教室紹介

 

教授あいさつ

食道胃腸外科 教授・診療科長 掛地 吉弘
食道胃腸外科 教授・診療科長
掛地 吉弘
神戸大学食道胃腸外科では、消化管の外科、すなわち食道・胃・大腸疾患の診断と治療を行っています。高齢化が進み、日本人の2人に1人はがんに罹り、その1/3は消化管のがんです。高度な治療を必要とする食道がん、日本人に多い胃がん、増加している大腸がんを主な対象として、体に優しく根治性を追求したより良い治療を実践しています。

外科手術の中でも消化管領域では鏡視下手術の普及が進み、ロボット手術も増えてきました。手術手技については医工学連携からコンピュータ支援手術も取り入れ、安全で精確な手術に取り組んでいます。一方で新規抗がん剤、分子標的薬、免疫チェックポイント阻害剤などの薬物療法の進歩も著しく、手術を中心とした集学的治療も積極的に行っています。いかなる病態にも対応し、全身管理の下に世界最先端の治療を行います。

目の前の患者さんに対して、どこまで手助けができるか、臨床では様々な問題に直面します。教科書に答えが書いていない状況下でどう対応するか、どのような解決策があるのか。自ら調べて考え、相談し、次の段階へ進む能力を養っていくことも大切です。研究に勤しみ、考える手法を身に付ける経験も大事にしています。
 
当教室では臨床・研究においてその領域の最先端の施設と連携を図り、国内外の施設に留学して、研鑽して技術を学び、成果を世界に向けて発信する取り組みも続けています。専門医取得、学位取得にとどまらず、その後のたゆみないstep upにつながるように個々の人生設計を考えて参ります。

多くの人材が集まり、外科手術を中心とした診療をチームで行っています。一人一人の個性を活かし、仲間の助けを得て能力を更に伸ばせる環境を整え、患者さんに最良の医療を届けられるように日々前進しています。これまでに培われた良い伝統を次世代に受け継ぎ、指導者を育てて各所に貢献できる人材を輩出して参ります。
外科に興味を持ち、様々に可能性を拡げたい方はいつでも門を叩いてください。明るく仕事ができる人材を求めています。



沿革

1947-1964 藤田 登 先生

1947-1964 藤田 登 先生

兵庫県立医学専門学校附属病院の第一外科と整形外科部長に就任し消化器、脳神経、泌尿器、麻酔を含む幅広い外科診療を行なった。
この間、1946年に兵庫県立医科大学に改編、1952年に神戸医科大学と改称され教育、診療の充実がはかられた。
その後、1964年には国に移管され、神戸大学医学部となり外科学第一講座となり現在にいたる礎が築かれた。

1965-1978 光野 孝雄 先生

1965-1978 光野 孝雄 先生

教育、診療に加えて研究にも力点がおかれ、脳神経、消化器、内分泌疾患の外科的新治療の開発が目指された。1971年に脳神経外科が分離されてからは消化器外科疾患が診療の中心となり、研究では代謝、栄養、外科侵襲学が推進され、高カロリー輸液の導入など周術期管理が一新された。
また人工血液の開発にも精力的な取り組みが行なわれ、その成果は臓器移植研究に引き継がれている。

1979-1997 斎藤 洋一 先生

1979-1997 斎藤 洋一 先生

臨床では消化器疾患が主な対象となったが、引き続き乳腺などの内分泌疾患を含む一般外科診療が行なわれた。消化器疾患の診療では肝胆膵疾患の外科的治療に重点が置かれ、重症急性膵炎、膵癌、肝癌に対しては、先進的治療技術の開発・導入がなされた。教育は体系化され教室員全員がたずさわるきめ細かな学生教育が行なわれた。
また研究グループは臓器疾患別に改編され、基礎医学領域との 連携で研究レベルの向上がはかられた。

1998-2009 黒田 嘉和 先生

1998-2009 黒田 嘉和 先生

患者本位の医療の実現を目標に外科診療が実践された。消化管、胆膵、肝、内分泌の4グループで入院、手術、外科管理、研究まで一貫した診療を行なう体制となった。研究成果の質の向上をはかる上で、分子生物学、移植免疫学、感染と生体反応、化学療法など臓器別研究にとらわれない有機的な連携を模索。膵、膵島、肝の移植治療については蓄積された研究成果を踏まえ臨床応用を開始した。
とくに膵移植においては、世界標準となる臓器保存法(二層法)を確立した。
神戸大学病院診療科再編成、外科の大講座制移行に伴い、食道胃腸外科として診療内容を消化管に特化して鏡視下手術、集学的治療など診療面の充実がはかられた。