会、ヨセミテ国立公園への旅行、新生児科リサーチカンファレンスでの動物実験のpreliminary dataの発表と、色々行事が立て込んで少し忙しく過ごしていました。

 最近の進捗状況としては、渡米当初に取り組んでいた先天奇形疾患におけるヘムオキシゲナーゼ−1遺伝子多型の解析に関しては、実験自体は終了し結果をまとめるだけになっています。しかし、ここに至るまではいろいろと苦労の連続でした。今回は可能な範囲で行程を振り返りたいと思います。

 本実験は、新生児期に採取した濾紙血からDNAを抽出し、遺伝子多型のタイピングをするというシンプルなものです。渡米後しばらくして、産婦人科のラボに多量のサンプル(濾紙血)から一括してDNAを抽出する方法を習ってこいといわれ、習いにいきました。しかし、教えてもらった方法はきわめてトリッキーというか、一歩間違うと全部のサンプルがまとめてコンタミしてしまいそうなやり方で、その上教えてもらった初回の抽出時からいきなり怪しい感じになってしまいました。教えてくれた先生は「いつもはこんな風にならないのだけど」というのですが、一人で限りあるサンプルから抽出するのにリスクの高い方法は避けたいなと判断し、結局多量のサンプルを個別に手作業で抽出することになりました。当初の目論みでは、2-3日で全サンプルの抽出が終わると言われていたので、えらい見込み違いでした。さらに、DNA抽出にHeating Blockを使用するのですが(大学の研究室に何個もあるやつです)、それがラボに1つしかないため1回に抽出できる絶対量が制限されてしまい、結局朝晩の抽出を繰り返して1−2週間くらいかけてDNAを回収しました。

 次にPCRなのですが、開始当初は大学院時代も悩まされたコンタミネーションの問題が色々でてきたのですが、自分用の試薬、ピペットマンなどを共有試薬から分離することでなんとか解決することができました(この期間は、森先生に相談していた大学院時代のことを常に思い出していました)。

 更に、遺伝子のタイピングにGeneScanという機械を使うのですが、このタイピング結果に関して前任者の結果と自分の結果が異なるという事実が浮上しました。正直これにはかなり悩まされたのですが、PCR産物の保存状況や機械の設定次第では前任者と僕の結果程度のずれは生じ得るということが、色々調べたり人に聞いたりした結果確認できました。結局、当該部位のシークエンスをして実際の遺伝子配列を確認し、最終的にgenotypeを確定しました。かなり余分な手間を取らされた感じでしたが、色々調べて確認していくという作業は大変勉強になり、いい経験だったと今となっては思います。その後も、続々とトラブルは続いていくのですが今日はこのくらいにしておきます。

PS:この実験の中間解析結果の発表で、スタンフォード大学のFifth Annual Pediatrics Research RetreatでOutstanding Abstract Posterという賞をもらうことが出来ました。結果はそれほど芳しくないのですが、努力が報われて幸運だったと思っています。


ヨセミテ国立公園に行った時の写真です。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2014.05.13 
 こんにちは、こちらカリフォルニアはすっかり暖かくなってきました。今月は、5月3日-6日までカナダのバンクーバーで開催されたPediatric Academic Societies(PAS)and Asian Society For Pediatric Research 2014に参加してきました。この学会の演題登録の締め切りが僕の渡米後2ヶ月程であり何の実験データもなかったため参加は厳しいと思っていたのですが、急遽連れて行ってもらえるという話になったため、日本の前所属時代の仕事で無理やり演題を作成して参加しました。バンクーバーは今僕が住んでいるパロアルトと比較してかなり都会で、オリンピックに会わせて地下鉄も整備され、大変過ごしやすい街でした。

 今回のPASには神戸大から例年の森岡先生のみならず、飯島先生、中村先生まで参加されており大変にぎやかで楽しい時間を過ごすことができました。PASは通常、周産期新生児分野の演題が半数程度を占めており、日本の小児科学会とは趣を異にしていますが、今回もたくさんの新生児科関連のセッションが設定されていました。ただいつものことながら会場が広すぎるため、目的の演題を探して移動する間にセッションが終わってしまうという悪循環に陥り、結局しっかりと参加したのは現在の自分の研究テーマである新生児黄疸関連のセッションと、日本から参加された先生のポスターを見て回ったくらいでした。

 とりわけ今回は多くの日本からの発表があり、日本からの若手の先生の発表に大変刺激を受けました。また今回は横田先生、中村先生が新生児黄疸のセッションで口演発表されており、同じ神戸大グループとして大変誇らしく思いました。新生児黄疸の演題に関しては、神戸大学グループはアメリカの大学と比較しても引けを取らないくらいの質、量の発表をしており自分も負けていられないなと感じました。夜は例年通り、神戸大学関連の先生達と交流する機会を得ることが出き、久しぶりに家族以外の人達と日本語でたくさん話すことができとても嬉しく感じました。
 写真は、飯島先生、中村先生とスタンフォードOBの先生達と食事に行った際の写真です。おいしいステーキをごちそうになり大変ありがとうございました。
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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2014.04.02 
 今月は、少しまじめな話で渡米後8ヶ月間での自分の英語力の向上について考えたいと思います。当初、アメリカに住んでさえいれば期間に比例して英語力は向上していくはずだと能天気に考えていました。しかし、現在痛感しているのは齢三十を超え、明らかに下り坂にさしかかった私のbrainにとっては、英語の習得はそんなに甘くなかったということです。

 基本的に、アメリカの研究室というのは多くの外国人研究者を受け入れているため英語を母国語としない研究者の英語に寛容です。その上、私の現在所属するラボは前任者を含めて私に至るまで5人の日本人フェローを受け入れた経験があり、いわゆる日本人の英語力というものを十分に認識しています。そのため、発音や英文構成が多少(かなりかもしれませんが)まずかろうが、大概の会話は相手の傾聴により成立してしまいます。ですから、自分の英会話能力が一般的なminimum requirementを満たしていなかったとしても、それを指摘されることなく過ごせてしまうので、他者に指摘されて改善するという受動的な改善が期待しにくい状況です。

 また、特に実感するのがよりよい英語を話そうと自ら努力しない限りはNative Englishに常時暴露されていたところで、自分の英語が感化されて改善されるということはないようだということです。私以外の研究室の同僚は、外国出身者であっても皆流暢な英語を話すのですが、8ヶ月間たった現在も彼らと私の英語力の距離は一向に縮まっていないと感じています。原因として、英語がそれなりに通じてしまい何とか日常生活が送れるようになってしまうと、日本への帰国を前提とした滞在である限り、それ以上語彙を増やそうとか、発音を改善しようというようなmotivationが保てなくなるからではないかと感じています。留学の目的は、英語力の向上ではなく研究で成果を出す事なので、大して不自由を実感していないのであればそれでいいのではないかとも思うのですが(研究でも結果はでていませんが・・・)、やはりせっかくアメリカにいるのだから英語力を向上させたいという気持ちはあるわけです。

 そこで、スタンフォード大学の外国から来た博士研究員を対象とした無料の英語のクラスにとりあえず登録することにしました。最初は2ヶ月程度のEnglish communication classを受講しました。このクラスを受講してよかった点は、自分が他国から来た博士研究員と比較してやはり英語が下手だということを実感できたことです。アメリカの授業形式は、基本的には積極性のある生徒がどんどん発言するというシステムなので、英語に自信がない場合は発言することができなくなってしまいます。発言をする生徒に限ってきれいな英語を話すので、結局このまま英語に自信が持てないと自分の研究分野においてもプレゼンスを発揮できなくなってしまうというのをつくづく実感させられました。このクラスに週一回出席することは結構苦痛でしたが、何とか終了することができると大変な充実感がありました。その後、1月よりOral presentation class、現在4月よりEnglish writing classを続けて受講していますが、これらの授業は英会話に不自由を感じていないことが前提になっているようで、英語に関しては暗中模索の状態が続いています。

 目下最大の目標は、電話のやり取りの苦手意識をなくす事です。電話のやり取りでは、自分が英会話に詰まってしまうと顔の見えない相手との間に非常に気まずい沈黙の時間が訪れるため、未だに連絡先に電話番号に加えてメールアドレスが記載されていないと連絡するのがとても億劫になってしまいます。とにかく地道にやるしかないのかなと考えております。では、また8ヶ月後くらいに再度途中経過をご報告できればと思っています。
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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2014.03.06 
 こんにちは、こちらに来てから既に半年間が経過してしまいました。
渡米後の毎日は本当にあっという間で、貴重な毎日が過ぎ去りつつあることに若干の焦りを覚えています。この半年間を振り返ると、渡米3ヶ月目頃から生活が軌道に乗りだし、日々の不自由が明らかに減ってきたと思います。今回は、渡米当初かなり不自由に感じたものの、現在克服したと思われる2つのことについて書きたいと思います。

 一つ目は物質的なことになりますが、部屋の電気が非常に暗いことです。日本なら普通にリビングにあるはずの備え付けの照明がこちらの部屋にはなく(天井に照明を取り付けるところがそもそもありません)、日本と同じ照度があると思われる空間は、我が家では天井に備え付けの照明器具(蛍光灯)のついている台所のみです。ベッドルームにはもちろん照明器具はゼロです。ですから、常設の照明器具のみで生活していた当初は夕方以降になると室内が間接照明レベルの照度になってしまい読書にも困ると言った状態でした。結局、スタンドライトを帰国される方から譲ってもらったり、量販店で購入したりを繰り返して、現在やっと日本と同レベルかそれより少し暗いかくらいの照度を確保するに至りましたが、我が家では夜間常時4つくらいのスタンドライトが点灯しております。最近聞いた話によると欧米人と我々アジア人は眼(網膜?)の作りが違うため、我々が心地よいと感じる程度の照度というのがこちらの人にとっては眩しすぎる照度であるためこのようなことになっているようです。人種差と考えると非常に納得させられました。

 二つ目は、小切手による支払いがあります。私は日本では全く小切手と縁のない生活をしておりましたが、当地では家賃や公共料金の支払いなど、現金支払い不可、クレジットカード引き落とし不可というところがほとんどで、目の前に担当者がいてお金も持っているのに支払いを完了できないということを何度か経験しました。日本同様に銀行引き落としという方法もあるのですが、支払先が何らかの用紙を用意してくれてそれに記入して投函するだけで完了というようなことは全くなく、自分で銀行にいく、または銀行サイトにいって、なれない金融英単語に対応しながら引き落としの設定をしなければなりません。さらに、アパートから家賃の請求が来た当日に銀行のオンライン振込を試みたところ、振り込み完了に1週間近くを要するため支払いのdead lineまでに振り込めないという事実が判明しました(支払い遅れは1日毎に罰金が課せられます)。また、5−10ドル単位の小額であっても現金不可ということもあるので、さすがに小切手のお世話になるほかありません。当初、小切手のシステムそのものが日本人の私にはなじみが薄く、初回に適当に名前と金額を記入して渡したら案の定記入の仕方が間違っており、アパートの担当者に原本を持ってこいといわれて、記入方法を一から教えてもらいました(Routing numberとAccount numberという番号を記載する必要があるのですがいつもどちらがどちらだったか思い出せなくなるために、以下のサイトをチェックすることにしていますhttp://www.routingnumbers.org)。最初は小切手を落として悪用されたら怖いななどと思っていましたが、よく考えるとクレジットカードであろうが悪用されない保証はないので、とにかく自分で慎重に管理するしかないという結論に達しました。

 以上、アメリカ生活には徐々に適応できつつありますが、肝心の研究はまだ試行錯誤の段階です。渡米当初に初めて携わったプロジェクトのデータ解析を昨日終了したのですが、残念ながらnegative dataでした。とりあえず、スタンフォード大学小児科のPediatric Retreatという研究会に演題を出すことになりましたが、Publishは厳しいかなと言う印象です。生活は軌道に乗りつつあるので、今後は研究中心の生活にしていけたらと考えています。
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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2014.02.05 
 今月は、私が渡米後のセットアップで最も手間取ったインターネットとケーブルテレビの接続について記載しようと思います。アメリカでは日本ではまだみかけるテレビアンテナはほぼ見かけず、ほとんどの家庭でケーブルテレビを契約してテレビを視聴しているようです。
 私は渡米直後に、帰国される方からテレビ自体は購入したのですが、それを電源につなぐだけではテレビを視聴できないことがわかって以降は、ゆっくりテレビを見るような心の余裕も無く、渡米後二週頃までテレビのない生活を続けていました。しかし、最低限のセットアップが一段落すると無性にテレビを見たくなり、また何よりも自宅でインターネットに接続する必要があったため(それまでは大学やアパートの共用施設の無料のWi-Fiを利用していました)、インターネットかつケーブルテレビの契約に取り掛かりました。

 まずアパートの管理人にインターネットとケーブルテレビを契約したい旨を伝えると、Cというケーブルテレビ会社の担当者を紹介され、その人に直接メールを送るとすぐにレスポンスがありインターネット+ケーブルテレビのプランを選択しました。セットアップは自分でできるだろうと考えて、20ドルの出張初期設定サービスは申し込まずに、モデムとケーブルテレビ受信機を自宅に送付してもらうことにしました。
 ここから徐々に怪しくなってくるのですが、まず2日で届くといわれた器材が1週間たっても届きませんでした。先ほどの担当者に確認してもいきなりレスポンスが乏しくなり、「すでに送っている」の一点張りでした。1週間以上経過してから何とか届き、いざインターネットに接続しようとしたところ、手引書どおりアパートのTVジャックに接続したにも関わらず、何度やっても点滅すべきモデムのWi-Fiランプが点滅しません。仕方がないので、契約のときに連絡した担当者に再度メールで手引書どおり接続してもうまくいかない旨を連絡したところ、「カスタマーサポートに連絡してくれ」と素っ気無く返事され、どういった不具合が考えうるのか教えてくれるように食い下がったのですが、けんもほろろな対応で仕方なくカスタマーサポートに連絡することにしました。指定の電話番号に電話したところ、自動音声でボクシング世界戦のPay per viewの宣伝を何度も聞かされた挙句、一向にお客様相談窓口にたどりつけない自動音声のループを何度も繰り返しました。そこで何度電話しても埒があかないため、前出の担当者に20ドル支払うので出張初期設定サービスを申し込みたい旨を連絡しました。ところが、それすらも「カスタマーサポートで依頼してくれ」といわれてしまい、更に何度かメールでやり取りしたものの、契約をとったらそれ以降のメインテナンスには一切タッチしないという頑なな態度であったため、彼に何かを期待するのはあきらめました。当然のことながら、カスタマーサポートに初期設定サービスを申し込むにも担当者に行き着けません。

 ただ、そこで途方にくれていても仕様が無いので何かしてみようと考え、それまで接続していたベッドルームのTVジャックから外し、リビングのTVジャックに接続してみることにしました(当初、リビングはTVを見るためにケーブルテレビ受信機をつなぎ、モデムは人目につかないベッドルームのジャックにつなぎWi-Fiを飛ばすという青写真を描いていたのですが・・・。)すると、それまで一切点滅しなかったモデムのWi-Fiランプが煌々と点滅し始め、我が家をWi-Fiがカバーするようになりました。後で知ったのですが、アパートのTVジャックが故障していることは良くあるようで、それに関してアパートは対応してくれず、ケーブルテレビ会社に対応してもらわなければいけないということでした。
 新規に入居するのだからTVジャックの不具合などはアパート側でチェック済みで問題あるはずがないという思い込みが今回のトラブルの根底にあった訳ですが、幸い2個のTVジャックのうち1個が使用可能だったため原因が判明しました。仮に両方とも故障していた場合は、多分自分で原因を特定することは不可能だったのではないかと思います。とにかくこれにより、自宅でのインターネット接続が可能になった訳ですが、この段階ではTVはまだ手付かずの状態でした。ただ、インターネットに接続できたのだからTV接続は大丈夫だろうと高を括っていたのですが、TVの視聴にはそれ以上の困難が待ち受けていたのです。
  使い道のないベッドルームのTVジャックを見るたびに試行錯誤した日々のことを思い出し、今自宅でインターネットができることに大きな喜びを感じています。
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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2014.01.10 
 明けましておめでとうございます、昨年は大変お世話になりました。
皆さんはこの冬休み(クリスマス、お正月)シーズンをどのように過ごされたでしょうか。今回は、私の研究室のクリスマスイベントについてご紹介しようと思います。アメリカでは子どものみならず、大人もクリスマスを心から楽しみます。12月の週末になるとサンフランシスコのユニオンスクエアなど大都市の中心部には大勢のサンタ(の仮装をした一般人)が集結し、初めて見たときはびっくりしました。公共交通機関に乗っても、大の大人がみんなサンタの仮装をしているのでさながらドッキリのようです(Santaconという行事のようです)。

 私の研究室でもクリスマスは一大イベントのようで、プレゼント交換会というものを毎年定期的に開催しています。ラボメンバー同士でプレゼントを交換するという前情報を前任の片山先生から教えて頂いていたのですが、一体どんなプレゼントを持っていけばいいのだろうとか正直不安な気持ちでいました。そろそろ準備しないといけないなとそわそわしていたところ、12月に入った頃にボスから「毎年クリスマスにプレゼント交換会というのをしているのだがお前参加するか」との意向調査があり、強制参加ではないのだなと思いながら喜んで参加しますと伝えました。私の研究室のプレゼント交換システムは、参加者全員で交換会の2週間ほど前にくじ引きをして、くじに書いてある名前の個人に対して各自プレゼントを用意するというものでした。特定の人にプレゼントを渡すというシステムに若干戸惑いましたが、私は秘書のStellaにプレゼントを渡すことになりました。何を持っていったら喜ばれるのか予測できずに困っていたところ、くじ引き翌日にボスから「誰に渡すことになった」と聞かれ「Stellaです」と回答したところ「Stellaなら欲しいものが分かっているから一緒に買いに行こう」と言われ、喜んで従ったところ医学部の売店に連れて行かれました。そこで「StellaはiPhoneの充電器を欲しがっているからこれを買ったらいい」といわれて、こんなに現実的なものでいいのかと思いながら言われるがまま購入しました。研究室に戻ると、ボス自らラッピングを手伝ってくれたうえ、手書きでStellaと書くと筆跡からお前のプレゼントだとばれるからタイプして貼り付けろと入念な指導を受けました。

 自分の仕事を成し遂げて一安心していたところ、その翌日になって当のStellaから「希望じゃないプレゼントをもらうのはよくないので、希望するプレゼントについて紙に3つ程度記入して渡して下さい、ちなみに私はiPhone関連のグッズだけど」と言われました。(やっぱりiPhone!!)と思いながら、プレゼントを指定するという行為にかなり違和感があったのですが、言われたとおりその時欲しかった結構現実的な商品を記入して渡しました。

 いざプレゼント交換会当日になると、仕事を早く切り上げ午前11時からみんな揃って近くのカフェまで出かけ、ランチを楽しみました。その後研究室に戻って、アメリカ式のすごく甘いケーキを頂いたうえで、いよいよプレゼント交換会が始まりました。他の人はどんなプレゼントを希望したのだろうと思って見ていると、結構夢のある品物ばかりでした・・・。幸いStellaは充電器を喜んでくれたようで、私も希望通りの品物をもらうことができ、それなりにhappyなプレゼント交換会でした。ただ、プレゼントの中に商品のレシートも同封されていたのは少し驚きました。これは、気に入らなかった時に返品・交換できるようにとの配慮のようです。

 以上、今回は私の研究室のかなり合理的なクリスマスのプレゼント交換会を紹介させていただきました(アメリカの研究室全てがこうではないと思うのですが)。今年のクリスマスはもう少し夢のあるプレゼントをもらいたいと思っています。では、本年もよろしくお願い申し上げます。
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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2013.12.06 
 渡航後3ヶ月が経過し、2013年も終わろうとしています。私にとって今年は医者10年目にして希望通り研究留学することができた節目の年になりました。今回は、渡航前後の自動車、携帯電話、自転車、家具の購入について記載します。

 アメリカで生活する上で欠かすことのできない移動手段は間違いなく自動車です。通勤・通学などであれば公共交通機関・自転車などを利用する人も多いと思われますが、広大な国土を有するアメリカにおいては生活物資の買出し、子供の送迎など車無しでは生活できません。とりわけ、子供をKindergartenやElementary Schoolに通わせる際には、保護者の送迎が必須になりますが、偶然そのような施設が自宅の徒歩圏内にあるという状況はほぼ期待できません(「1ブロック先に小学校があります」といわれGoogle Mapで確認したら1ブロックがものすごい距離だったということもありました)。また、渡米直後に家具などを運搬する場合にも車は必須となります。私はスタンフォード日本人会(SJA)のメーリングリストで、9月に帰国される日本人の研究員の方が売りに出されていた車をメールのやりとりの末購入しましたが、日本円での銀行振り込みに応じてもらえたのでドルで大金を持ち込む必要がなくなり助かりました。また、車の購入にあたっては、所有権の委譲の届出や、税金の支払いなど面倒な事務作業が多いので、それらのやりとりを日本語でできる日本人からの購入は個人的にはお勧めです。同時に、自動車保険への加入も必須となりますが、これは森岡先生に勧めて頂いたJALファミリークラブに入会すると付帯してくる自動車保険契約サポートサービスを利用しました、日本語で対応してもらえるためお勧めです。注意すべきは、車を購入する予定日から保険が開始になっていることが必要ですので(車を売ってくれる相手の家が自宅から徒歩圏内であることは考えにくいので、送っていく、または乗って帰る必要があります)、逆算して準備することが必要です。また保険の詳細は渡航後に契約することになるのですが、私は渡航後色々しているうちに自動車を譲ってもらう前日になってしまい、慌てて保険の申請をしたところ「本日17時までに書類をメールしてもらえると明日から保険が有効になります」といわれ、安心して15時頃に銀行に向かっていたら、電話がかかってきて「こちらの時間ではあと10分で17時なのですがメールはどうなりましたか」と伝えられてあわてて引き返すという事態に陥り、アメリカでは国内でも時差があるということを痛感したりしました。

 次に携帯電話ですが、これは粟野先生から教えていただいたKDDIモバイルというKDDIの米国でのサービスを日本で契約していきました。渡米前から電話連絡先の欄が記入できるという強みがありますが、携帯電話の契約自体は現地でも簡単にできるようですので、料金プランなどについては検討の余地はあるかと思います。
自転車はこちらの通学手段として非常に重要です。というのも大学の敷地が非常に広いため、大学内の建物間の移動ですら徒歩では無理だということほとんどです。しかし、こちらの自転車は日本のそれと比較して明らかに高額で(マウンテンバイクやロードバイクなどの本格的なものばかり売られている)、しかも盗難が日常茶飯事なようなので、厳重な管理が必要です(私も渡米一ヶ月以内に早速盗まれました)。次の家具同様、可能であれば帰国される方の中古自転車を安価に譲ってもらうのが最善ではないかと考えます(新品は狙われやすいのではと愚考しています)。

 家具に関しては、当初は寝床さえ確保できれば無くてもそれほど不自由はしないかと思いますが、家族で生活するにあたっては無いままというわけにはいきません。留学しているMDの多くは金銭的に余裕があるわけではないので、Moving saleという引越し(帰国する)方が処分する家具を譲ってもらうsaleを利用しています。私も渡米直後、Moving saleで色々購入しましたがここで問題になるのが、大型家具は自分の車に乗せて運べないことが多いということです。日本で大きな家具を購入するときは店から配達してもらうのでほとんど気にしなかったのですが、いざ自分で運ぶとなると車に納まるのかというのが非常に大きなポイントになります。私は幸い、ホンダのオデッセイを所有している慶応大学のK先生が家具運搬を快く引き受けてくれたので、自分の車のキャパシティを考慮せずにMoving saleで購入した机、椅子など大きな家具も自宅に運ぶことができましたが、家具を運搬するために業者を雇うとなるとIKEAで新品を購入するより割高になると思われますので、慎重な購入計画が必要となります。

 以上のような渡米後のセットアップに関してはやはり人の助けを借りないことには立ち行かないことが多いと思われますが、異国で暮らす日本人同士持ちつ持たれつで助け合うという文化がどこの地域にもあるようですので、積極的に人を頼るのが重要なのだとつくづく感じています。では、良いお年を。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2013.11.11 
 ご無沙汰しております。渡航後2ヶ月が経過して徐々に生活も軌道に乗ってきたところです、ただ研究面でご報告できるような進捗はまだありません・・・。今回は、渡航前後に最も重要になる住居の決定について記載します。

 国内で転居する場合には、現地に直接出向いて不動産屋を回り、実際の物件を見せてもらってから条件にあった部屋に決めるという流れになると思いますが、国外への転居となると日帰りでちょっと見に行くというわけにはいきません。留学開始前に1週間ほど先に現地に滞在して、住居を決めてくるのが理想的ですが、臨床をしているとなかなかそのような時間をとるのは難しいと思います。現地に滞在している知り合いなどがいればその人に相談するのが次善の策かと思うのですが、残念ながら私の場合はそういった相談相手がいませんでした。そこで、前任者の片山先生、森岡先生などにお勧めいただきスタンフォード日本人会(SJA)という組織に渡航前に入会し、メーリングリストで自分の希望する家賃、大学からの距離、住環境(安全面や学区など)を提示してアパートを推薦してもらうことにしました。当初、見ず知らずの人にいきなり質問するのはどうかと思っていましたが、一日もしないうちに多くの現地在住日本人の方から、住宅探しに有用なホームページ(https://www.padmapper.com/http://www.rent.com/)や実際の物件情報、日本人が多く住んでいる地域についての情報を教えていただき、希望地域、物件を絞り込むことができました。

 それから自分でウェブサイトから目的のアパートの家賃、空き具合などを確認してメールを送ることになるのですが、人気のアパートになると、確認した時点で部屋が空いていても渡航日まで確保することはできないといわれたりします。また、前任者が以前住んでいた住居が、入居まで3ヶ月待ちであったり、家賃が1.5倍になっていたりと、一筋縄にはいきませんでした。更に、時差の加減で、電話するにしても早朝のテンションの低い時間帯に英語でしゃべらないといけないため結構疲れます。結局、当初は妥協して、それなりの家賃でそれなりに大学から離れた地域のアパートに住もうかと考えていたのですが、渡航10日前の8/17になって希望していた大学徒歩圏内の地域のアパートから、比較的reasonableな家賃(それでも目玉が飛び出るほどですが)の部屋が9/9からであれば空くとの連絡があり、急転直下そちらに決めたという次第です(松尾名誉教授も以前住まれていたという由緒正しいアパートのようです)。どうも9月は新学期であり、家賃の相場が最も高くなる時期だったということ、また近辺にFace book、Googleなどの超優良企業が集積しているため、近年家賃の高騰が甚だしいということでした。

 アパートが決まれば次は契約が待っています。基本的に、パスポート、VISA、収入証明、銀行残高証明などのコピーを送り(いいアパートほど要求される書類が多いようです)、膨大な書類に逐一サインし、日本の敷金代わりのdepositを前払いするのですが、多くの場合いわゆるクレジットカード払いはもちろん、現金も受け付けてもらえません。トラベラーズチェックは受け付けてくれるようですが、これを封筒に入れて送ることは禁止されているようで、郵便局で相談したところInternational Money Order(国際郵便為替)という仕組みを教えてもらいました。詳細は省きますが、これは国際郵便で送付可能であり、先方が現地でお金と交換できるようです。

 そんな訳で無事に渡航し、当初はモーテルに滞在し9/9から入居することになりました。事務仕事は早く済ませるに限ると思い、渡航翌日にアパートに赴いて、またたくさんの書類にサインし、一か月分の家賃を払って無事契約締結となりました。この時は何とも思ってなかったのですが、この判断が結果的にfine playでした。というのは、9/4の入居5日前になってアパートの担当者から「前の住人が出て行かないといっているので何とかならないか」との電話がかかってきて驚かされたのです。家賃も支払い、契約のサインも済ませた後でしたので、「いまさら他のアパートは探せない」というとあっさり引き下がってくれましたが、これが契約前だったらと想像するとぞっとします。そもそも、前の住人はもうちょっと計画性を持って日常生活を進めるべきだと思いますが・・・、私もこうならないように計画性を持って研究生活を進めていこうと思いました。今回は以上です。  

  追伸:10月6日の日曜日に松尾先生、竹島先生が学会に合わせてスタンフォード大学を訪ねてくださいました。スタンフォードの地理もあまりよくわかっていないのでうまくご案内できるか不安でしたが、結局松尾先生のほうがよっぽどスタンフォードの名所を良くご存知で、色々案内していただき車を運転しただけでした。その際行った中華料理屋の写真を添付します。松尾先生のおかげで久しぶりにおいしい中華を頂くことができました、ありがとうございました。
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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2013.10.1 
 ご無沙汰しております、藤岡です。今回は、DS2019発給後のJ1-VISA取得までの経緯を記載しようと思います。J1-VISAは交流訪問者VISAで、取得には梅田にあるアメリカ領事館で面接を受ける必要があります。この面接が大変込んでいて、予約が取り難いという噂を聞いていました。私は、DS2019が発給されたのが8/6でしたが、実は8/28にフライトの予約を取ってしまっていました。アメリカからDS2019を速達で送ってもらって、それを基に(DS2019に記載されているNで始まる番号が予約に必要です)領事館の予約をとって、領事館からVISAが貼付されたパスポートが送られてくるというタイムスケジュールと、時期がお盆であることを考慮すると、旅行社の担当者の見解も予定通りの出国には悲観的でした。

ただ、こちらの秘書のStellaがとてもsmartに仕事をしてくれ、DS2019の原本をスキャンしたものをすぐにメールで送ってくれたうえに、原本はFEDEXで当日中に出荷してくれたので到着日が3日後の8月8日に確定していました。私はscan dataに基づいて領事館のVISA申請フォームを記入し、8月6日中に面接予約画面に行き着くことができました(VISA申請フォームも非常に細かな情報(両親の生年月日とか、自分の出身中学校名とか・・)を要求されましたが、今回は夜中に一人きりで細心の注意を払って仕上げました)。面接予約画面で1週間以内(8/13)にappointmentの空きを見つけたときは、本当に全ての人に感謝したいという気持ちでした。余談ですが、FEDEXは配送予定日ぴったりに、しかも当初大学に届いたものを、数時間後に勤務先のこども病院まで直接持ってきてくれるという完璧な仕事ぶりで本当に感心しました。

ただ次は、面接本番を無難にパスするという課題が待っています。とりわけ書類の不備で失敗すると予約を取り直す余裕は日程的に無かったので本当に一発勝負のつもりで慎重に準備をしました。J1-VISAの申請には、DS2019だけではなく以下の書類が必要です。(1)DS160(VISA申請の前段階で必要な書類、Webで記入した詳細な個人情報と顔写真の取り込みが必要)、(2)I-901 SEVIS費用支払い証明(Student and Exchange Visitor Program:留学生管理システムの登録費用、180ドルをWebで支払う)、(3)ビザ申請費用振り込み証明(VISA面接の申請費用、日本円で一人17600円をWebで支払う)、(4)5cm x 5cmの証明写真(カラー写真、背景色は白)、(5)パスポート(面接終了後に回収される)、(6)面接予約確認書、です。

(1)に関して、顔写真の規格がかなり厳しく、ファイルサイズが大きくても駄目だし、正面をきっちり向いていないと駄目とか色々失敗しましたが(特に子供)、最終的には携帯のカメラで撮ったのが一番ちょうどいいようでした。(2)、(3)あたりはよくわからないけど指示されるままにどんどんお金を払わされているっていう感じでした。(4)の証明写真は、(1)とは別にまた用意する必要があり、子供は証明写真機では撮影できないため、わざわざ写真館にいって撮影しましたが一苦労でした。面接には上記に加えて、Offer letter、CV、卒業証書、学位記のコピーなども念のために持参しました。

 面接当日は、予約時間の30分前くらいを目処に領事館に到着しましたが、まず建物に入るまでに待たされて、次に建物内に入って書類チェック窓口に到着するまでに待たされました。若干の書類の不備があってもそこで訂正できます。次に領事との面接になるのですがこれが非常に待ち時間が長く、30分くらい待ってやっと自分たちの番になりました。面接内容は、英語で「何の研究をするのか」「給料はどこからでるのか」など2,3質問されたくらいで、すぐにOKが出て、家族への質問もなく非常にあっけない印象でした。実際、領事さんは日本語もできるようで会話に関しては何の問題も無いようでしたが、人によって面接に要する時間にものすごく差があるようです。あと返送用にレターパックを持参したのですが、領事館のほうで用意してくれるようで不要でした。結局、無事に数日後にVISAの貼付されたパスポートが我が家に届き予定通り出国することができました。今回は以上です、ごきげんよう。

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藤岡先生のスタンフォード大学留学便り  2013.9.9 
 現在、こちらに来て1週間少したちましたが、ラボにやっと顔を出し始めたところなので留学生活については何ら情報提供できることはなさそうです。ただ、個人的に渡米するまでの手続きに関してあまり先行情報が無く、インターネットの他人のブログを検索したりして準備をしましたが、最終的にはもっとこういう準備をしておくべきだったと思うところが結構ありますので最初のうちは渡航の準備について書こうかと思います。
 まず渡航(留学)のために必要なものは、(1)CV(英文履歴書)、(2)先方からのOffer letter、(3)DS2019、(4)VISA(交流訪問者プログラムはJ1)です。(1)(2)は何となくイメージできていたので、(3)について詳述します。DS2019はアメリカの受け入れ施設が留学生を受け入れることを保障しますという正式書類のようなもので、それが届かないとVISAの申請が行えない非常に重要な書類です。

 私の場合は上司の森岡先生が留学に関して先方とやり取りをしてくれたので、自分はCVを作成して託したくらいでした。その後、2013年6月頃にスタンフォード大学からOffer letter(受け入れ承諾書)がメールで送付されてきたので、それにサインして返送することからいわゆるpaper workが本格的に始まりました。自分的としてはOffer letterさえ来てしまえば後は待っているだけで先方が全てやってくれるものと軽く考えていましたがこれが大間違いでした。スタンフォード大学の場合は、DS2019を発給するにあたりSecure Portalというwebsiteで家族も含めて全ての個人情報を入力し、承認してもらう必要がありました(CV提出の時点でほとんどの情報は既に留学先に伝わっているのですが・・・)。

 ここで大失敗したのですが、日本のノリで書けるところから適当に記載して間違っていれば訂正したらいいだろうと考えて当直業務の合間に入力していたのですが、Secure Portalに登録されたメールアドレス(職場のメールアドレス)を記入しろと秘書さんからメールで指摘されていたにも関わらず、よく読んでいなかったため私用のhotmailのアドレスを記入してしまったのです。当初、そのせいでうまくSubmitできずに、秘書さんに指摘された後に職場のメールアドレスを上書きしたものの、前のデータが残っているのかうまく変更することができない状況になりました。全く別にIDを作成しようにも元の作りかけのIDが残存しているためそれもうまくいかず・・・という作業を一ヶ月近く繰り返してしまい、最終的にはwebsiteのmanagerに出てきてもらう羽目になり、hotmailのアドレスで改めて登録しなおしてもらい何とか受理されるという顛末でした。よくアメリカの秘書さんは仕事が遅いので何度もせっつかないと動いてくれないというような話を聞くのですが、本件に関しては完全に自分自身の責任で引き起こしてしまった問題で秘書さんには大変迷惑をかけました。良かったことといえば渡航前から電話で頻回に連絡をとる羽目になり、初対面したときは既に他人とは思えないくらいの親近感を感じるようになったことくらいでしょうか。

 DS2019取得に関する私の一番の教訓は、アメリカのシステムは基本的に融通が利かないので、落ち着いた環境で絶対にミスをしないことを心がけるということでしょうか。なお本件のために、その後の様々なイベントが遅れをとることになってしまうのです・・・。

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