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聴神経腫瘍

聴神経腫瘍(聴神経鞘腫)は、聴神経を包む細胞から発生する良性の腫瘍で、比較的多く認められるものです。からだのほかの部位に転移したりすることはありません。しかしながら、時間の経過とともに腫瘍はその場所で大きくなっていきます。小さな腫瘍を観察した報告では、平均すると年間1-2mmの増大を認めるようです。ただし、腫瘍の大きくなる速さは患者さんごとに異なっており、きわめて速く大きくなる腫瘍もあれば、数年たってもほとんど大きさの変化しない場合もあります。たとえこの腫瘍が良性といっても、大きくなりすぎると脳幹の働きが障害されるために生きていくことができません。細胞としては良性ですが、腫瘍のできた場所の関係で最終的に死に至るという点で悪性ともいえます。悪性腫瘍との大きな違いは、外科的にうまく取り除けば病気を治癒させることができるという点です。

この場所にできる他の病気としては、“髄膜腫”(脳を包む膜から発生する腫瘍で多くは良性)、“類上皮腫”(脳が形成される過程で取り残された細胞から生じる良性の腫瘍)、“聴神経以外の神経(顔面神経など)から発生した腫瘍”が代表的なものですが、この他の極めて稀な病気である可能性もあります。最終的な診断は取り除いた腫瘍を用いた病理組織診断によって決定できます。

聴神経腫瘍のできる場所

聴神経腫瘍のできる場所

この腫瘍のできている場所は“小脳”と“脳幹”(橋と呼ばれる部分)の間にあるわずかな隙間です。腫瘍のできている場所から“小脳橋角部腫瘍”と呼ばれる一群の腫瘍に含まれるものです。この狭い部分に“聴神経”(音を感じる神経(蝸牛神経)と平衡感覚の神経(前庭神経)が混ざっています)、“顔面神経”(顔を動かす神経)、“三叉神経”(顔の触った感覚を伝える神経)、“舌咽神経”・“迷走神経”(ものを飲み込んだり声を出すのに関係する神経)、“外転神経”(眼を外側に向ける神経)に加えて、“椎骨動脈”という太い動脈やその枝が存在しています。

小脳は体のバランスを調整したり、いろいろな動作がスムースに行えるように調節しています。脳幹には二つの大きな働きがあります。まず、手足と頭とをつなぐ神経の通り道であり、ここが障害されると脳から手足を動かす命令が伝わらず麻痺が生じますし、また手足からの情報が脳に伝わらなくなり手足の感覚がなくなってしまいます。さらに重要な脳幹の働きは、生きていくために基本的に必要な機能に直接関係しているということです。すなわち、目が覚める・眠る、呼吸を調節する、血圧を維持する、食べ物をうまく飲み込むなど、普段は特に考えることなく行っていますが、命を維持するために基本的なこのような機能を調節しています。

症状について

脳は硬い骨の中に入っていますので、腫瘍のように余分なものが大きくなると、まわりにあるものを圧迫してその働きを障害し、いろいろな症状が出現してきます。すなわち、耳が聞こえなくなったり、耳鳴りやめまいがしたり、まっすぐに歩こうと思っても歩けなかったり、顔がしびれたり曲がったり、物が二重に見えたり、食べ物をうまく飲み込めなかったり、意識が悪くなったりしていくことが考えられます。また、腫瘍が大きくなると脳脊髄液の流れが障害されて脳に水が溜まり“水頭症”という病気を併発します。腫瘍が大きくなって水の流れを妨げるだけではなく、腫瘍そのものが脳脊髄液の成分を変化させて脳脊髄液の流れや吸収が悪くなり水頭症が生じる場合もあります。水頭症が生じると腫瘍の大きさに加えてさらに正常組織への圧迫、機能障害が一気に加速していきます。

治療法について

聴神経腫瘍が発見された後には、“経過観察(様子をみる)”、ガンマナイフを代表とする“定位的放射線治療”、そして“外科的摘出”の3つの選択肢があります。

腫瘍が3cmを超える場合は、ガンマナイフによる治療は不可能であり、脳幹の圧迫もすでに強いので経過観察を行う意味は乏しく、外科的摘出を早期に行うことが勧められます

腫瘍が小さい場合は、MRIなどを撮りながら外来で経過を見ることもひとつの選択です。腫瘍の大きさの変化は患者さんによって異なることはすでに述べました。ただし、症状のひとつである聴力障害(耳が聞こえにくくなること)は、腫瘍の増大に関係なく時間の経過により進行することが知られています。また、手術の難易度から言えば、腫瘍が小さいほうが大きいものに比べて易しいことはいうまでもありません。

放射線治療は入院期間も短く頭を切ることも無いという利点があります。しかし治療を受ければ腫瘍が消え去るというわけではなく、数年の経過で腫瘍が大きくならないことで治療効果を判定しています。最近の報告では、多くの施設で90%を超える良好な成績が得られているようです。

また、聴力障害、顔面神経障害の発生も比較的少ないとされています。しかし、長期的に良い成績が持続するかどうかは、治療の歴史が浅いために予測は困難です。中には腫瘍の増大が続いたり、いったん小さくなった後に増大したりしために、外科的摘出が必要となった例もありますが、その手術は困難である経験を私たちは有しています。極めて稀とは思われますが、放射線治療後に悪性化したという報告もあります。

ガンマナイフ治療についてのさらに詳しい説明を希望される場合は、専門施設の受診をお勧めします。

治療方針について

これまで300例以上の聴神経腫瘍の手術をおこなっていますが、小さな腫瘍の摘出における顔面神経機能の障害は、放射線治療と比べて劣るものではないと考えており、また摘出による腫瘍の根治性という意味では、最も優れた治療です。私たちはすべての大きさの腫瘍に対して用いることのできる後頭下開頭という手術の方法を使うことにしています。私たちの施設では、これまでの治療経験に基づいて一般的に以下の治療方針をとっています。

腫瘍が3cmを超えて大きい場合 早期の外科手術が必要
腫瘍が2-3cmの場合 経過観察も可能ですが、外科治療を勧めます
腫瘍が2cm以下で聴力障害が強い場合 基本的にまず経過観察、増大すれば外科手術
腫瘍が2cm以下で良好な聴力が保たれている場合 手術をお勧めしますが、経過観察も可能です
高齢者(65歳以上)で腫瘍が小さい場合 基本的に経過観察かガンマナイフ
反対側の耳が聞こえにくかったり、重篤な合併症を有する場合 個別に検討

手術について

手術の目的

脳幹を圧迫するような“大きな腫瘍”では、手術の第一目的は腫瘍を摘出して脳幹の圧迫を取り去ることにあり、早期に行うことが必要です。外科的にうまく取り除けば病気を治癒させることができます。重要な組織と強く癒着してはがれない場合はわずかに腫瘍を残す場合もあります。腫瘍を残した場合には再発の危険性が残ります。第二の目的は顔面神経を残して腫瘍を摘出することです。

“小さな腫瘍”でも目的は変わりませんが、将来の悪化を防ぐためという予防的な要素が大きくなります。現在聴力が残っている場合は、この聴力を残しながら腫瘍をすべて摘出することも手術の目的です。ただし、現在ある聴力障害(聞こえにくさ)を良くする手術ではありません。

手術の流れ

術前

手術部位の髪の毛を切る必要があります。腫瘍のある側の耳の後側の一部分だけで充分ですが、髪の毛全部を切ってもかまいません。手術のやりやすさに関係はありませんので、患者さんの希望で決めています。

手術

手術室に到着後に、麻酔科の先生によって全身麻酔がかけられます。手術中に顔面神経を電気で刺激して顔の動きを検出するモニターをつけます。聴力が残っている場合には聴覚モニター(聴覚誘発脳幹電位といって、原則として手術前にも検査を行うものです)をセットして、耳が聞こえているかどうか手術中に調べます。

このような準備を終えた後に、実際の手術が始まります。消毒を行い、耳の後ろで髪の毛の生え際より少し内側で皮膚を10cmぐらい縦に切開します。皮膚の下の筋肉も切開し、頭蓋骨を露出させます。骨に約4cm程度の穴を開けます(後頭下開頭)。脳を包む膜(硬膜)を切開し、顕微鏡を用いて以後の操作を行います。骨と小脳の間のわずかな隙間から、奥にある腫瘍を少しずつとっていきます。脳幹、腫瘍の周りにある神経(顔面神経、可能であれば聴神経など)、血管などを残しながら、腫瘍を全て取り除きます。重要な組織と強く癒着してはがれない場合はわずかに腫瘍を残す場合もあります。腫瘍を取り除いた後、出血がないことを確認し、硬膜、筋肉、皮膚の深い部分を縫い合わせ、皮膚の表面はステープラーという大型のホチキスの様なもので閉鎖します。手術時間は、腫瘍の大きさ、硬さ、出血のしやすさ、神経との癒着の程度などで変化します。小さな腫瘍では3-5時間程度で終わることが多いですが、大きな腫瘍では8-10時間を要する場合もあります。

聴神経腫瘍の手術

術後

手術が終わると麻酔の覚めるのを待って、ICUに移動します。ここでは手術後の状態を十分に観察しています。概ね手術2-3日でトイレまで歩いてもらうようになります。抜糸や、ステープラーの除去(抜鈎)は、約1週間後に行います。通常、それ以後は髪を洗ったりすることができます(抜糸や抜鈎前にも、清潔保持のため、洗髪を行うこともあります)。順調に経過されれば、術後の検査を行ったうえで、手術後約2 - 3週間で退院となります。なお、原則としてご家族の方に常時付き添っていただく必要はありません。

一般的に手術後に麻酔から覚めてほとんどの患者さんがまず感じられることは、傷から首にかけての“痛み”と“めまい”です。この“痛み”は日にちの経過とともに一般に楽になります。多くの場合、腫瘍が平衡感覚の神経からできている関係上、腫瘍をとることにより“めまい”が生じます。ひどい“めまい”でも2-3日でかなり治まり、退院のころには日常の生活では大きな支障はなくなりますが、ふわふわする感じを自覚される方もおられます。若い方ほど適応は早いとされています。

手術に伴う危険性、合併症について

生命への危険性などについて

この腫瘍のある場所が脳幹のすぐ近くで、脳幹を圧迫したりしていることから、最悪の場合は命に直接かかわる事態が生じる可能性があります。脳幹の障害が生じれば意識障害や片麻痺なども手術後に起こる可能性があります。現在は安全に手術を行うことができるようになりましたが、腫瘍のある場所の特殊性で危険性がゼロにはなり得ないことをまずご理解ください。

聴力障害について

この手術は、すでにある聴力障害(聞こえにくさ)を良くする手術ではありません。手術の後でも聴力が残るかどうかは、腫瘍の大きさと手術前に良く聞こえているかどうかが関係しています。経験では、小さな腫瘍で聴力障害がなければ、2/3程度の方は手術後も有用な聴力が残ります。すでに聞こえにくくなっていると約半数の方でしか手術後も聞こえるようになりません。大きな腫瘍では手術前にある程度聞こえていても、手術後に聞こえなくなるのが一般的で、手術後にも聴力が残るのは例外的です。

耳鳴りについても、この手術で症状を消し去るものではありません。検査の上では、手術後にも実際には変化しないことが多いようです。しかし、多くの患者さんは腫瘍がなくなることで耳鳴りが気にならなくなるようです。

以上のことはすべて腫瘍のある側の耳についての話で、反対側の耳にはこの手術は関係しません。

顔面神経麻痺について

腫瘍を摘出するときには顔面神経を腫瘍からはがす必要があります。手術中には顔面神経の刺激をして確認しながら神経の剥離操作を行いますが、手術の後で顔面神経麻痺が出る場合があります。顔面麻痺が出る場合は、多くは手術翌日には明らかになりますが、1-2週間後に初めて顔の麻痺が出る場合もあります。

後者の場合は、ウィルス感染などが加わった可能性もあります。神経を手術中に温存できた場合は、たとえ顔面神経麻痺が出たとしても、ほとんどの場合1年以内の経過で回復します。

腫瘍の大きさと手術後の顔面神経機能には関係があり、4cmを超えるような巨大な腫瘍では、顔面神経麻痺が残る率は高くなります。ガンマナイフ治療の対象となるような小さな腫瘍に限れば、明らかな麻痺(Grade Ⅲ以上)が残るのは2%の患者さんに過ぎません。

他の脳神経の障害について

他の神経の障害としては、顔のしびれ(三叉神経障害)、ものが二重に見える(外転神経障害)、飲み込むときにむせる(舌咽・迷走神経障害)などがあります。手術前にこれらの症状がある患者さんでも手術後には回復することが期待できます。手術後にこれらの症状が生じても、原則は一時的なもので、やがて回復します。全身麻酔に伴い、呼吸のための管が入っていた影響で、声がかすれたり舌が動かしにくくなったりする場合もありますが、これも通常は経時的に回復しています。

髄液漏について

この手術特有の合併症として頻度が高いとされているものの一つに髄液漏というものがあります。脳の中の水(脳脊髄液)は圧が高いと、小さな針穴からでも外に漏れ出します。手術の部位の関係で、脳脊髄液が骨の隙間から耳の奥を通って鼻や喉のほうに漏れたり、皮膚の下にたまったりすることがあります。

必要に応じ、漏孔部の修復のための追加手術を行うことがあります。

その他の合併症について

外科の手術は創をつけて治療する関係で、“出血”と“感染”はやはり合併症として生じる危険性があります。手術後に大きな出血が生じた場合には速やかに出血を取り除く手術を行う必要があります。予防的に抗生物質を用いて感染防止に努めていますが、感染が生じた場合は強力な抗生物質の投与を行って治療を行うことになります。

また、当手術に限ることではありませんが、術中の長時間の同一体位や術後安静に伴い、下肢の太い静脈に血栓(血のかたまり)が生じたり、この血栓が流れて肺の血管に詰まったりすることがあります(“肺塞栓”といいます)。かつては日本人では少ないといわれていましたが、最近は欧米とあまり変わらない頻度で生じるのではないかといわれています。

専用の弾性ストッキング着用などにより、発症予防に努めていますが、完全に予防しきれるものではなく、重篤な肺塞栓が生じた場合には生命に関わる事態もあり得ることをご理解ください。

当科でのデータ

  • 腫瘍サイズ
  • 術後顔面神経機能
  • 小脳橋角部腫瘍サイズ最大径と術後顔面神経機能
  • 術前後での聴力変化

新たな取り組み

腫瘍が大きくなればなるほど、顔面神経は圧迫・圧排あるいは扁平化されるとともに、本来の位置とは異なる部位を走行するようになります。手術中の腫瘍摘出操作に際し、顔面神経を傷つけずに温存するための工夫として、あらかじめ手術前に特殊なMRI撮像を行い、顔面神経の描出を試みています。当教室の掲げる“やさしい脳神経外科”としてのひとつの取り組みです。
≫研究業績はこちら

bFFE(balanced Fast Field Echo)法や DTI(Diffusion Tensor Imaging)を用いた術前の顔面神経走行予測(黄矢頭)

  • 当科でのデータ
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上記は代表的疾患と一般的解説であり、その他、個々の状態・症例に応じて、適宜専門的加療・対処を行ないます。